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魂様コメントありがとうございます。
論から逃げる訳ではありませんが、私は当時の武術の世界の流儀を知りません。血判つきで署名した者が見取り稽古だけでは許されないのか、どーなのか、あり得ることなのか、あり得ないことなのか分かりません。
よしんば、開祖が実地に稽古していたとしても、そーでなくても私にとってはあまり意味がありません。
また、魂様は合気道の看板技である「四方投げ」が「合気道は剣から出た武術である」というのなら、昭和12年以前に四方投げが存在するのはおかしいのではないか?とのご意見ですが、これも私には分かりません。ただ歴史的には確かに昭和12年以前から四方投げはあります。無かったのは入り身投げのようです。 私個人的には四方投げが昭和12年以前に存在して問題ないと考えます。それは柔術の類はほとんど組み打ち、白兵戦から考案された術ですから、その動きに剣の理が具わっていて当然と考えます。開祖も何々流という固有の剣術流派を学ばなくても子供のチャンバラよろしく剣を嗜んでいたと考えます。子供の頃から武術に関心が高かったことは父親である与六氏の影響であると言われています。
また、合気道は剣と杖と体術の理合いが混然一体となっているのが合気道です。「合気道は剣から出た武術である」という宣伝文句?は下部組織での言い回しの違いであり、誤解されても仕方がありません。
「四方投げ」は「剣の理を体術に表した」というのも間違いではありませんが、完全な正解ではありません。
たとえば、道主は演武で杖により四方投げを表現することがほとんどです。
魂様が合気道について懸念されている部分が何なのか、合気道が剣の理を具えているというのが間違いだ、と指摘されて居るのかも知れませんが、私個人としてお応えできるのはこれくらいです。
もし、ご納得いただけないのなら他所のページも参考にされることを希望します。
最後に、
師匠云々の件で、これは開祖の説明不足で、個々に師匠はある。しかし「合気道」はそれらを更に練り上げて創ったもので、誰かから教わったものではない。だから私が合気道であり、私には合気道の師匠は居ないのだ。という意味だと私は解釈しています。
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支部長殿忙しい中、お付き合いくださりありがとうございました、決して合気道への批判ではなく、大東流を研究していくうちに出くわした疑問でした。本部系と以外の系統との確執などが最近よく聞かれたり、余りにも盛平氏を神格化したり異常ともいえる個人賛美はいったい何故なのだろうか、合気道仲間で酒の肴ででる話題でもありました。ながながと無礼な質問をお許しください。まだまだ未熟者ですがこれを期に更に精進していきたいと思います、感謝しています。
2010/8/26(木) 午後 6:39 [ kon** ]
魂様いつもコメントありがとうございます。
魂様の論、開祖への懸念とは感じましたが、合気道そのものへの批判とは感じていませんでしたよ。それだけ魂様が研究熱心だということです。確執云々については自己愛の都合、団体の数だけ有ると言っても良いでしょうが、自己の研鑽をよそに他を罵倒するのは実力の無い者のする事です。自分が高く上ろうとしないで他を蹴落とせば相対的に高くなりますからね。
開祖の神格視や個人賛美は、私個人的には個々の自由と思っていますのでお好きにどーぞ、という感じです。ただし、対外的に指導者の立場を利用して開祖の功績を自己の功績のように言葉巧みに初心者に吹き込む者が居ます。これはいただけません。お仲間で飲みながら合気談義、素晴らしい事です。少なくとも私は開祖に対して何も無かった所から合気をクリエイトし、それを今、出来る出来ないは別にして道友と意義ある時間を共有できている事について礼の心を忘れる訳には行かないと思っています。機会があればご一緒に稽古したいですね。
2010/8/27(金) 午前 10:46 [ 支部長 ]