武産館木ノ本支部稽古日記

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返信: 52件

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佐々木先生の記事

合気道関連

[ midori21 ]

2010/12/21(火) 午後 9:12

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こんばんは。『大物たちの人間力』素晴らしかったです!!

少し話しは変わるのですが、最近神奈川県に降った黒い粉のことを
拙ブログに書きましたら、ケムトレイルだ、というコメントがあったのです。(コピペのようですが。。。)
ケムの単語は知っておりましたが、そういったお話をどう判断すればいいのか、少し迷っております。
支部長さま、もし何かご存知でしたらお教え下さい。m(_ _)m

[ 支部長 ]

2010/8/27(金) 午前 10:46

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魂様いつもコメントありがとうございます。
魂様の論、開祖への懸念とは感じましたが、合気道そのものへの批判とは感じていませんでしたよ。それだけ魂様が研究熱心だということです。確執云々については自己愛の都合、団体の数だけ有ると言っても良いでしょうが、自己の研鑽をよそに他を罵倒するのは実力の無い者のする事です。自分が高く上ろうとしないで他を蹴落とせば相対的に高くなりますからね。
開祖の神格視や個人賛美は、私個人的には個々の自由と思っていますのでお好きにどーぞ、という感じです。ただし、対外的に指導者の立場を利用して開祖の功績を自己の功績のように言葉巧みに初心者に吹き込む者が居ます。これはいただけません。お仲間で飲みながら合気談義、素晴らしい事です。少なくとも私は開祖に対して何も無かった所から合気をクリエイトし、それを今、出来る出来ないは別にして道友と意義ある時間を共有できている事について礼の心を忘れる訳には行かないと思っています。機会があればご一緒に稽古したいですね。

[ kon** ]

2010/8/26(木) 午後 6:39

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支部長殿忙しい中、お付き合いくださりありがとうございました、決して合気道への批判ではなく、大東流を研究していくうちに出くわした疑問でした。本部系と以外の系統との確執などが最近よく聞かれたり、余りにも盛平氏を神格化したり異常ともいえる個人賛美はいったい何故なのだろうか、合気道仲間で酒の肴ででる話題でもありました。ながながと無礼な質問をお許しください。まだまだ未熟者ですがこれを期に更に精進していきたいと思います、感謝しています。

[ kon** ]

2010/8/25(水) 午後 2:24

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武術の世界では血判つきで署名した者が指導、稽古をせづに見ているだけでの研究、理解などは有りえぬことではないでしょうか?「合気道は剣から出た武術である」という宣伝文句とは食い違いとなっているように思えます。合気道の看板技の「四方投げ」は「剣の理を体術に表した」(すばらしい合気道)技であるから昭和12年以前には剣の四方投げは存在してはならないのではないでしょうか?しかし「四方投げ」は戦前の門人達にも子の技は伝えられています、また昭和7年発行の『武道練習』(財団法人、皇武会版)にも出ています。

[ 支部長 ]

2010/8/20(金) 午後 0:48

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魂様コメントありがとうございます。
大東流を研鑽しながら合気道もよく調べてらっしゃいますね。
この手の話は合気道を研鑽している人でも知らない人が多いです。
で、鹿島新当流英名録に血判付で署名云々の件は、間違いないです。
しかし、吉祥丸道主、赤沢氏の証言を信頼するならば、やはり開祖は実地に指導を受けず、そばで見ていてその動きを研究したということです。当時の開祖の立場上のこともあるでしょうが、双方の動きを客観的に観ることで全体をイメージしたと私は考えます。また、吉祥丸道主は合気道について柳生新陰流の影響が非常に大きいと過去述べています。
合気道の完成時期については開祖のみが分かることと思いますが、有名な言で「わしは死ぬ前が一番強い...」と。開祖は生涯合気道を進化向上させたがゆえに弟子が開祖について学んだ時期によって違いが生じています。富木謙冶先生や塩田剛三先生についての論ごもっともです。斉藤先生が剣を習った時期が昭和26年というのははっきり分かりません。斉藤先生は昭和21年入門ですから...

[ kon** ]

2010/8/19(木) 午後 6:27

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自分も武術に於いては優劣は無いと思っています、それこそ各流派は英知を結集して作り上げたものです。しかしそれなりに調べていくうちに疑問点が出てきます、植芝盛平氏が剣や杖の指導を誰からも受けてないことは有りません。昭和12年に弟子の赤沢善三郎氏と共に「鹿島神道流」を修行しています。これは鹿島新当流英名録に血判付で署名されています。その記録が現在も宗家に保存されています。また、昭和6年には下条小三郎とその助手の大坪指方先生から柳生新陰流の(三学円の太刀のみ)を初めて習い特に対剣の間の取り方でした。戦前の門人である、富木謙冶氏や塩田剛三氏が剣の技を伝えてない事から見ても、斉藤氏が剣を習ったのは昭和26年ですからその頃に植芝盛平氏の合気道は完成の域に達して技も現在のようになったのではないでしょうか。

[ kon** ]

2010/8/18(水) 午後 7:33

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はじめまして、大東流を探求している魂と言います、さて合気道は理法からきていると言われていますが、剣を持つと合気剣になると言われていますが、それが、どのような技になるとは言われていません。斉藤守弘氏の「合気道」に出てくる剣杖の技では体術と運動法則がかみ合いません。技の中の一教、四方投げ、小手返し、入身投げ、回転投げや多くの応用技がどの様に剣の理法を体術に表しているのか理解できません。斉藤守弘氏が「合気ニュース」NO。74の対談のなかで、記者の「一教、二教、三教、四教の型における剣と体術は簡単に説明できますか?」と言う質問に「何だって100%結びつけようとするのは無理」と技術的には剣術、体術の関連は説明できない、と言ってしまった上で、「合わせの気持ちですから、合わせの所は、剣と一致します。合気道は
剣も体術、杖も総じて合わせから初まる、だから、型としては変わってきますが、合わせの気持ちは皆一緒です」つまり、技の概念は一緒だが実技の上では、おなじではない。「剣の理法を体術に表した」とするなら矛盾ではないでしょうか?

前受け身の工夫

合気道関連

[ 支部長 ]

2010/8/18(水) 午後 2:09

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まっちゃん様
いつもお世話になります。
そーですね。後ろの足を速く引き付けて、畳に残らないようにするのも大切ですね。
子供たちに聞くと、恐怖心は無いようなのですが、やはり動きそのものは怖がっていると思うのです。
結局、回数を重ねるしかないのですが、間違った形で何度もさせると間違った形で固まってしまうのが問題です。

前受け身の工夫

合気道関連

blu*bi*d3*197*

2010/8/16(月) 午後 0:15

なかなか難しいですねー 後ろ足を速く引き付けて、畳に残らないように指導していますが・・・・何かの参考になればと。

[ 支部長 ]

2010/7/22(木) 午後 4:47

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資料によると、植芝家の養子だった中倉清氏の証言だったと思います。開祖は大東流に満足せず、昭和の初め、剣や杖の理合いをどん欲に取り入れています。それで当時の剣道・居合の名人、中山博道先生に相談し、有信館から中倉清氏を養子縁組してその技術を取り入れたということです。中山博道先生に直接開祖が指導を受けることはめんつに関わりますからね。その他、鹿島新当流も...いずれにしても直接稽古せずに、動きを見ただけで開祖流にアレンジしてしまったそうです。そこがやはり非凡ですね。

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