第65話

夜が更けて、オンナがうとうとしていたとき
玄関のドアが開く音がした。
高之だった。
少し足元がふらついている。
酔っているらしかった。

高之はオンナが寝ているのを見て
小さな小箱をテーブルの上に静かに置いた。

祥子に渡しておいた携帯が、布団の上に
転がっている。
「使い方、わからなかったとかいうんじゃ・・・」
そう言いかけて、画面に目をやると
打ちかけのメッセージがあることに気づいた。

それを読んだ高之は、携帯を置き上を見上げた。
一つ深呼吸をしてから、寝ているオンナに
顔を向けたとき、目から大粒の涙が1つこぼれ落ちた。

「なんでだよ・・・」
高之はすすり泣いた。

「死ぬなよ、頼むから。
俺を一人にして行かないでくれよ。
どうして死ぬんだよ。
頼むから、行かないって言ってくれよ!」

その声にオンナが目を覚ました。
「あ、おかえり、高ちゃん」

そう言ってすぐにまた目を閉じようとするオンナの肩に
高之の肩が重なった。

高之の息はたばこと酒の匂いでくさかった。
だが、オンナはそのまま動かなかった。
自分の頬に高之の涙が落ちてきたからだった。

初めて出会った日からたぶん好きだった。
その気持ちは今でも変わらない。

「高ちゃん、お願いがあるんだけど」
しばらくしてそう言うと、きつく抱きしめていた
腕を高之がほどいた。
泣いて真っ赤に腫らした目だった。
「二人の結婚式、したい。」

高之は困惑した顔を見せた。
オンナは来ていたパジャマのボタンを
ゆっくりとはずした。
痩せ細った肩が現れた。
それから高之の顔を両手でやさしく覆った。
唇を重ねると、しょっぱい涙の味がした。

生まれて初めて、好きな人と心を許しあう。
触れ合う。
そう考えるだけで熱いものがこみあげてきた。

好きだった。
高之がずっと好きだった。
腕を伸ばせば抱きとめてくれる。
自分が欲せば相手も欲してくれる。
高之と1つになれることが嬉しかった。

第64話

オンナはうなされていた。
以前、よく見ていたあの夢だった。
いつものようにあのだらだら坂を自転車を押しながら
のぼっていて、何か大きな力につかまりそうになる。
必死で逃げるのだが、逃げられない。
自転車を放り出したいのに、それもできない・・・。

そこへ手が差し伸べられた。高之の手だった。
必死でその手をつかもうとしたが、だんだんと
高之の手は離れていき、つかむことができない。

「待って、高ちゃん!」
自分の叫ぶ声で目が覚めた。

もうろうとする意識の中で、自分がまだ布団の中に
いたことを思い出した。かなり気分が重い。
ふと台所をみると、夕方の日差しの中に
ぼんやりと人影が見えた。
目をこらすと、それは祥子だった。

「大丈夫ですか?うなされてたみたいでしたね」
と、水を持ってきてくれた。

「朝から何も食べてないんじゃないですか?
おかゆ作ったんですよ、食べますか?」
祥子はまるで何もなかったかのように振舞った。

その様子にオンナがきょとんとしていると、祥子が笑った。
「ご迷惑でしょうが、お世話させてくださいね」
おかゆに小さく刻んだ梅干がのせてあった。
食欲はなかったが、食べれそうな気がした。

「高之さん、今晩は帰ってくるといいですね」
オンナはドキッとした。
今頃高之はどこで何をしているのか。
高之にすごく会いたい。
だが自分のしたことを考えると、
合わせる顔がないとも思った。

「あんなに大事に想ってくれてる人がいて
いいですね。うらやましい」
祥子は言葉を選びながら、あまりたくさんは話さなかった。
オンナのことを気遣っているのだろう。

茶碗に半分以上残ったおかゆを下げながら、
「また、明日来ますね」と言って片付けし始めた。
祥子が「じゃあ」と言って玄関に向かったとき
オンナは小さい声で「祥子さん」と呼んだ。

「ありがとう」
少し振り返った祥子の頭が小さくうなずいた。

玄関の扉が閉まり、部屋にまた
一人ぼっちになった。
オンナは大きく深呼吸した。

私も何かしなくては。
そのためには私は変わらなくてはいけない。
なぜかそういった気持ちが心の中を大きく占めた。

このまま、死んでいいのか。
なにか、ちゃんと、やるべきことがあるはず。
それが何なのかわからないが、あきらめずに
さがそう。ほんとうに何もできなくなるまで
自分にしかできないことをやろう。

ふと枕元を見ると、見たことのない携帯が
置いてあった。横に小さいメモがあった。
「高之さんからのプレゼントです」
オンナの顔が赤らんだ。

高ちゃんに会いたい!
高ちゃんと話したい!

