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矢吹康夫, 2010,「アルビノ萌えの『後ろめたさ』からの逃走」倉本智明編『手招くフリーク――文化と表現の障害学』生活書院, 44-76.
まず、生活書院の詳細ページはこちらです。他にも興味深い論考が並んでいます。特に第3章の西倉実季さんの「『異形』から『多様な美』へ」は、ポジティブ・エクスポージャーについて論じているので、このブログでもいずれ紹介したいと思います。 お買い求めいただければとてもうれしいです。上記の表紙写真をクリックするとAmazonにジャンプします。また、お近くの図書館にリクエストしてくださるのも大歓迎です。 なお、いくつか紹介してくださっている方々もいます(版元の生活書院ブログも含みますが)。ありがとうございます。 生活書院ブログ 感じない男ブログ MELANCHOLIDEA 書評空間 フリーライター・石井政之書評ブログ たわしの「対話を求めて」ブログ 僕が担当したのは第2章「アルビノ萌えの『後ろめたさ』からの逃走」です。 内容は、海外と日本それぞれのアルビノが登場する作品を比較したうえで、日本のオタク文化圏における「アルビノ萌え」という現象について論じました。アルビノかどうかはっきりしてないキャラクターをめぐって「あれはアルビノだ」「いや、アルビノではない」と熱心に議論してる人たちがいて、さらには「アルビノだけど、あくまで二次元の話であって、現実の当事者とは関係ない」と言い張る人もいます。 実際にそれがアルビノかどうかはどうでもよくて、僕が注目したのはそのキャラクターをめぐって出てくる、制作者や読者・視聴者の主張や言い訳です。詳しくは読んでいただきたいのですが、結論は、碇シンジくんの言葉を借りれば「逃げちゃダメだ」です。 さて、『手招くフリーク』が出て以降、友人や知人から「○○というアニメ/マンガに出てくる□□というキャラクターってアルビノなの?」とか「アルビノっぽいよね」と聞かれることが増えました。心の中では「知らんがな」とつぶやいてますが、口には出しません。 基本的に読者・視聴者の解釈なんて好き放題にできるわけであって、誰が何を見て「アルビノっぽい」と思うかなんて知ったこっちゃありません⇒ ⇒(ついでにいうと、フィクションに限らず、歴史上・伝説上の人物についても同じです⇒ ⇒)。くり返し強調してますが、アルビノと見なされると都合が悪い人が言い訳したり、「私のはポリティカリー・コレクトなアルビノです」と正当化に走ったりするのが、僕にとっては面白いんです。 なお、このブログでもフィクションとアルビノについて継続的に書いていくつもりです⇒。あと、『手招くフリーク』で言及したのも含めて、作品とキャラクターをリストアップしておきました⇒。 |
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