ここから本文です
藪井竹庵
予約投稿済・・・20子供が楽しめる祭り 21神門前の子供神輿 22東郷平八郎元帥 23祭りのいろいろ 24おみくじに御朱印 25

書庫全体表示

てれすこ

イメージ 1 ここのところずっと足が痛くて、取材に行けないので生もの(取材してきた動画)を使った記事が書けません。仕方無しに乾き物と云うか干物を使って記事を書いている。

 さてここで問題です。藪さんはこの短いマクラに続けてどう云う記事を書くでしょうか?

 落語初心者の方にはちょっとお判りにならないかも知れませんが、ご通家にとっては簡単過ぎるサービス問題ですね(^∇^)

 生の時は「てれすこ」で、その魚を干したら「すてれんきょう」になると云う演目です。奉行所では直接奉行に申し立ては出来ないので、打ち首になる最後にわが子に一言・・・この子が大きくなっても、決してイカの干したのをスルメと云わせないでくれ・・・

 お奉行様はバカじゃないので、その申し開きを理解して無罪放免。まあ落語国のファンタジーの作り話です。こんな事が実際にはある訳がない。ちなみに「てれすこ」と云うのは「テレスコープ(遠眼鏡)」のもじりで、「すてれんきょう」は「ステレオ鏡」のもじりだと云われてますね。

 昭和20年代の後半になると数々のラジオ局が誕生し、開局当時のラジオ局の目玉番組は演芸番組でした。そのためにラジオ局は噺家の確保に躍起になり、噺家と専属契約を結び他の放送局へは出演させないようにしました。

 噺家の確保に一番熱心だったのがラジオ東京(JOKR=現TBSラジオ)で、文楽や圓生を初めほとんどの噺家と専属契約を結びました。文化放送(JOQR)と専属契約を結んだのが可楽で、後発のニッポン放送(JOLF)は目玉商品として、ラジオ東京専属だった志ん生を引き抜くと云う離れ業までやった時代でした。

 NHKは専属契約はしてなかったのですが、柳橋や三木助を他の放送局が借りようとNHKに申請すると、莫大な出演料を要求し、事実上の専属にしていました。

 そんな中で金馬さんは、東宝専属と云う協会が興行する寄席には出ないと云う特別な立場もありましたが、どのラジオ局とも専属契約を結ばなかった為に、どの放送局にも出演が出来たので、昭和20年代末から30年代初めに掛けては、金馬さんの落語が最も数多くラジオから流れると云う事になりました。

 金馬さんは文化放送と専属契約を結んだ訳ではありませんが、昭和31(1956)年4月1日から昭和33(1958)年9月28日まで「金馬独演会」と云う番組を持っていて、金馬さんの落語がその間毎週放送されました。

 その「金馬独演会」の記念すべき第一回の放送が、昭和31(1956)年4月1日の「てれすこ」です。文化放送のスタジオに客を入れての録音なので、当時の寄席での録音と比べるとかなり音質がよろしい。金馬さんが一席やった後に、文化放送のアナウンサーとの短いトークがありました。

音源データ・・・昭和31(1956)年4月1日 文化放送「金馬独演会」放送分 金馬61歳時

 データ・・・三代目 三遊亭金馬 明治27(1894)年10月25日〜昭和39(1964)年11月8日 享年70 前名=圓洲 出囃子=本調子鞨鼓(かっこ) 本名=加藤専太郎

 金馬さんと云えば志ん生と同様にスキンヘッドで有名なんですが、若い頃からそうだった訳ではなくて、40歳頃までは毛があって、「毛はえ薬」の広告にも使われてました。もちろんその薬は・・・売れなかったでしょう(^ω^)

  • 顔アイコン

    「ステレンキョウ」が「ステレオ鏡」ですか。マジでおっしゃっているとしたらやや疑問です。この噺はかなり昔からのものと思います。
    「ステレオ」と言う言葉が日本に定着したのは昭和30年代以降のはずです。
    当時LPが出てきてSPとは比べ物にならないくらいの長時間≪?≫録音ができるようになり、ステレオ録音ができるようになりました。ピックアップはヤマタノオロチの足を六本切り取ったようなもので、普及には至りませんでした。
    これが「立体録音」の嚆矢だと思います。そのころ「ステレオ」と言う言葉が使われていたかどうかは記憶にありません。
    もしこの噺が昭和の初めからあったとすれば「ステレオ鏡」をもじったものと言うのには疑問があります。
    国語学者に「ステレオ」と言う言葉の初出を聞いてみたいです。