高之の携帯に電話してみたが、つながらなかった。
思いついて、メッセージを打ってみることにした。

高ちゃん、ごめんね。
私、間違ってました。
祥子さんっていい人です。
高ちゃん、好きでした。ずっと前から。
たぶん初めて会った日から。
弁当工場、毎日大変ですか?
私にできること、ないですか?
ユキは元気に会社でがんばってるのかな?

手紙ともメモともとれない文章の羅列だった。

高ちゃんに会いたい!
ユキと話がしたい!
もっともっと生きていたい!

送信方法が分からなくて、そのまま携帯を
胸に抱きしめた。
オンナの目から涙がこぼれた。
外では、冬の寒風が吹き、木の枝を激しく
ゆさぶっていた。

第63話

朝、目が覚めると娘のユキは
もう会社に行ったのか姿がなかった。
オンナは見飽きた天井をぼんやりとながめた。
天井の隅っこにできたばかりのクモの巣がある。
掃除しなくては・・・
でも立ち上がる気力も体力もなかった。

そうか、祥子さんに頼めばいいのか。
そう思うのと同時に昨日の電話のことを思い出した。
怒りをあらわにしたメッセージを
祥子はどう聞いたのだろう。

オンナは頭を横に振った。
もう自分には関係ない。
あんなメッセージを残せば祥子はもう来ない。
忘れよう。
どうせ私が死んだあと、好きなように
悪口でも言ってくれればいい。

そうやって布団に入ったまま昼が過ぎた。
少し空腹を覚えた頃、高之が帰ってきた。

「高ちゃん!」
昨夜戻って来なかった高之がなつかしく、恋しかった。
「昨日は忙しかったの?」

工場で作られたばかりの弁当を
流しのわきに置くと、高之は
返事もせずに水にコップを注いだ。

「どうしたの?ちょっと疲れてる?」
高之は、オンナの顔を見ようとしなかった。

飲み干したコップを置き、
「祥子さん、来てないんだね」
そう高之が言うとオンナは黙って
視線をそらした。
二人の間に気まずい空気が流れた。

「わかんないよ、もう・・・オレ」
そう言って高之は苦しそうな顔を見せた。
「いいと思ってやったことなのに、
こんな風にされると・・・」
オンナはようやく自分のしたことが
高之を傷つけたことに気づいた。

「祥子さんのどこが不満なんだ?
一生懸命やってくれてたじゃないか!
金銭一切受け取らずにやってくれる人に、
どうして『もう来ないでください』なんて
言えるんだよ!いくら病人だからって
甘えるのもいいかげんにしてくれっ!」

高之に怒鳴られてオンナは布団の中で
怯え、震えた。その萎縮したオンナの姿に
耐えかねた高之は、玄関のドアを大きな音をたてて
閉めて出て行った。
階段を荒々しく下りていく靴の音が響いた。

オンナの目から涙があふれ出た。
体の中を激痛が走った。
苦しかった。
体も心も苦しかった。

息ができない・・・
誰か助けてぇ・・・・

乾いた口をパクパクさせたが、
声にならなかった。
だんだんと意識が遠のいていき、
天井が暗くなって、そして見えなくなった。

62話

7時を過ぎて、オンナのアパートにやってきたのは
娘のユキだった。新婚旅行から昨夜戻ってきて、
母親の様子を見にやってきたのだった。

暗い部屋に母が寝ている姿を見つけ、いつもと
その様子が違うことをすぐに感じた。

電気をつけ、布団の傍らに座ると、おそるおそる
目を閉じている母の顔をのぞいた。

「お母さん、どうしたの?どこか痛いの?電気もつけないで・・・」
母親はゆっくりと目を開け、娘の顔を見た。
「ううん。ちょっと眠ってただけ」
ため息をつくとすぐにまた目を閉じてしまった。

