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悲しいニュースです。
この記事が事実なら、政治問題が人種差別に発展しています。
これらに事実を理解し、差別問題として取り組み、世界中に理解を求める必要を感じます。
日本の歴史を振り返ると、関東大地震の時、ヒステリー陥った人たちの恐怖感から出るデマが理解できますね。
それらの歴史を理解し世界平和のため理性的に発言をしていきましょう。
この記事の対処も、差別問題とし人権のあり方を世界中に訴える行動をしていきましょう。
必要ならば、人権団体を立ち上げ、事実を訴える組織を作るべきでです。
それも、政治色のない民間団体として作り運営でしていくべきだと考えます。
日本人として、世界平和を唱えるのならば人権問題は客観的に発言・行動を望みます。
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環境
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このニュースを読み、残念に感じた。
なぜなら、韓国の発展は目覚ましく発展してきたのに、国民性は何の成長も感じていないからである。
世界のルールは、盗品は善意の第三者でも元の持ち主に返却する方向に進んでいる。
所有を主張する人が多くても、歴史的な事実を検証し当事者同士の話合いで結論を得ている。
しかし、韓国は、自分たちの都合を声高に叫び行動している。
そこには、他者と同じテーブルに着き理解しあう行動がない。
自分たちの利害だけで動いている。
日本人の義務教育で勉強した「韓国併合」の事実は、韓国の政治家の混乱に嫌気がさした人たちの希望によりおこなわれた。
そのように勉強した。
そして、当時の韓国の社会資本に日本人の税金が投入された。
そして、当時は、現在の韓国人みたいな、自国のために他国を批判する国家が多く戦争に進んでいった。
対立は、対立しか生まず。
情けをかけて、相手と同じテーブルに着き交渉するのが世界平和にするための方策ではないでしょうか?
それらの事を、「歴史から学習できない韓国」は「成長できない国家」だはないだろう。
昔、日本の外交官の自伝を読んだ事がある。
その人の言葉で覚えているのは、「何もない時だからこそ、二国で話し合う事が大事だ。お互いの国家を理解しあう努力ができなくなると戦争になる。」このような発言をしていたと記憶している。
世界平和のため、「お互いの立場を理解した上で、話し合いをしていき、両国の理解を深める必要性を感じる。」
その事を理解できない韓国は・・・・・・
世界平和のために、「韓国」の成長を期待したい。
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日本海自護衛艦に対して火器管制レーダを照射した問題を考えてみました。
日本政府が問題を知り、抗議した後の中国の動きをみていると、政府が軍の暴走を黙認しているように感じます。
中国政府が事実関係を調査すると発言した後日本の捏造だと発言しました。
この事から、軍の勝手な暴走であると感じます。
そして、中国政府内の力関係が歪んでいる。
軍の発言が強化され、政府が軍を管理できなくなっている。
私たち日本人は、このような事を歴史で学びませんでしたか?
そう、関東軍の暴走です。
その結果、日本はどうなりましたか?
