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藪井竹庵
今日明日と柳町小学校の盆踊り大会。藪さんどう云うコスプレをして行こうかと考え中(^ω^)

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柳家三三

イメージ 1 柳家三三(さんざ)は、昭和49(1974)年7月4日の米国独立記念日に生まれた神奈川県小田原市出身の噺家。
 
 中学を卒業した時に小三治に入門しようとしたが・・・断られました。それでもめげずに、高校を卒業してから入門を許可されました。〆治、喜多八、はん治、福治、七代目 柳亭燕路、禽太夫、一琴に次ぐ八番弟子ですかね。落研とか天狗連(セミプロ)の経験がまったくない噺家として、小三治イズムを叩き込まれているようです。
 
 弟子がまだいないと云うのは、ちょっと寂しいけれども、2006年3月に真打ちになってまだ37歳。志ん生なんざ赤貧洗うが如くで貧乏だったから、タンポポの塩漬けをおかずに飯を食っていた頃です。ケーキを食べられるだけでも結構なご身分です。ただ人気だけで弟子になりたいってヤツは弟子に取るな。40年後の柳家の姿を語れるヤツを弟子に取れ。
 
 でも、噺は別ですからね。同世代の噺家のように、単に受け狙いで小さく纏まらないで下さい。師匠の小三治だって云ってるでしょ? 落語ってのは面白く出来ている噺なんです。受け狙いで余計な事をすれば、ミーハーな連中は笑うかも知れないけれど、ご通家はドンドンそっぽを向いてしまいます。
 
 まあ、ウチでは珍しく、長老以外の現役の噺家さんを出しましたが、20年後の柳派の事を考えると・・・多分私は故郷のアルファ・ケンタウリに帰っているだろうし、長老はみんないなくなるし、柳派を支えて行かなくてはならない人材なので、ちょっとツバを付けておきました(^ω^)
 動画を編集して、もっと短くしようと思ったのですが、現在その体力が無く、毎日放送さんのまんまとなってますので、お見苦しい部分はご容赦願います。談春や花緑やこぶ蔵にガタガタ云われたら藪さんに云ってきな。徹底的に奴らをこき下ろしてやる(^-^)v ちなみに写真は、まのちゃんブログから勝手に借り(^∇^)
 
 データ・・・柳家三三 昭和49(1974)年7月4日〜 前名=小多け 本名=蛭田健司 出囃子=京鹿子娘道成寺

  • おはようございます(゚▽゚)/携帯から書いた事消えてしまいました後ほどパソコンからお邪魔しますご自愛くださいね

    ごんぞう

    2011/10/13(木) 午前 8:13

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    薮先生
    この番組を見逃してしまい。(最後の方しか見られませんでした)
    一度ちゃんと見たいと思っていました。
    有難うございます。

    三夜連続独演会では一夜だけしか来られないお客の為に、希望なら、全編の粗筋を書いたモノを後日送るサービスがあったそうです。
    行って希望の旨を書いて来た方によると、ひと月後に三三さん手書きの粗筋が送られて来たそうです。
    柳家の噺家として談洲楼燕枝の噺をきちんとした形で演じて見たかったそうです。(^^)

    shobuen2

    2011/10/13(木) 午前 8:54

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    *ごんちゃん。。
    私は業者のワン切りが多くなってから、うるさいので15年近く持っていた携帯を捨てましたので、携帯のネットって知りません。ごんちゃんや、まのちゃんがお出でになった小三治一門会の記事を書いてらっしゃる女性がいたのですが、その方は携帯投稿ばっかりだったので、ウチの記事はお読みになれないと思ってその記事にはコメントしませんでした。

    音源や動画をやっていないごんちゃんなら、お付き合いできるかなと思いましたよ(^∇^)
    当たり前ですけど、小三治ファンって結構いるんですね。そのじさんの事も書いてらっしゃる方だったので、パソコンからの投稿だったらコメントしたのになぁ(^∇^)

    小三治さんの普段着のファッション、かこいい(^∇^) 最初に飲んだのはノドの薬かな? メガネを二枚掛けてるので、相当の老眼かな?

    三三は、もうちょっと落ち着いて落語をやった方がいいと思います。小三治のそのまんまをやりたいと云ってるんだから・・・小三治は、そんな事やってないんですよ。まあ、喜多八さんほど落ち着く必要はありませんが・・・(^ω^)

    藪井竹庵

    2011/10/13(木) 午後 3:59

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    *菖蒲園さん。。
    三三の真打ち披露の高座にいたのは・・・右から圓歌、馬風、小三治、三三、権太楼、さん喬でしたか・・・落協の最高顧問と柳家の幹部ですね。この映像は一年前のものですが、36歳と云う年齢は噺家として若いのかどうなのかってのは難しいですね。

    噺家の世界では、18歳で入門して18年、真打ちになって4年の36歳ってのは、まだまだガキだと云えますが、一般の会社では、部下を何人も使っている課長クラスですよ。それを考えると噺家の世界って厳しい世界ですよね(^ω^)

    首に注射を打ってますが、あれは「にんにく注射」ですかね。かなり元気になるらしいですが・・・私もやってもらおうかな(^ω^)

    談洲楼燕枝てのは、圓朝よりも一歳年上で、圓朝と同じく1900年に亡くなった噺家ですが、三笑亭可楽一門の春風亭、つまり現在の柳派の圓朝に対応する噺家ですね。でもあまり難しい事をやり過ぎると、さん喬になっちゃうし・・・本来の柳派の持ち味は滑稽噺だって事を忘れてはいけません。滑稽噺を語りのみで出来てこその柳の噺家だって事を小三治は三三に云ってると思うのだが、判るかなぁ・・・(^ω^)