ユキは仕方なく部屋の中を見回し、台所へ戻った。
あたためればいいように味噌汁や焼き魚、
里芋のにっころがしが用意してあった。
「祥子さん、来てくれてるんでしょう?」

自分の父親がまだ生きていて、しかも結婚相手の上司だった。
そのことを新婚旅行の最中に岡部から聞かされ、驚いた。
だが、不思議なことに怒ったり気持ちが動転するようなことはなかった。
やはり山之内のことを以前から知っていたせいだろう。
似ていると自分でも思ったし、母に確認しようともした。
むしろ、死んだと思っていた父親が存在していたことが
嬉しかった。

「祥子さん、どう?よくやってくれてるの?」
母親の顔を遠目に見たが、まだ目を閉じたままだった。

そのうちユキの携帯が鳴った。
高之からだった。
「もしもし?」
電話の相手が高之らしいと分かると
オンナは目を開いた。

「うん、わかった。じゃ、今夜は私がここに泊まるから。
はい。おやすみなさい。」
味噌汁をあたためながらユキは携帯を切った。

「高ちゃん、なんて?」
「今日はちょっと遅くなるから、私にここに泊まってって」

遅くなることなど最近なかったのに・・・。
「なんで遅くなるか、言ってた?」
「ううん。言ってなかったけど。仕事、忙しいんじゃないの?」
そう言ってユキはガスの火を止め、味噌汁を注いだ。


一方の高之は、工場の事務室で机の上に置いた携帯を
無言で見つめていた。さっきユキには言わなかったが、
祥子から電話があった。そのことが、頭から離れなかった。

祥子は、留守番電話に「もう来ないで」という
メッセージが残っていたこと、経験上、こういった
ケースの場合大体は患者がうつ状態になっている
可能性が高いことを告げた。

高之にはわからなかった。
オンナの心の中で一体どういう変化が起こっているのか。

手を伸ばすと元気なときにオンナが作ってくれたメニュー本が
あった。その表紙を見ると、悔しくて涙が流れた。
よかれと思ってしたことなのに・・・。
なんで、俺に相談もなく・・・。

工場を後にした高之は、寒風が吹くなか、力なく歩いた。
町の商店街の灯りもまばらで、シャッターも下りている。
遠くで犬の遠吠えが聞こえていた。

第61話

それから数日して、祥子が看護に来て
くれるようになった。

朝一番にまず顔を洗ってくれて、洗髪し、
今日一日どう過ごしたいかを聞いてくれる。
それから掃除、洗濯をすませて買い物に出かけ
オンナが食べたいものを買ってきてくれる。
お昼はいつも高之が弁当工場から持って
きてくれていたが、すでに食欲が落ちているため
食べられないものもあって、祥子が別に
作ってくれる煮物などがありがたかった。

午後は、体を拭いてくれ、爪を切ったり
してくれた。夕飯の準備もできるところは
オンナに手伝わせてくれた。
その後は高之が戻ってくるまでの間
新聞を読んでくれたりして、オンナが
退屈しないように気をつかってくれた。

オンナよりも年上の祥子の顔には深いシワもあり、
白髪もちらほらしている。それにもかかわらず
祥子は、トイレや休憩するために席をたつことも
ほとんどなく、細い体つきに似合わず精力的に
いろいろとこなしていた。

祥子の働きぶりには文句のつけようがなかった。

そんな祥子を見ていて、オンナの中には
どうにも言いがたい気持ちがだんだんと
湧き上がってくるのだった。

祥子さんは、私の世話をして生き生きとしている。
それに比べて何もできない私・・・
死ぬまでの残された時間をこうやってじっと
待っているだけの情けない私・・・

祥子が帰って行ったあと、
薄暗い光の中で、オンナは窓の隙間から
夕方のぼんやりと雲がかかった月を見ていた。

どうしようもなく怒りがこみあげてきて、
抑えられなかった。
祥子は自分にないものすべてを持っている。
憎かった。

「あの人、じきに死ぬのよ。あとちょっとの辛抱よ」
家に帰ればきっとそんな風にあざけ笑っているに違いない。
私の世話だって、自分の自己満足のため。
私が死ねば、ユキの母親面だってできる。
私のことはうまく利用してるだけ。
許せない!そんなことぜったい許せない!
そんな妄想が頭の中を占めていった。