    憲坊法師

    2014/5/29(木) 午後 11:51

    返信する
  • 顔アイコン

    >落国語学者に「ステレオ」と言う言葉の初出を聞いてみたいです。

    どうも、サービス旺盛な洒落に、野暮ということを
    乾き物解放すると、生ものを引き寄せますよ。

    十二六

    2014/5/30(金) 午前 7:57

    返信する
  • 顔アイコン

    あっ、いえ、これは失礼。

    憲坊法師

    2014/5/30(金) 午後 9:30

    返信する
  • 竹庵さん、教えて頂きたいんですが。
    金馬師匠は「歴史」を「轢死」にかけるくすぐりを使ってますけど、自身の電車事故以前からあれやっていたんでしょうか?

    かなりの怪我ですのに。つおいですよね。

    [ Mits ]

    2014/5/31(土) 午後 8:54

    返信する
  • アバター

    *キャバンさん。。
    リコメが遅くなってすいません。毎度の事ですが勘弁して下さい(^ω^)

    まあネットに於ける金馬さん研究はキャバンさんのが第一だと思います。私がやってるのなんて思い付きで金馬さんを取り上げているだけですからね(^ω^)

    藪井竹庵

    2014/6/1(日) 午前 10:12

    返信する
  • アバター

    *エキさん。。
    しかしですね、エキさん。噺家ってのはバカじゃできないんです。もっとも利巧は噺家なんかやりません(^ω^)

    藪井竹庵

    2014/6/1(日) 午後 7:17

    返信する
  • アバター

    *キャバンさん2。。
    金馬生誕百年を記念して発売された13枚組みのCD全集ですね。金馬さんの写真ってあまり出回ってないから、貴重な写真を見る事が出来ますね。図書館に予約して手に入れるまでに半年掛かりました。志ん朝の大須の全集なんかも予約してあるんですが、手に入れるまでに二年は掛かるでしょうね(^ω^)

    藪井竹庵

    2014/6/2(月) 午前 6:37

    返信する
  • アバター

    *菖蒲園さん。。
    笑三さんは米朝さんと同じ1925年生まれですから、今年89歳になる現役最長老の四人の噺家の内の一人ですね。浅草の芸術協会の番組に出演なさってると思いますが、戦後の落語界を知る三平さん世代の貴重な生き字引ですね。もはやこう云う軽い根多でも、高座で語るだけで若いもんの手本になってると思います。

    藪井竹庵

    2014/6/2(月) 午前 6:38

    返信する
  • アバター

    *十二六さん。。
    昭和20年代の後半になると、それまでのNHK一局ではなくて、民間のラジオ局が多数開局しました。

    戦後十年も経過していない時代ですから、各ラジオ局は開局に当って目玉番組を考えました。今のFM放送と同じように音楽を流すってのがあったのですが、当時はまだSPレコードの時代であり、三分ちょっとのレコードしかありませんでした。

    かと云って、スタジオに歌手を招いて生放送なんかやったらバンドを用意しなければならないから金が掛かる。そこで花形になったのが、浪曲師や落語家の演芸です。生放送でやっても本人と三味線だけなんで金が掛からないから、東京では
    ラジオ局の開局ラッシュと共に、虎造さんや噺家が陽の目を見る事になりました。

    痴楽さんは、戦後初の真打ちになった五代目 左楽の弟子でした。当初はそんなに注目された噺家ではなかったけれども、二代目 円歌の弟子で当時「笑いの水爆」と云われて人気絶頂だった歌笑が、昭和25年に大宅壮一との対談の後に、信号のない銀座松坂屋前の中央通を横断中に進駐軍のジープに跳ねられて死にました。

