アルビノについてのマニアックな知識をひけらかすブログ

長いので「アルビノについての(略)ブログ」でいいです。基本的に文献レビューです。

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三浦哲郎の概略

   別のところでも簡単に書きましたが、三浦哲郎について概略くらいまとめておいたほうがいいだろうと思ったので、概略です。今さら大丈夫だと思いますけど、「てつろう」ではなく「てつお」と読みます。

   一般的な概略としてはおそらく亡くなった直後の新聞の訃報が最も手短でしょうから、以下、亡くなった翌日の主要紙の記事です。なぜこの5紙になったかといえば、便利なデータベースがあるからです。
   そんな事情もあって、これはあくまで中央の新聞の(東京版の)報じ方だという点には注意が必要です。東北の各新聞社の報じ方とは違います。

「三浦哲郎さん死去――『忍ぶ川』で芥川賞」『朝日新聞』2010年8月30日朝刊.
「訃報 三浦哲郎さん 79歳――作家、日本芸術院会員」『毎日新聞』2010年8月30日東京朝刊.
「三浦哲郎さん死去――作家 『忍ぶ川』短編の名手 79歳」『読売新聞』2010年8月30日東京朝刊.
「三浦哲郎氏死去、小説『忍ぶ川』」『日本経済新聞』2010年8月30日朝刊.
「『忍ぶ川』で芥川賞受賞 三浦哲郎さん死去 79歳」『東京新聞』2010年8月30日朝刊.

   朝日と読売には文芸評論家の秋山駿の短いコメントが載っていますが、親交が深かった人たちの追悼の言葉などが掲載されるようになるのは翌々日の31日以降です。30日の段階ではまだ訃報を伝える署名なしの記事です。
   で、いくつか読んでみると気づきますが、訃報記事の書き方というのは定型化されているみたいで、どの記事もほぼ同じ内容・構成になってます。だから、それをまとめれば一般的な概略がわかるというわけです。
   まず、芥川賞受賞作の「忍ぶ川」が代表作として認識されていることは見出しだけからでもわかります。記事の冒頭でも必ず「忍ぶ川」に言及してから作家の三浦哲郎さんが亡くなったと報じ、次いで亡くなった日時や死因と、葬儀の概要です。
   その次に生い立ちや学歴・職歴で、「青森県八戸市生まれ。兄が2人、姉が3人いたが、長兄は失跡し、長姉と次姉は自殺した。1949年、早稲田大に入学したが、次兄が失跡した関係で帰郷。中学教師をしながら小説を書き始めた」(毎日)、「青森県八戸市に生まれ、早稲田大に進学するが、世話になっていた次兄が失踪したため、郷里に戻って教師を務める」(日経)、「6人きょうだいの末弟で、20歳になるまでに2人の姉が自殺、2人の兄が失跡。文学を通して、この滅びの血の問題と向き合う」(朝日)、「1949年、早大政経学部に入学したが、次兄の失跡を機に帰郷し、中学校の教師に。幼いころから相次ぐ肉親の不幸から文学の道に入った」(東京)など、おおよそ同じ内容です。で、1953年に早稲田大学に再入学し、井伏鱒二に師事し、1960年に「忍ぶ川」で芥川賞を受賞したと続きます。
   作家として一本立ちして以降については「若くして命を落とした兄や姉らを、故郷の風土を背景に次々と小説に描き」(読売)、「兄や姉を相次いで失った体験や東北の風土を色濃く反映させた作品を精力的に発表した」(毎日)、あるいは「原稿用紙十数枚の中に様々な人生を凝縮させ」(朝日)る「短編の名手として知られる」(読売)作家という紹介のされ方です。
   それから受賞歴も列挙されていまして、1976年「拳銃と十五の短篇」で野間文芸賞、1983年「少年讃歌」で日本文学大賞、1985年「白夜を旅する人々」で大佛次郎賞、1990年に「じねんじょ」で、95年に「みのむし」で川端康成賞を2度受賞してます。基本的に受賞作が代表作という扱いなんですが、それ以外だとメディアミックスで展開して有名な作品として、劇団四季のミュージカルになった「ユタと不思議な仲間たち」や「忍ぶ川」が映画化されたことも書いてあります。その他だと、各紙とも自分とこの新聞に連載していた作品名をあげています。
   あとは、日本芸術院会員だったことや芥川賞選考委員だったことにもふれています。そして、2001年に脳梗塞で倒れ「創作から遠ざかりがちだったが」(朝日)、「療養しながら執筆を続け」(東京)たとあって、最後に直近の作品として『おふくろの夜回り』をあげて締めくくっています。

   素朴に疑問をもったのは、兄や姉を描いたものよりも母を描いた作品のほうがおそらく多いと思うんですが、そのことへの言及が(『おふくろの夜回り』以外には)全然ないですね。
   また、上記ではだいぶ省いてしまいましたが、どちらかといえば「私小説」というよりも「短編」のイメージが強いという紹介のされ方です。
   それから細かいことですが、三浦作品はもちろん、批評や論文などに目を通すと、ほとんどが「亡びの血」なのに、ここでの朝日だけが「滅びの血」と表記してます。なぜでしょう。

   さて、訃報を伝える手短な新聞記事からわかるのは、三浦哲郎という人物が一般的にどのように認識されているのか、どんなことで有名なのかということだけです。実際にどのような人物だったのかはわずかしかわからないので、もっと詳しく知ることのできるものをもう少し紹介します。
   どんな作品を書いたのかは、『雪の音、雪の香り――自作への旅』 (1994年、新潮文庫)が手に入りやすくわかりやすいと思います。それまでに発表してきた作品について、三浦にとって思い入れのある場面も抜粋しながら、それを書くにいたった経緯やその当時の生活ぶりやエピソード、作品の題材となっている家族や自身の経験のこと、さらには批評に対する反論なども読めます。
   どんな人物だったのか、あるいはどんな土地で暮らし、どんな人たちとともに人生を歩んできたのかを知りたいなら、日本経済新聞に連載されていた「私の履歴書」を収録した随筆集『母の微笑』(2001年、講談社)がお勧めです。また、家族のことや過去の経験、身近な出来事については小説・随筆を問わず数多くの作品を残しているのでそれらからもわかります。
   作品と人物について1冊でコンパクトに知りたいという人には、デーリー東北新聞社から出ている『作家生活50年 三浦哲郎の世界』 (2005年)がベストだけど、Amazonとかでは買えません。僕は直接デーリー東北新聞社に電話して注文したんですが、対応してくれた人は昔うちの近所に住んでいたらしくて、発送先住所を言ったらすごく懐かしがっていました。余談ですが。
   それから三浦哲郎についてもっともっと詳しく知りたいという人は、三浦哲郎文学を読む会のブログを見てください。情報量の多さに圧倒されます。そちらの記事では、三浦哲郎の人となりを知るためにお勧めしたい作品として、上記の他に『笹舟日記』(1975年、新潮文庫)もあげられています。



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