祥子が憎かった。

オンナはとうとう我慢できなくなって電話を引き寄せた。
そして祥子の家の電話番号をダイヤルした。

さっきここを出たばかりの祥子が電話口に
出るはずもなく、すぐに留守番電話のメッセージが
流れ始めた。
オンナは一瞬、たじろいだ。
飲み込んだ唾が喉を下っていった。

「祥子さん、私、です。」
言葉が途切れた。
一呼吸おいた。
「すみません、明日から、もう看護は要りません!
だから、もう二度と来ないでくださいっ!」
と一気に言い放つと急いで受話器を置いた。

自分でもその怒鳴り声に驚いた。
どうしてそんなことを言ってしまったのだろう。
自分で自分が分からなかった。

親切で看護してくれている祥子に
こんな仕打ちをしてしまった。
深く後悔した。
涙が出て止まらなかった。
自分の馬鹿さ加減が情けなかった。
しかしなによりもこんな風になってしまった
自分の体が情けなかった。

悲しい・・・
寂しい・・・

誰か助けて!
お母さん、お母さん・・・
今すぐここに来て、私のことを
抱きしめて欲しい・・・
そして優しく大丈夫よと言って欲しい・・・

冬の夜の訪れは早かった。
外では木枯らしの中、家路を急ぐ人の
足音が響いていた。

オンナは部屋の明かりもつけずに、
布団にもぐって嗚咽するばかりだった。

第60話

夜も9時を過ぎて、新郎と新婦は新婚旅行へ
発つべく、式場の寺を出た。
最初、海外旅行に行きたいと言っていたが、
結局二人は、週末を利用しただけの、
近くのスキー旅行に変更したのだった。
貯金もそんなにないしね、とユキは笑っていた。
オンナにいつ何があるかわからない今だけに、
連絡がつかなくなるような場所には行けない。
誰もそんなことは言わないが、それが
本当の理由であることをオンナは知っていた。

式の後片付けを手伝いながら、高之は
今日の式が無事に済んだことにまずは安堵していた。
オンナには山之内を招待していたことを黙っていた。
今日の式での再会に、オンナはきっと衝撃を受けたことだろう。
だが、そうすることが一番いいことだったのだと考えた。

片付けを手伝っている高之に住職が声をかけてきた。
「人生は、長ければいいというわけじゃなくてね」
高之は驚いて住職の顔をみた。
「『人生』とは、人を生きること。自分の『人生』を
まっとうすれば、それが長いか短いは大事じゃない。
周りの人間にできることは、その人がどうやって
『その人らしく生きるか』を見守ってやることだよ」
今の自分の気持ちをこの住職はすべて見抜いている。
そんな気がした。

先の短いオンナを何とか喜ばせてやりたい。
だが一体自分のやっていることは正しいのか。
本当なら、ちゃんとした病院にむりやりにでも入れて
治療させてやるべきじゃないのか。高之の心には
いつも不安と葛藤があった。

住職がテーブルの上に残った酒と盃を探し、
高之に渡した。なみなみとつがれた酒が
こぼれそうになるのを、高之は黙って見つめた。

ゆっくりと目をつぶった。
それから深く息を吸い、吐いた。
そのあと、のどにたまった何か苦しいものを
流し込むように、一気に飲み干した。

孤独だった。
今日のにぎわいの中で、オンナは笑顔を見せ、
幸せの涙を流していた。
そんなオンナが逝ってしまう日のことを考えると
恐ろしく、悲しかった。そして何よりもさびしかった。

         ★ ★ ★

先にアパートに戻っていたオンナは、妹の信子に
風呂に入れてもらい、パジャマに着替えていた。

娘のユキの結婚式という晴れの日を終え、
緊張と驚きで疲れていた。
それに気づいているのか信子は、田舎の実家でのことやら、
父や祖母の容態、今年の田んぼのことなんかまで話をして、
和ませてくれた。話すうちに気持ちも落ち着いてきて、
披露宴ではあまり食べれなかったのに、
急に空腹を覚えた。

「高之さんに電話して、何か残ってるものがないか
聞いてみるね」
うなずいて、オンナは布団に横になった。

「もう少しで後片付けも終わるから、そしたら
赤飯かなんか、持って帰ってくるって。それまでは
私もここに居るね」
信子は弟の運転する車で田舎まで帰ることになっていた。
本当なら泊まって行ってもらいたいところだった。

