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雁首(がんくび)と吸い口の部分が金属で、それを繋ぐ部分が竹製と云うのが一般的です。この竹の部分を「羅宇(らう)」と云いますが、一般的には「ラオ」と発音します。ラオは竹ですので、使っているうちに痛んできますから、修理屋さんがいます。落語の長屋には、大抵「ラオ屋」さんがいます。「羅宇」の語源は、羅宇国(ラオス)の竹(黒班竹)を使っていた事によるものらしいです。 煙管の本来の使い方は、雁首の火皿に刻み煙草を詰め、煙草盆に活(い)けてある炭火で火を点けて、ゆっくり一服吸ったら、煙草盆のフチに火皿を下にして雁首を打ち付けて、灰を落とし、また煙草を詰めると云うやり方です。 明治23年生まれの志ん生は、ある程度の音質で、一席の落語を連続した長い音源(戦前のSPレコード時代は、片面が3分程度の録音時間なので、AB面に分けて6分だったり、二枚のAB面を使った12分だったりした)で、百席以上の音源を残せた、最古の噺家さんです。 しかし残念ながら、十歳年下の圓生と違って、ビデオの無い時代でしたから、動画はほとんど残せませんでした。高座の動画は三本で、「風呂敷」と「おかめ団子」と、この「岸柳島(巌流島)」です。後もう一本、テレビ番組用に客無しで収録した「鰍沢」が、ちゃんと一席をやっている落語演目として映像が残っています。 この演目の演題は、志ん生以外は、「巌流島」と記述するのが正式です。志ん生にしても、一部の音源では、「岸柳島」ではなく、「巌流島」と記述しているのもあります。志ん生のみが何故、一部の音源で「岸柳島」と記述しているのかと云うと・・・佐々木巌流の故事があるとは云え、煙管の雁首一つの争いをそれになぞらえるのは大袈裟と云う事もあり、近世の落語では錦の御旗の三遊亭圓朝が、「岸の柳」の方が景色になるからと、「岸柳島」で演っていたためと思われます。 昭和30(1955)年 志ん生65歳時の高座 パネル内検索窓貼り付け用コピペ・キーワード 志ん生 岸柳島 志ん生 岸柳島2 データ・・・五代目 古今亭志ん生 明治23(1890)年6月28日〜昭和48(1973)年9月21日 享年83 前名=七代目 金原亭馬生 出囃子=一丁入り 本名=美濃部孝蔵 紫綬褒章 勳四等瑞宝章
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あ・・これ、覚えてる(^・^)♪
前に聴いた時は、かなり難しかったけど・・・今も難しい_| ̄|○
人の雁首と、キセルの雁首・・・でしゅか( ..)φメモメモ
そう言えば前回の時「雁の首に似てるのか?」って思ってを検索したけど「微妙」だった((((^^;
2008/10/26(日) 午前 0:08
息子の志ん朝師匠の生前、この噺を共演して聞いた談志師匠が、「形式だけだ」と酷評していたのを思い出しました。でも、最後は、「志ん生を継げよな」と述べていたところに二人の関係を考えさせましたね。
2008/10/26(日) 午前 6:48
電車の乗り降り区間をチョロまかすことも「キセル」と申します^^。
煙のように勝手に管をすり抜けるってんでこの「煙管」から来たんでしょうね^^。
あ、いけね!時間ですんで、また後ほど!!^^ゞ。
2008/10/26(日) 午後 0:21
*きゃんさん。。
憶えていてくれた?ありがとう(^∇^)
志ん生の音源、可楽の音源に続いて、巌流島の三本目の記事です。
前の、八代目 可楽の音源の時は、煙管をテーマにしたので、様々なコメがありましたね。
雁首(がんくび)を雁(かり、がん)の首に似ているからか?ってコメをきゃんがしてましたっけ?前の記事を探すのがブログのスタイルでは大変なので探しませんが・・・何で煙管の雁首を、「雁首」と云うのかってのは、私には判りません。水鳥の首はみんな同じような形状なので、その意味だとしたら、鳥首(とりくび)にすべきで、雁首ってのは、おかしい。
