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てなもんや三度笠 昭和37(1962)年5月6日〜昭和43(1968)年3月31日に朝日放送・TBS系で放送された人気テレビ番組。殆どの時期が白黒だが、末期はカラー放送になった(1967年12月7日の第294話から)。全309回放送。放送時間は、毎週日曜日18:00〜18:30。提供スポンサーは前田製菓。 あんかけの時次郎=藤田まこと(1933/4/13〜) 三度笠をかぶり各地を放浪する渡世人。市川雷蔵の主演映画「沓掛時次郎」(1961年 大映)のパロディ。 珍念=白木みのる(1934/5/6〜) 時次郎の相棒の小坊主。口が達者で小生意気。食べ物に目がない。 蛇口一角・桜富士夫=財津一郎(1934/2/22〜) 一角は浪人。富士夫は写真師。どちらも奇声を発する。富士夫の名前はフィルムメーカー(サクラカラーとフジカラー)から。 ねずみ小僧=南利明(1924/3/14〜1995/1/13) いわずと知れた義賊だが、今作では何故か名古屋弁。 脇役(主に敵役。通称=カバ)=原哲男(1934/3/21〜) 時次郎の親分=伴淳三郎(1908/1/10〜1981/10/26) 用心棒=堺駿二(1913/12/10〜1968/8/10) 藤田まことが、29歳の時に放送が始まった「てなもんや三度笠」。当時はまだ、ビデオテープが高価であった為、ぶっつけ本番の生番組でした。時代劇風なコメディではあるんですが、歌の上手い藤田まことが、司会者風に、ミュージカル仕立てで、ゲスト・コメディアンを紹介すると云った感じのコメディでした。
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うんうん、これはかすかに記憶の中にありますね!
藤田まことは「必殺仕掛人」のイメージが強く、未だに再放送を時々見ることがありますよ^^!
2007/6/5(火) 午前 8:22
藤田まこと・・って、歌を歌ってたんだ(゚o゚*。。
きゃんも、清々しい気分で♪行ってきま〜す♪ε=ε=ε=ε=ε=ヾ(〃^∇^)ノ♪
2007/6/5(火) 午前 8:24
あたり前田のクラッカーって、ココから生まれたのですかf('o'*)?その他にもずいぶんいろいろ。。。映像がのこっているならちょっと見てみたい感じです☆
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2007/6/5(火) 午前 9:07
オイラはしっかり、(・・・なんでか^^?)憶えてます^^ゞ。
前田のクラッカーよりも、ビスケットのほうが美味しかった^^。どちらも透明な袋で中が見え、今の5円玉くらいのお菓子がイッパイ入ってました^^。
この記事内の「ルーキー新一(イヤ〜ン、イヤ〜ン)、茶川一郎(バ〜カめ!)」は、子供の頃、真似してました^^ゞ。
とくに、ルーキーさんをやると、母からよく怒られました^^ゞ。
2007/6/5(火) 午前 10:37
ギャク連発と思えた番組でしたが演出の澤田隆治さんは「鬼の澤田」と呼ばれるほど威厳のある人でギャグを許さずた電話帳ほどの厚さのある台本通りの演技を要求したと言う記事を当時新聞で裏話として読みました。
2007/6/5(火) 午後 11:44
*お菊さん。。
ほぼ40年前のバラエティーですね。藤田まことさんは、このコメディーで喜劇役者のイメージが定着しちゃって、その後の役作りに苦労しちゃうんです。中村主水(なかむらもんど)が当たって、ようやくカンバックできました。今は、安浦刑事のイメージが定着しましたね^^
2007/6/6(水) 午前 5:00
*きゃんさん。。
初めは、歌手としてデビューしたんです。でも、これと云ったヒット曲も無いまんま、コメディーの世界に入って行きましたね。
てなもんや三度笠をご存じない方は、藤田まことさんがコメディアンだったなんて信じられないでしょうね^^
2007/6/6(水) 午前 5:04
*ffさん。。
昭和30年代のテレビってのは、ビデオが無かった時代ですから、コマーシャルを何処で入れるかってのが、難しかったんですよね。だから、バラエティードラマの中で、出演者にやらせてしまうと云うスタイルが多かったように思います。
大塚製薬が提供した、大村崑さんの「とんま天狗」も、ドラマの中で、オロナイン軟膏の宣伝をしてましたからね^^
ビデオじゃなかったから、映像はほとんど残ってないようですが、朝日放送のディレクターだった澤田隆治さん(1933年3月18日〜)が何本か映像を所有していて、それがDVDになって発売されているようです。
2007/6/6(水) 午前 5:16
*ヤマさん。。
前田のクラッカーってのは、確か、20円だったと思います。ルーキー新一は、確か、若くして亡くなっちゃったんですよね。レッツ・ゴー三匹と云う漫才トリオの真ん中にいた、長作のお兄さんでした。
藤田まことさんは「口から手〜突っ込んで、奥歯ガタガタいわすぞ」なんて〜フレーズも使ってたと思います^^
2007/6/6(水) 午前 5:24
*イブ爺さん。。
澤田隆治さんは、元々ラジオ局の人だったらしいですが、テレビの草創期に、多数のお笑い番組をヒットさせましたね。
近年は、東京MXテレビと云う地方局で、立川談志・野末陳平と三人で出てらっしゃいました。また、NHKラジオで、玉置宏さんと、かつての上方のお笑いを紹介する番組にも出てらっしゃいましたが、その番組も終わっちゃいました。
最近は、時々、新聞のコラムで見掛ける程度ですね。
2007/6/6(水) 午前 5:34
どれもこれもとても懐かしいです。(歳が知れますが・・・)
普段あまり気にしていませんでしたが、藪先生の記事で記憶の糸が少し解けてきました。
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2007/6/6(水) 午前 6:08
*バーバさん。。
私が記事にしている事は、私が覚えている事と云うよりも、調べた結果を書いている事がほとんどです^^
私が、ブログの記事を書くのが好きなのは、記事にするために、いろいろ調べる事に依って、忘れていた部分を思い出すからです^^
2007/6/6(水) 午前 7:36
藪さ〜ん!リアルタイムで 見たって 言うと、おいらも 歳だなぁ!はhhh 白黒TVだったな!TVの画面の前には、垂れ幕みたいな。。。うんうん 四足で 自力で 立っていたぞ!これぞ テレビジョンなり!!もちろん チャンネルのつまみは、はずれた。
[ 琵琶の影丸 ]
2007/6/8(金) 午後 10:53
*影丸さん。。
テレビジョンを「テレビ」って省略して云うようになったのは、昭和30年代の後半だったと思います。
テレビジョン様は、当時は高級品でございまして、ウチに最初にお越し下さった日立のテレビジョン様は、仏壇をどかして、その場所に鎮座なさいました^^
今のようにディスプレイがむき出しでは無く、鍵の掛かる扉が付いておりました。6までの数字が書いてあるダイヤルがありまして、1と3と4しか絵が出ませんでした^^
あのダイヤルは、半月状のシャフトに繋がってまして、板バネでテンションを保っておりましたが・・・次第にバネの力が弱くなり、バカになって・・・幾ら回しても、チャンネルが切り替わらない状態になりました。紙を挟む事で、バネのテンションを復活させました。
・・・今は、昔の物語だス(´,_ゝ`)プッ
2007/6/9(土) 午前 9:24