緑の谷・赤い谷

旧タイトル「猿と熊のあいだに(東赤谷)」。

はじめに

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はじめに

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「新潟県新発田市東赤谷」これが私の生れた故郷の住所です。 そこにはかつて日鉄赤谷鉱業所の社宅が存在し2〜4世帯入った棟割り長屋が50数棟ありました。また他の施設、関係各社の建物も含め、多い時には700〜800人くらいの人々が住んでいたのではないでしょうか。
 この社宅群の位置は、ほぼ北東に面していて前に飯豊川(加治川)の流れを見て、背後には山がせまる言わば河岸段丘の上にありました。
 ここで私は18歳の春までを過ごしました。それからもう半世紀近くにもなろうというのに、未だに強くあの頃のことが忘れられません。いや、年が経つとともにより一層望郷の念が強くなっています。それは、もう鉱山も閉じられ、鉄道も廃線となり、社宅群も跡形も無く今や草木生い茂り、猿や熊が出没し、まったくの自然に還った姿を目にしたせいかもしれません。
 今、あの地を見た人達が、かつて此処に何百人も暮らし、鉱山で働くために大勢の人々がここを通過して行ったなどと誰が想像できましょう・・・・。
 私は、せめて何かの形で故郷の証しを残しておきたいと思いました。このブログもその一つであってほしいと思っています。

★★★★ お願い★★★★
東赤谷や日鉄赤谷鉱業所に関する写真や資料がありましたらぜひお寄せください。
また、赤谷温泉ホテル、湯の平温泉の情報もいただけると嬉しいです。

写真:日鉄赤谷鉱業所社宅全景(日鉄鉱業四十年史より)

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