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自称旅師初段(じしょうたびししょだん)を名乗ることにしました。
名前に東京と付いてるけど一切関係ない今で言うLRT(ライトレールトランジット)の路線の会社です。
本線格の欄宮線、ミュンヘン公園線を始め、藍沢線、横川線、藤原線があります。中でも欄宮線とミュンヘン公園線と横川線は一体運用されていますがミュンヘン公園駅で運行区分されている場合が多いです。またある時期まで高速線を持っていたのですがブルーラインアライアンス設立後にBLA秋七線に編入後、横川線内の駅でもある七海海岸駅と海鳴海岸駅までの直通運転が開始されるようになります。それにより七海海岸駅は改良工事が行われ横川線終点の七海本庄への乗り継ぎがしやすくなりました。
また、欄宮線の欄宮から三千院鉄道への直通運転も実現し、それに合わせて使っている車両が長大化しましたが欄宮線も三千院鉄道もLRTとして運行されています。

この架空鉄道のネタの出どころが東京ミュウミュウなのは内緒ですwww

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実はコストパフォーマンスの高いトミックスの動力ユニット。
その中でも現在もっとも有名な新型車E233系のモデルに使われているのが0675と言う番号のものです。
KATOassyとは違い動力台車もセットなのでミドルスペックでとどめたい場合は鉄これ動力よりもその要望に応えられる性能と価格です。

ただ0642がE233系のモデルとしても使えるためそれで代用も効くものかと思われます。E235系の床下パーツも付いているので
「最新鋭インバーター搭載車なんですうちの」
としたい場合はそれを使うのもありかと。

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151州もの州を持つと言われている「ゆーまにあ王国」
その各州を結ぶのがゆーまにあ王国鉄道です。
2017年を期に大きな改変の年を迎えました。

僕が総裁になったんで主要な路線の線路改修と線形改良をしたって話なんですけどね。

路線改良を行った後に一部の路線を「200㎞/hで走行できる都市高速線」として運用を開始しました。特に一号線とされるサウザリー線の途中には山脈を越える箇所とカーブの多い川沿いの箇所があり、その二つの箇所には長大トンネルを設けました。
とりあえず今日はその都市高速線の地図をご覧いただきます。
イメージ 1

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実は一番竹子島らしくない名前の鉄道会社「森田鉄道」の話をしますが、その前に社名変更することになったのでどういう名前になったかというと、北松港と新森田を結んでいることにちなんで「フォーツゥリーRW(FTRW)」となりました。これだけでは全く意味がわからないのでちゃんと言いますと「木へん」が四つあるのでこのような名前になりました。これを機に同社では本格的に車両の更新を検討する段階に入るようです。

森田鉄道の名前の由来は不明ですが、起点の駅に「森田」と付くぐらいなのでそこの由来すると思われます。しかし地名で森田と付いた由来も不明です。このあたり大きな森もなければ田んぼと言われるようなものもないからです。由来が不明の話はこのくらいにしまして、同社のもともとの自社線は新森田と炭田の間までです。そこから先は炭田からやおかまでが舞糸高速鉄道、「やおか」から「ないりゅうしょう稲村」の間が中王電鉄、「ないりゅうしょう稲村」から「北松港」までが新しく作られた路線です。当初は同社のグループ会社でもある酉武鉄道の貨物線でしたが旅客も行う際に同社のものになりました。そのときに「新森田線」と命名されます。これにより酉武鉄道は竹子島唯一「自社線を持たない」「貨物列車の会社」となりました。
今でこそ北松港には多くの列車が乗り入れていますが、当時は殺風景でぱっとしない港駅でした。その後舞糸渡船が舞糸高速鉄道を創立した後に正式な鉄道部を立ち上げ駅が大きくなりました。ちなみに北松港駅は乗り入れ各社共同管理駅です。その乗り入れ各社を見てみますと
森田鉄道(FTRW)
舞糸渡船鉄道部
酉武鉄道(近くの貨物センター駅を使用)
そこへ竹子島ハイスピードバーンの駅にもなることから北松高速鉄道の乗り入れも入ります。北松港駅開業時は聡美川鉄道が所有していた駅でしたが前述のように森田鉄道(路線としては舞糸渡船鉄道部が買収)の方に渡りましたが、交換条件として北松港周辺のライトレール整備を行ったうえでの明け渡しでした。