う〜ん。やかんは、矢が水沸かしに当たって、カーンと鳴ったから、ヤカンになった訳ですが・・・(^ω^)
2008/10/26(日) 午後 1:33
*きゃばんさん。。
志ん生長男の十代目 馬生さんは、病気になる前から「志ん生は継がない」って言明しちゃいました。馬生名跡を襲名していない噺家が、志ん生を襲名するなんて事は異例である訳で、志ん朝さんにしたって、志ん生名跡を襲名する気は無かったと思います。
談志さんは確かに、志ん朝さんが亡くなる一年前に、志ん朝さんと飲んで、「俺が口上をやってやるから、志ん生を継げよ」と云って、志ん朝さんは「やってくれる?」・・・と云ったと談志さんが語っている動画を、誰かさんがTubeに上げていますが・・・(^ω^)
果たして、その真相はどうだったんでしょうか・・・
東京の噺家さんの場合、襲名興行で口上を述べるのは、先ず最初にその噺家が所属する協会の会長です。その次ぎの口上は、襲名する噺家の師匠もしくは、その屋号の本家筋の大師匠です。現実問題として、談志さんが志ん朝さんが六代目 志ん生を襲名した時の口上をやるなんて事はありえない訳です。
2008/10/26(日) 午後 2:22
*続き。。
つまり、この時の談志・志ん朝の話し合いってのは・・・四派に分裂してしまった東京の落語界を一つにまとめて、その会長に志ん朝を持って来る・・・と云う談志さんの思惑があって、今の東京落語の閉塞状況を打破すべく、異例な事をやろうと思っていたに違いないのです。
変なしがらみがなければ、かつて四天王と呼ばれた、談志・圓楽・志ん朝・圓鏡が、東京の落語界を仕切って然るべき時代になっていたのです。談志が六代目 小さんを、圓楽が七代目 圓生を、志ん朝が六代目 志ん生もしくは、三代目 圓朝を、圓鏡が八代目 圓蔵から、小益を首にして、裏技として七代目 文楽を襲名しちゃうって手もあったのではないかと思います(^-^)v
でも、それらの、夢のような東京落語の大イベントは、志ん朝さんの早過ぎる死に依って、すべて水泡に帰してしまったのだと思います。で、相変わらず東京の落語界は、上方落語の隆盛を横目に、右往左往している状態だと思います(^ω^)
2008/10/26(日) 午後 2:22
*ヤマさん。。
ブログってのは楽しくなけりゃいけないってのが私の自論ですが・・・ヤフーブログは、業者を排除する対策をまったくやっていない唯一のブログシステムなので、時々、業者の無関係な書き込みにイライラさせられて、やる気を失いますね。
で、様々な試行錯誤の結果、現在のヤフーブログでは、記事の書庫を、ログイン者のみ書き込み可にして、ゲスブのみ、すべて可(何もしない)って設定がイライラしないベスト設定と思われます(^∇^)
地元の駅の最小区間の定期を持っていると、どっからでもキセルをして帰って来れたのは以前の話で・・・近年のデジタル化された定期券には、入出情報が書き込まれてしまうので、キセルができなくなってしまいましたね(^ω^)
2008/10/26(日) 午後 2:49
勉強になりました。
師匠の数ある話の中では、たしか塩原多助一代記
の中での「色と欲の二股街道」と、いうくだりが
印象に残っています。
2009/7/24(金) 午後 2:13
*エキさん。。
志ん生の、塩原多助をお聴きになってるんですか〜?
ご通家ですね〜。志ん生の多助モノは、確か、全部で四演目になっていたと思います。
圓生さんも一部やってますが・・・こう云う地味な演目を語り聴かせるってのが、本来の東京落語の真髄なのですが・・・そう云う話芸を持っている噺家さんが少なくなってしまった以上、いずれ忘れ去られてしまう演目かも知れませんね。
2009/7/25(土) 午後 3:22