「ホテル、とろうか?」
何度も言ったのだが、すでに「子供が待ってるから」と
断られていた。16で家を飛び出してから、
姉として何もしてやれなかった。
だから今夜くらい、一緒に床を並べてゆっくり
語り合いたかった。

二人で昔話をしているうちに、高之が戻ってきた。
冷えて少し固くなった赤飯を信子が少し蒸して
あたためてくれた。滅多に赤飯など食べるなど
なかったが、ごま塩が効いて、美味しかった。

「じゃあ私はこれで。またすぐ会いにくるから」
妹の信子は姉に再会を約束して、帰って行った。
信子はオンナに気づかれたないように、涙をそっとぬぐった。

外は寒い風が強く吹いていた。去って行く信子の
ヒールの音が路上に響いていた。

浴室から高之がシャワーを浴びる音がしていた。
それを聞きながらオンナは、布団の中で
ぼんやりと天井を見つめていた。
今度信子にはいつ会えるのだろう。
そのときはもっと昔のことを語り合えるだろうか。
それとも、そんな日はもう来ないのかもしれない・・・。

オンナの目に、大きな涙の粒があふれ、何度も頬をつたった。

第59話

式が終わって、小さいながらも
祝宴の席となり、岡部とユキが
それぞれに挨拶している。
オンナの弟や妹も嬉しそうに
お祝いを述べている。

二人の幸せそうなその姿が
ほほえましかった。

宴会も引け、そろそろ片付けが
始まったとき、それまでずっと
オンナを避けていた山之内が
そろそろと近づいてきた。
「ユキさんのことで、お話があります」

そう切り出すと山之内は、妻の方を見た。
痩せた女性で自分より多少年上だったが
ずいぶんと老けて見える人だった。

「実は私ども、3年前に一人息子を
亡くしておりまして」

山之内は妻の祥子がその喪失感から
軽いノイローゼにかかってしまったこと、
若気のいたりでできてしまったユキではあったが
すでに岡部を通して見知っていたため、
悩んだ結果、打ち明けることにしたということ。
そして二人で話し合って認知したいと
決めたことを語った。

オンナはおどろいた。
そして、どう答えていいのか
わからなかった。
高之を見上げたが、またもや
黙ってうなずくだけだった。

山之内には自分とは関わって
欲しくないと思っていた。
高之にその旨を書いた手紙を送って
もらってもいた。
忘れ去りたい過去のことだった。
絶対に打ち明けないと決めた過去の
ことであった。

「それに奥さんの祥子さんは看護士をされて
いたことがあって、お母さんの看護を
ぜひさせてもらえないかと言っておられるんです」
いつの間にか隣に座った岡部が加えた。

すると祥子が横から
「ぜひ看護させてください。お役に立つよう
がんばりますから」と頭を下げた。

本当におどろくことばかりだった。

「すみません、急なことばかりで・・・」
困惑を隠せなかった。
ユキは、まだ白無垢姿で座っていた。
住職の話を窮屈そうな表情で聞いていた。

「あの子、知ってるんですか?」
高之が首を振った。

オンナには何をどう考えていいのか、
わからなかった。

境内の色づき始めた木々の紅葉に
夕焼けが映えて美しかった。
表の通りをバイクがスピードを
あげていく音だけが聞こえていた。

第58話

岡部とユキの結婚式は、11月半ば過ぎに
行われることになった。

すでに床から出ることが困難に
なっている体を気遣い、場所には、
オンナの住むおんぼろアパートのすぐ隣にあった
寺が選ばれた。

気持ちよく晴れた土曜日の午後だった。
冷たい風が吹いていたものの、
太陽の光線がひさしぶりに外に出た
オンナの頬を優しく包み、心地よかった。

「いよいよだね」
地味なスーツを身につけ薄化粧をした
オンナの顔を、高之がのぞきこんだ。
自分もひさしぶりにいい背広を着込んでいた。
その姿に、はからずもオンナの頬が赤らんだ。
本来であれば、花嫁の母親である自分も
着物を着たいところだった。
それを察したのか、高之が
「パジャマも似合うけど、スーツも悪くないよ」と
茶化した。
 