さて最後に森田鉄道の列車が走る駅を見てみましょう。
新森田ー元森田ー中森田ー数商分町(かずしょうぶんまち)ー新ひめじろー姫白(ひめじろ)ー炭田ー(ここから舞糸高速鉄道)ー炭山ー新中王ー中王ー(ここまでが舞糸高速鉄道)ーやおかー(ここからが中王電鉄)ーながすしょうやおかーながすしょう南村ー(ここまでが中王電鉄)ーないりゅうしょう稲村ー(ここから先が新森田線)ーうちいけー北松港

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竹子島の首都のある中王山地を貫通する鉄道は前回紹介した舞糸高速鉄道のほかに
森田鉄道(この後社名変更の発表があります)、酉武鉄道(とりぶてつどう)、中王電鉄、そして今日取り上げる朋江組合鉄道があります。
朋江組合鉄道は今でこそ舞糸高速鉄道の子会社となっており、起点である「とうしん」からごりたざで舞糸高速鉄道に乗り入れ舞糸市内の駅であり舞糸市役所が入居するセントラルタワー駅を目指します。140キロ運転ができる舞糸高速鉄道線内の条件に合わせた車両「COMITA02」基本2両編成が使われており、スタンダード快速と併結運転が行われます。ただこの運用方法も「竹子島ハイスピードバーン」が開業するとグレイト快速の運用がそれに移るため線路容量に空きができることになるのでやがては併結運転をすることがなくなるかもしれません。それと同時にとうしん-ごりたざ間の線路容量を増やすべく全線複線化、そして区間内全駅4両編成対応化工事が行われることになりました。
またごりたざ-平波間では「COMITA03」基本2両編成が使われております。これは「竹子島ハイスピードバーン」の一部であり「北松高速鉄道」運営区間であるごりたざ-北松港にも乗り入れています。

舞糸高速鉄道の子会社になる前はごりたざ駅は朋江組合鉄道の前身であるオレンジラインの所有駅でした。その頃はとうしん-ごりたざ-平波間は通し運転が行われておりましたが、その頃の乗降客は少なく柑橘類を中心とした農作物運搬が中心でした。40年前あたりに舞糸高速鉄道の生みの会社となる舞糸渡船が創立された際、湾岸設備が貧弱なとうしんと平波にかわって舞糸港を使った柑橘類の外国への出荷が始まるようになります。一見、島の端と端を結んで外国への出荷は意味が不明で当時は柑橘類農家から理解がなかなか得られませんでした。しかしまだ軍事にしか興味が無かった頃の中央政府の助けは一切期待できず湾岸設備が強化されないままのところで腐らせるよりも、産地からは遠くても迅速に対応できる資金力のある舞糸渡船の港を使った方が最もよい方法だったのです。
そして舞糸高速鉄道が創立された数年後にオレンジラインは農産家が資本を出し合う組合鉄道として再スタートを図ります。それが朋江高速鉄道でした。ちなみに朋江駅はごりたざ-平波間の中間に位置する駅です。
再スタートを図った後にごりたざで運用形態が分割されました。とうしん-ごりたざ間を「中畑線」ごりたざ-平波間を「朋江線」としました。そのときに中畑線から舞糸市内への乗り入れが計画されることになります。これは当時竹子島の中ではとにかく画期的なことでした。
そして「貨物電車」が設定されます。2両編成のとうしんより車両の半室を柑橘類運搬に使ったのです。これはまだとうしんから舞糸市内へ行く人がそんなにいなかったから出来たことでした。今は4両編成の柑橘類専用電車が作られ「みかんとみんながのりあう」と言うキャッチフレーズのようなことはなくなりました。昔の姿と今を比べると組合鉄道側は「大躍進をしたから中央政府から褒美をぶんどりたいwwww」とよく言います。
柑橘類の出荷はとうしん駅の手前の駅である千ヶ滝駅からなので中畑線ではとうしん-千ヶ滝間が唯一の旅客のみの区間です。この千ヶ滝、選果場をボキャぶって作った名前です。とはじめは選果場職員のお遊びだったのですが、その後なぜか探索家がいくつもの滝を見つけてしまい竹子島で一番新しい観光地となりました。無論「この責任をとるため」選果場職員はその観光客に特産物を販促することに余念がありませんwww
とうしんから舞糸市内への乗り入れには有名なエピソードがあり、とうしん出身の女性が舞糸市内にある当時の芸能事務所に所属した後というのか、音楽グループに所属しその後世界的にヒットを収めその後自身でレコード会社を立ち上げた後、舞糸市の建設課の建設デザイナーとしても手腕を振るい「竹子島一番の芸術都市」を作り上げました。その人の出身地から舞糸市へ直通列車を走らせるのは至極当然と言うことになったようで、それでかなった直通運転と言われているそうで一部の人からはその人の名前から「あみでん」といわれているそうです。

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