    藪井竹庵

    2014/6/3(火) 午後 8:22

    返信する
  • アバター

    *続き。。
    人気者の歌笑は、三ヶ月くらい先のスケシュールがいっぱいでした。興行主は、当時東京落語の若手三羽烏と云われていた・・・小さん(当時は九代目 小三治)・歌笑・痴楽のうちの、痴楽を歌笑の代役に決めて興行しました。

    本来ならその興行は歌笑を聴きに来た人たちなので、痴楽はサービス精神から、歌笑純情詩集の七五調の語りを真似て、痴楽綴り方狂室をやりました。それが大ヒットし、その後の痴楽人気を決定付けました。

    しかし残念な事に東京の落語芸術協会に所属していた痴楽さんは、あまり東京の寄席では優遇されなかったので、しばしば大阪の劇場興行に活路を求めました。道頓堀角座の枝雀以下三人の襲名興行に東京からは痴楽だけが招待されたってのはそう云う理由があるんです。

    残念ながら、その襲名興行の高座で痴楽は脳卒中で倒れてしまい、50歳ちょっとで噺家生命を終えました。その後20年ほど存命でしたが、かつての痴楽の片鱗は出せませんでした。三平さんもほぼ同じ病気で倒れました。

    藪井竹庵

    2014/6/3(火) 午後 8:25

    返信する
  • アバター

    *けんちゃん。。
    えっ? けんちゃんのような博学多才な方でありしかも、ミステリー通の方がその程度の認識なんですか?

    1900年代に入ってから(明治の終りから大正期)ステレオと云う用語は音響用語として使われましたが、それがステレオと云う用語の初出じゃないでしょう。

    ステレオタイプと云うように、二つ同じものがあると云う意味で、二つのマイクや二つのスピーカーと云う事から、音響用語として使われたんだと思いますが・・・

    けんちゃんともあろう方が、どうしちゃったんですか? 何でそんな簡単な類推ができないのでしょうか? テレスコープ=モノキュラの事を「てれすこ」と云ってるんです。だったら、ステレオスコープ=ビノキュラ=双眼鏡を「ステレオ鏡」として出すのはセットになっているとまではお考えになりませんでしたか?

    音響装置のステレオなんかが出来るずっと以前の250年前の長崎では、杉田玄白や平賀源内は、「ステレオ鏡」と云って双眼鏡を覗いていた筈です(^∇^)

    藪井竹庵

    2014/6/3(火) 午後 8:57

    返信する
  • アバター

    *十二六さん2。。
    けんちゃんは古くからの藪さんプログのご常連です。ですから決して荒らしじゃないのでご心配なく。

    けんちゃんと云う戦後昭和の大師匠たちの高座を生でご覧になって来た大先輩は、今の落語の生き字引なんです。ですから現代落語の帝王とまで自認している藪さんでさえ、教えをいただいてるんです。

    でもまあ、この「ステレオ」の件に関しては、けんちゃんは音響に絞ってしまうと云う単純なミスを犯してますので、藪さんは簡単に論破できますから、ご心配には及びません(^ω^)

    藪井竹庵

    2014/6/3(火) 午後 9:13

    返信する
  • アバター

    *けんちゃん2。。
    藪さんブログにも十二六さんと云う強力な親衛隊が現れてくれて嬉しい(^∇^)

    荒らしが現れたら、十二六さんが豊富な知識で撃退してくれると思います。

    折角面白い記事を書こうと思っているのに、荒らしに話の腰を折られると、いっぺんに記事を書く気力がなくなります。

    でもけんちゃんの場合は何をお書きになろうと藪さんは荒らしだとは思いません。むしろ、藪よ! これを調べてみろって根多提供だと思ってます(^∇^)

    藪井竹庵

    2014/6/3(火) 午後 9:35

    返信する
  • アバター

    *Mitsさん。。
    金馬さんがやった「歴史画」と「轢死(れきし)画」の同音異句のくすぐりですね。

    金馬さんは藪さんが中学生の頃に亡くなってしまってので、高座は一回も見た事がなく、「轢死画」のくすぐりを事故後に使ったかどうかってのは知りません。でも金馬さんなら、そんな事には関係なく「轢死画」のくすぐりを使ったと思います。