招待された客がだんだん寺に到着し始めた。
主に岡部とユキの友達や会社の同僚だったが
弁当工場からもいつものメンバーが顔を
出した。社長やゲンさんの姿もあった。

オンナの実家からは弟と妹が参加して
くれる予定だった。
祖母と父は高齢を理由に参加できなかったが
後日、新郎新婦が挨拶に行くことにしていた。

父が来られないと聞いて、
オンナはがっくりした。
家を飛び出したのは自分なのだから、
仕方がない。そういう父なのだ。

孫娘の結婚式に自ら足を運んでくれず、
最期が近い自分に会いにも来てくれない。
父は、どこまでも頑固だった。
憎みたかった。
そして、悲しくさびしかった。

高之が用意してくれていた車椅子に乗り、
控え室をのぞくと、文金高島田を結ったユキが
静かに座っていた。

「お母さん」
ユキがあらたまって声をかけた。
とうとう来た、と直感した。
自分もそうだが、娘のユキもまた
古い人間なのかもしれない。

「長い間お世話になりました。
これからは岡部さんと結婚して幸せになります」

三つ指をついたユキが顔を上げると、
オンナの目から次から次へと涙があふれ出た。
「おめでとう」
そう言うのが、せいいっぱいだった。
ユキまで泣いてしまい、化粧くずれすると言って
慌てて笑った。

仏間で、結婚式がしめやかに始まった。
長時間座っていられないため、寺のはからいで、
布団を敷いてもらっていた。

控え室からユキを先導し、
最後に席に加わったオンナは
客席を見ておどろいた。
山之内の後ろ姿を見つけたからだった。
妻と思われる女性と並んで座っている。

急いで高之に目で知らせたが、
ただうなずくだけで、何も
言ってくれない。

どういうことだろう。
山之内だけには来てもらいたくない、
高之もそれは知っていたはずだった。

聞き質したくてもそうすることが
できず、順調に式が進むなか、
オンナは山之内の後ろ姿ばかりを
見つめた。

寺の境内の木に留まっているのだろう、
山鳩がくーくーと鳴く声が
近くでこだましていた。

第57話

数日後、結局、誰にも相談することなく
高之は結論を出した。

「こっちはうまくやっておくから、
ユキちゃんに安心して結婚式の
準備するように、伝えてくれ」
電話口でそう告げた。
「いいんですね?山之内さんのことは。」
岡部の言葉に、高之は「あぁ」とうなずいた。

二度と連絡してくれるなと言っていたくらいだ、
招待しても山之内が出席してくれるかどうかは、
わからない。きっと、どうしても抜けられない
先約があるとかなんとか理由をつけて、
断ってくるだろう。

次は、オンナにどうやって打ち明けるかだった。
自分の死が近いせいで結婚式を早めるなどと
思わせたくなかった。

いったん決めたものの、どうやって
切り出したものか、なかなかチャンスが
やってこなかった。
止めていたはずのタバコに、また火を
つけるようになっていた。

ある夜、二人で夕食をとったあと、
たばこを吸いに出た。
部屋に戻ると、オンナが聞いた。
「仕事のことで、何か悩んでることでもある?」
高之はオンナの言葉に、振り返った。
「いや、ないよ。」
わざとぶっきらぼうに答えて、背を向けた。
「そう・・・」
オンナは高之がやめいていたタバコを
また始めたことを不審に思っていた。

チャンスだった。
「ユキちゃんがさあ、どうやら結婚を早めたいって
言ってるらしいよ。気が変わったかな」
夕飯を片付けながら、さりげなく言った。
顔はあげなかった。
オンナは黙っていた。

自分の死は近く、恐らく式を予定している
春までもたない。それを知って娘は
花嫁姿を見せてくれようとしている。
母と娘の暗黙の了解だった。

部屋の中は沈黙が続いた。
高之が落ち着かない様子で新聞を広げると、
布団の中でオンナが体を高之の方に向けた。
「早く、ユキの花嫁姿が見たいな」
そうつぶやくと、顔をあげた高之の表情が
明るくなった。
「そうだな、きっと綺麗だよ」

その夜、高之は寝付けなかった。
横で寝ているオンナの顔を見た。

結婚式か・・・。

高之は自分の人生を顧みた。
大学の時に知り合ったみさとと結婚して、
幸せだったのは最初の数年だけだった。
毎日、夜遅くまで仕事をし、
週末もほとんどなかった。
がむしゃらに一生懸命働くことが、
幸せな家庭を築くことだと思っていた。
だがそれが、家にいるだけのみさとを
退屈させてしまった。