関東軍の暴走により中国との戦争に発展しました。
このときの問題も、政府が事実を認識せず、軍の言い分を盲目的に鵜呑みにした・
その結果、不幸な戦争に突入したくさんの死傷者が出ています。
この時と同じ事を中国政府はおこなおうとしているようにしか思えません。
中国の外交を見ていると、恫喝と服従をしいるように思えます。
軍隊が圧力をかけ、政府が言いがかりを強いて服従を強いる。
外交が右手で握手、左手に剣を持ち交渉する国家と違います。
右手で握手をして国家同士の理解度を深め、国家の利益のための恫喝。
このような駆け引きでの外交は、右手を離さなければ戦争にならないと感じます。
しかし、中国の外交は・・・・・
国家同士の信頼関係の構築を放棄し、国内の問題で外交をしている。
このような危険な国家に対してどのような方法があるでしょう。
中国が第二次大戦後武力で領土を広げてきました。
日本もその武力に脅える立場になってきました。
この先どうしたらいいのかを考える時代になってきたように感じています。
世界の中で、国家として一番たちの悪い国のように感じています。
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大阪の桜宮高の問題の会議での発言で、
「プランでは勝利至上主義に基づく指導を排除することなどが盛り込まれた内容だが、陰山氏は「(体罰問題について)あってはならないことだという反省が感じられない。桜宮の根本的な教育的責任が論じられていない」「市教委や桜宮高が真剣に受け止めているというメッセージがほしいが、この中にそのようなものが感じられない」と批判を展開した。」
の発言に対して長谷川氏は、
「せっかくの申し出だが、市教委で責任で解決したい」「府立高校の体育科もすさまじい背景を抱えているのではないか。自分のところの体育科がどうなっているか調べた上で、(市教委批判を)おっしゃってもらいたい」と語気を強めた。」
このような場所でこのような発言をする人物が死の教育委になる事の恐ろしさが今回の結果であるように感じる。
自分たちの今までの努力の結果さ、最悪な自殺者を出してしまた。
その結果、他の方からのアドバイスが必要だと判断されているのにもかかわらずの長谷川氏の発言。
単純に責任転換をしているとしか思えない発言である。
市教委がこのような人ならば、教師も責任転換にたけた人が主流になりこのような問題を起こしたのだろうと考える。
そのように考えると、「桜宮高の生徒による記者会見が理解できる。」
この問題の本質は、「学校の体面を一番大事にして、生徒が本来学ぶべき基本的人権、権利・義務などをおざなりにした事が問題だと考えます。
そして、生徒にそのような事を理解させていない教育がおこなっている。
それを正す為に、市長・教育委員の方が考え議論して方針を述べ変化させている。
それを、「生徒が、自分たちの考え意見を述べる。」この発言の間違いを理解してほしいものです。
生徒の、無責任な発言を取り上げるマスコミももう少し考えを深めてほしいと感じました。
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年明け早々本屋で「生きるという事・死ぬという事」が目にとまった。
それがきっかけになり考えだした。
昔、哲学の講義で、「人間は考える葦である。」と習った。
人間とは、考える事ができるから他の動物・植物との違いである。
考える事・・・・
何に対して、
幸せになる事。
幸せになる方法、
不幸をなくす。
人間関係の不幸をなくす、
先人の知恵、礼儀作法、他人に対しての気遣い。
一つの回答は、先人の知恵を学び行動に結びつける。
しかし、生と死を考えた場合。
生きる意義とは、
動物としての本能である。
自分が幸せになるため。
自分が幸せになるためには、
不幸にならない努力をしながら他人にも与える。
他人に幸せを与えて、初めて自分の居場所ができ幸福感を高められる。
それが、生きるという事。
死ぬという事は・・・・
人は一人では生きられない。
死に対しても一人では死ねない。
人は、大往生すると家族に看取られ、過去を懐かしみながら穏やかに送られる。自分が生きたあかしとして、家族の思い出の一つとして。
しかし、自殺をした人たちは、本人も自殺を考え始めた時から、他の人と対立が生まれ、忘れたい記憶になる。
葬儀も、悲しい記憶、不愉快な記憶になり、家族の記憶から埋没してしまう。
自殺をした後まで、自己否定される人生として終わってしまう。
自殺する本人も、実行するまで、死ぬ方法を考え、自己否定を続けネガティブ感情で死ぬことしか考えていない。
それって悲しい事。
生きる事も死ぬ事も、同じ要素で成り立っているように思います。
一つの要素の切り口の違いではないでしょいうか。
少し、切り口を変えて現状を考えてみれば見方が変わるでしょう。
哲学で習った「無知の知」。
私たちは、「無知である事を知っています。知っているからこそ知識を学び経験していかなければなりません。その知識の中に物事の見方は多様であることを知らなければいけない。」
「多様であるからこそ、本質は同じである事に気が付くのです。」
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