    藪井竹庵

    2011/10/13(木) 午後 4:58

  • 藪師匠、

    学習院の喜多八さんは小三治さんの弟子だったんですか、
    それにしては芸風がだいぶ違うようで・・・

    三、三、六っぽう引き目なし、そんなことにならなければよいのですが?・・・

    エキ

    2011/10/13(木) 午後 6:31

  • これ見ました(o ̄ー ̄o) ムフフ
    普段着むちゃくちゃかっこいいです。もう「時効」と思いますが・・・楽屋にお邪魔してご挨拶しました。顔がちっちゃくて、帽子とチーフが渋くて似合ってるあ・・・三三さんの話でしたね〜あ( ̄○ ̄)り( ̄◇ ̄)が( ̄△ ̄)と( ̄0 ̄)うのポチ

    ごんぞう

    2011/10/13(木) 午後 7:08

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    *エキやん。。
    小三治名跡は、柳家の看板名の小さんを襲名するステップ名跡ですから、弟子になりたがるのは当然です。師匠や屋号の芸風を受け継ぐのは当然の事なのですが、それぞれの噺家の個性を生かす事もまた重要ですね。

    藪井竹庵

    2011/10/13(木) 午後 11:53

  • アバター

    *ごんちゃん。。
    藍染の染め抜きのような、作務衣の上着みたいなジャケットがいいですね。さすがにズボンはスラックスで、もんぺスタイルではありませんが・・・(^ω^)

    藪井竹庵

    2011/10/13(木) 午後 11:57

  • 顔アイコン

    テレビで1度何の噺か忘れましたが聞いた記憶があります。
    「えっ!!誰?? 良いじゃないの」と思って珍しく名前が記憶と心に残りました。

    >三三は、もうちょっと落ち着いて落語をやった方がいいと思います。
    小三治のそのまんまをやりたいと云ってるんだから・・・

    との藪井先生のコメは全く同感です。

    shyu

    2011/10/16(日) 午前 11:27

  • アバター

    *しゅうちゃん。。
    この動画は、三三が36歳の時ですが・・・今でこそ碌な噺家がいないから、三三がどうこう云ってますが・・・志ん朝が36歳の頃は、こんなもんじゃない! 小三治を脅かす存在でした〜って、当たり前ですね。志ん朝は小三治の先輩なんだから・・・(^ω^)

    噺家は甘やかしちゃいかんです。三三はピー缶(両切りピースの50本入り缶)を吸ってますが、師匠の前では煙草を吸うのを遠慮すべきです。小三治はノドの薬を飲んでるんですから・・・ってか、楽屋入りしたらもう仕事なんです。三三程度の噺家に煙草を吸う余裕なんかないはずです。

    どうじゃ、私の超辛口噺家評論は心地良いJAROってなんじゃろ(^ω^)

    藪井竹庵

    2011/10/16(日) 午後 7:04

  • 例によって古い記事に目がいく私です。
    小三治名跡を調べてましたら、小三治の二代目が元々小山三を名乗っていて、後に談洲楼燕枝の二代目になっているそうで。ということは、三三師匠は50で小三治、60で燕枝なんてことがあったりして。三三師匠のことはそこまで詳しくありませんが、どうにも柳家の滑稽噺というよりは、人情噺の大ネタをよくかけてらっしゃるようですし。小さんというよりは、燕枝じゃないでしょうか?
    ……藪さんに言わせたら、50や60じゃ遅いと言われるか、師匠以外の名跡はどうとか言われるか、はたまたそんなこと考える暇があるならオマエは志ん生聞けと言われそうですが(苦笑)

    [ bun***** ]

    2019/3/1(金) 午前 3:01

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    *ぶんさん。。
    噺家の名跡と云うのは、お相撲さんの四股名と同じように、自分で名乗るんじゃなくて師匠や親方から貸し与えられるんです。自分で勝手に名乗ったのは、ちゃんとした師匠がいなかった志ん生くらいです。談志の弟子だった快楽亭ブラックも勝手に改名しましたけどね(^ω^)

    初代 可楽やその弟子の可楽十哲以降は、代々の柳枝を除き柳派には大師匠がいませんでした。圓朝の直弟子たちと同時期に出てきたのが三代目 小さんでした。その後は小さんが柳派のトップ名跡になりました。

    小三治と云う名跡は、三代目が初代を名乗った名跡ですから、柳家に取っては次に小さんを襲名するステップ名跡なんです。三語楼が柳家から脱退した時に、小三治名跡の七代目を持って行っちゃった。柳派の長老の左楽が調停して、小三治名跡と引き換えに柳家の預かり名跡の正蔵を一代名跡として貸し与えました。

    その経緯を今のこぶ蔵は判ってない。三三はいずれ小三治を襲名するでしょうが、燕枝を襲名するなんて事はあり得ない。そう云う師弟関係じゃないですからね。

    藪井竹庵

    2019/3/1(金) 午前 6:56

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    *続き。。
    三三が何をやりたいんだか判らないけれども、人情噺をやりたいのなら小三治じゃなくて三遊派に入門すべきでした。と云っても圓生の三遊本家は既に崩壊していたので、三遊傍系の古今亭に入門すべきでした。

    圓菊さんに入門して、六代目 志ん生を襲名すると噂されている菊之丞さんの弟弟子になるとか、金原亭の雲助さんに入門すべきだったでしょう。

    柳派の小三治に入門した以上、余計な事はやらずに小さんの滑稽噺の芸風を踏襲しなくてはならないんです。五代目 小さんの弟子たちの中で、圓生根多をやって失敗している人がいるでしょう?

    まあそれはさて置き、噺家と云うのは如何に厳しい世界かってのが判るでしょ? イジメやパワハラなんてのは当たり前の世界なんですよ(^ω^)

    藪井竹庵

    2019/3/1(金) 午前 6:57

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