「もう少し自分が変わっていれば・・・」
「あのときああしていれば・・・」
と、思わないでもなかった。
だが、自分を責めるのは離婚したときに辞めた。
自分も接点を見出せなかったが、
みさとも歩み寄ってはくれなかった。
二人はしょせん違う世界の人間だったのだ。
そう思うようになった。

横で寝ているオンナが寝返りをうった。

その寝顔を見ていると、同じ女でも
こうも違うのかと思わされる。
きっとみさとと同じように普通に結婚して、
普通に幸せをつかむことだってできただろう。
なのに若さゆえのいたずらで、
すべてをあきらめた人生だった。

オンナの病気がすべて嘘で、
死がせまってなどいなければ、と
つくづく思う。

地味で目立たない。
そのくせしっかりと地に足をつけて
生きている。そういう生き方が、
妙に今の自分にはしっくり来る。

どう言えばいいのかわからなかったが、
オンナといると、すべてがいい具合に
おさまる。それは不思議なほどだった。
一度失敗したからこそ、それが実感として
分かるのだった。

「俺たちも、結婚するか?」
オンナの寝顔に向かって、自ら問うように
ささやいた。

外は冷え込んでいた。
高之は自分の布団から手を伸ばして
毛布から出ていたオンナの手を、包むように握った。

第56話

木枯らしが吹き始めた11月のはじめ、
会社の帰りに居酒屋で夕飯を一緒にしながら、
ユキと岡部を悩ませていることがあった。

それは、母の命がもうわずかと知って、
自分たちの結婚式を早めるかどうかと
いうことだった。岡部の両親はすでに
ユキに会っていて、春に予定していた式を
早めることに賛成していた。

問題は母本人だった。
病床にある母にどう告げればいいのか、
ユキには分からなかった。
死ぬ前に自分の花嫁姿を見てもらいたい。
そう強く思ったが、母がそれを受け入れて
くれるだろうか。

悩むユキに、岡部は高之に相談しようと
提案した。高之なら何かいいアドバイスが
あるかもしれない。

実は岡部にはもう1つ考えていることがあった。
自分の上司の山之内の存在だった。
温泉街で高之がなぜ山之内に連絡しなければ
ならなかったのか。岡部にはどうしても、
自分の上司と近い将来自分の妻となる
女性がまったくの他人とは思えない。
それほど二人はよく似ていた。

岡部は、男としての意見を聞きたいからと
自分だけで相談しに行くことにした。
ユキは不審がったが、日中は仕事が忙しく
任せることにした。

電話で呼び出された高之は、喫茶店で
コーヒーの煙を見つめながらオンナの病状が
あまりよくないことを考えていた。
毎日、仕事も忙しい。弁当工場のみんなで
担当して面倒もみてくれているが、
どこまで甘えていいものかわからない。
夜ともなれば、高之が世話することになり、
朝が早い高之に負担がまったくないとは
言い切れない。
疲れのたまった顔だった。

岡部はこう切り出した。
「僕たち、結婚式を早めようと思ってるんです」
高之は顔をあげなかった。
「小さい式でいいんです。お義母さんに
せめてユキちゃんの花嫁姿を見せてあげたいと
思って。」
山之内とユキが他人でないことを確信していた
岡部は、先を続けた。
「ついては山之内さんも呼ぼうと思っています。
いつも世話になってるし、いくら小さい式でも、
直属の上司を呼ばないわけにはいかないと思って。」
高之はうなった。
オンナと山之内の間のことを知っているのは
当人と自分だけだ。

オンナが山之内の式への参加をいいと言うわけが
なかった。
「山之内さんにはもう何か言ったのか」
「いや、まだ何も・・・」
高之は腕組みをした。
「この件、2、3日時間をくれないか」
岡部は承知した。

帰り道、高之はずっと吸っていなかったタバコに
何本も火を点けては、半分も吸わずに消した。
どうするのが一番いいのか。

岡部は山之内の存在が何なのか、勘付いている。
自分だってオンナが逝く前に娘のユキの花嫁姿を
オンナに見せてやりたい。
だが、上司を呼ばなければ
岡部の両親などにどう説明するのか。
疲れていた頭の中をいろんな考えが交錯し、
高之は頭を抱えた。

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