    藪井竹庵

    2014/6/3(火) 午後 9:45

    返信する
  • 藪さん
    先代金馬師匠のことで過分なお褒めのお言葉ありがとうございます。生で接していない私の先代金馬師匠論は、CD全集の解説と、CDでの自身の解説と「浮世だんご」がネタ元なんで、底が浅いですね。

    ステレオ鏡〜ステレンキョウ論議ですが、BS−1で夜中にやっている「Dデイ70周年記念特番」で、ノルマンディーの偵察写真を二つのレンズで立体化したという話題があり、この写真の立体化の技術は、19世紀に開発されたといってましたから、「ステレオ」は音響問題とは別に、画像面で日本の明治時代にはテレスコープ同様に一部のインテリには知れ渡っていたのでしょう。
    「テレスコ=テレスコープ」「ステレンキョウ=ステレオ鏡」説は、十分に時代背景の裏付けがあると思います。

    キャバン

    2014/6/4(水) 午後 8:45

    返信する
  • 藪さん
    「轢死」の表現は戦後三大謀略事件の一つ「下山事件」の記憶が残っていたからではないでしょうか?

    キャバン

    2014/6/4(水) 午後 8:49

    返信する
  • 藪さん
    志ん朝師匠の大須のライブCD全集は、購入しましたが、いいですよ。名古屋には大学浪人中に一年住んでいましたが、大須はすぐそばだったので、なぜ行かなかったか、惜しまれます。
    志ん朝師匠は、名古屋の観客にわかりやすく(ややくどく)演じてますね。

    キャバン

    2014/6/4(水) 午後 8:53

    返信する
  • アバター

    *キャバンさん。。
    いやいやそんな事はありません。落語ってのはこれでいいってところがないほど奥が深くて、調べれば調べるほど新たな疑問が湧いて来ます(^ω^)

    250年前の江戸時代中期の超ミーハーぶっ飛び人間だった、平賀源内や杉田玄白なんて先生は、料亭では持てたでしょうね。何せ、オランダ語だとかポルトガル語だとか英語なんて〜のを平気です使ってホステスを煙に巻いたはずです。

    藪さんはハポンのレオナルド・ダ・ヴィンチ(ヴィンチ村のレオナルド)と云われた源内先生には憧れましたね。当時の物理や科学のエキスパートでしたからね。

    ギターやバンジョーやマンドリンやフィドルやオートハープを演奏できるくらいじゃエキスパートではないので、ピアノの演奏に挑戦しようと思ってる訳です(^ω^)

    藪井竹庵

    2014/6/5(木) 午後 4:22

    返信する
  • アバター

    *キャバンさん2。。
    金馬さんは昭和29(1954)年、60歳の時にタナゴ釣りに行った帰り道の千葉県佐原で電車の線路を歩いていて電車にぶつかって左足を失い、半年間入院して義足にした為に膝が90度以上曲がらないので正座ができなくなり、以後の高座ではすべて椅子に座って、前に台を置く膝付きの高座になりました。

    昭和31年から始まった文化放送の「金馬独演会」は既に左足を失っていた金馬さんの口演です。左足を失ってから二年経過した金馬さんでしたが、「勉強」で「轢死(歴史)」を普通に語ってましたね(^∇^)

    藪井竹庵

    2014/6/5(木) 午後 4:42

    返信する
  • アバター

    *キャバンさん3。。
    文京区立図書館の落語CDライブラリはおそらく世界一だと思います。スミソニアン博物館には落語のライブラリはないでしょうし、国会図書館は貸し出しをやってないと思いますので、文京区立図書館の落語ライブラリよりはるかに貧弱です(^ω^)

    ちなみに私が現在予約してるのは・・・「東横落語会 ホール落語のすべて」が8/11で、「東横落語会 古今亭志ん朝 CDブック」が70/70で、「古今亭志ん朝 大須演芸場 CDブック」が147/148です。この分数は、分母が予約数で分子が私の順番です。

    順番の一つの数字の目安は約二週間です。タダってのは、物凄く時間が掛かるんです(^ω^)

    藪井竹庵

    2014/6/5(木) 午後 7:38

    返信する

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
  • 名前
  • パスワード
  • ブログ

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事