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藪井竹庵
今日明日と柳町小学校の盆踊り大会。藪さんどう云うコスプレをして行こうかと考え中(^ω^)

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伯山の石松

イメージ 1 森の石松の物語ってのは、清水次郎長伝と云う事で、浪曲の二代目 広沢虎造(1899〜1964)さんの当り演目でした。

 虎造さんは、講談の三代目 神田伯山(1872〜1932)の清水次郎長伝が大好きで、戦前の若い頃には伯山の追っ掛けをやり、次郎長伝をすべて聞き覚えたほどの次郎長根多の決死隊でした(^∇^)

 藪さんはあまり浪曲には詳しくないので、ご通家から突っ込まれそうで迂闊な事は書けないのですが、浪曲ってのは噺家と違って、師匠から教わった言葉や節をそのまま演じるんじゃないそうですね。

 言葉・節・語りはすべて自分が作って演じるらしい。藪さんは当然ながら虎造ファンなので、十枚組のCD全集の他にも幾つかの音源を持っている訳で、その音源の次郎長伝の音源を数えてみたら、全部で35演目ありました。

 調べてみると、虎造さんは直接伯山に稽古をつけて貰った記録はなく、それでも35演目もの次郎長伝の音源を遺していると云う事は、Marsさんや堀井ちゃんに匹敵するような伯山の追っ掛けの決死隊だったんだと思います(^∇^)

 三代目 神田伯山は「次郎長伯山」と云われたほど、次郎長伝で売った講談師でしたが、残念ながら昭和7(1932)年に59歳で亡くなってしまいました。ですから残っている音源は・・・藪さんは二つしか持ってませんが、SP音源の復刻版です。

 この「閻魔堂の騙し討ち」ってのは、虎造さんの浪曲でも名演が残ってますが、伯山の講談もいいですねぇ。あの虎造さんが伯山の語りに魅了されたってのがよく判る音源です。SPレコードの二枚組で発売された音源で、二枚のAB面の四面を繋いで13分25秒の長さにCDで復刻した音です。

 藪さんは現代の浪曲や講談も聴いてはいるんですが・・・残念ながら、30年後にもその音源を遺したいと思う物がないと云う状況で、お寒い限りです。
 
 データ・・・三代目 神田伯山(1872〜1932) 享年59 本名=岸田福松 前名=小伯山

 ちなみに右上の画像は藪さんローカルのこんにゃくえんまの説明文です。源覚寺のお閻魔さんは立派なお堂に収まってますが、閻魔堂と云うのは、街道筋にあって雨宿りをするような小さなお堂だったんだと思います。

  • 清水地区出身者としては、勉強しなくては…と思いました。昔は子分の名前くらいそらんじていたのですが。

    キャバン

    2014/5/30(金) 午前 7:35

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  • このくだりを講談で聴くのは初めてですが、いいですねえ〜朝から聴きこんでしまいました(^^)

    shobuen2

    2014/5/30(金) 午前 7:59

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    浪曲の二代目 広沢虎造、これも当時、ラジオで娯楽と。
    亡き親父が、毎日聞いていました。
    落語、浪曲、昔は長時間楽しんだが、今では、NHK大河ドラマは全く、NHK朝ドラも、持たない。
    悲しいもんで。

    十二六

    2014/5/30(金) 午前 8:06

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  • 神田伯山
    寄席に出ると超満員だったとか。まだ、東京に何軒も寄席が有った時代。伯山先生が出ると近所の他の寄席は閑古鳥だったと聞きました。
    現在は、三代目・伯山先生の孫弟子、六代目・伯龍先生の遺言に従って、神田の一門から「伯」の文字を使う名前が止められていますね。
    だからか?「山」の方にあやかろうと名付けられた名前が多々あるように思います。
    伯山先生の次郎長は、修羅場だけじゃなく義侠や人情に溢れているのが素晴らしいですよね、受ける訳です。
    虎造さんも、そこに惚れたに違い無いと思います。

    [ Mars_jj_boy ]

    2014/5/30(金) 午前 10:04

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    こんにちは。(*^-^*)
    男の人を撃退させてしまう奥さんのキレの良い発言に惚れてしまいます。❤ポッ

    ま〜ぶる

    2014/5/30(金) 午後 4:36

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    親に連れられて町の劇場に連れられて行って
    田舎の小さい劇場ですが升席で畳が敷いてあって、ちゃんとした劇場の体を整えていました。
    閻魔堂の前での立ち回りなど何度も見せられていました。
    当時、小金井ひでお、総金歯が売りで人気役者でした。もう一人、女剣劇の第一人者大江美智子などが演じていたようでした。
    わたしが15,6の頃ロックに行ったら大江美智子ののぼりが立っていたのを薄ら覚えに成って居ます。

    たそがれ与太郎

    2014/5/30(金) 午後 9:26

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    やはり節のついた虎蔵節でしょうね、現代(?)の感覚から言えば。
    「中野町在小松村」と言うのには地理的にちょっと引っかかります。かなり距離が離れていますから。
    現在の浜松市東区中野町と小松村の間には「倉中瀬」と言うところがあり、そこに私の曾祖父は棲んでいました。そして小政などと関係があったのですが。。。
    それ以上はプライヴァシーにかかわりあうので。。。
    現浜松市小松には七五郎の末裔が住んでいると聞いています。
    虎蔵の「お民の度胸」は聴きごたえがありますが、こちらはさらっとしていますね。
    やはり明治の人と、虎蔵に傾倒した我々世代との感覚の差なんでしょうね。

    憲坊法師

    2014/5/30(金) 午後 9:37

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    与太郎さん、横レス失礼。「大江美智子」本当になつかしいです。舞台何度も見ました。

    憲坊法師

    2014/5/30(金) 午後 10:05

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    *キャバンさん。。
    江戸時代の本当のばくち打ちの名前って、いいのが多いですよね。

    一番は? 大政。二番は? 小政。三番は? 大瀬半五郎。四番は? サード長嶋・・・ってのは、三十石船道中をもじって私が作ったギャグですが・・・(^ω^)

    藪井竹庵

    2014/6/2(月) 午前 6:29

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    *菖蒲園さん。。
    おそらく伯山のSPレコードは多数発売されている筈ですが、CDで復刻されたものってのは少ないと思います。

    ドスの利いた声でいいですよね。講談の世界も、こう云う先生が出てきてくれると、講談って何? って云われなくなると思うのですが、講談定席の本牧亭も完全閉鎖されてしまったし、今は浅草の木馬亭に間借りしている状態なんですかね?

    藪井竹庵

    2014/6/2(月) 午前 6:30

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    *十二六さん。。
    落語や浪曲は、曲師を含めても二人で出来ちゃうので、ラジオの時代の低予算番組では放送しやすかったんでしょうね。

    やがてテレビの時代になると、ラジオでゆっくりと聴く話芸よりも、動き回るバラエティ番組が持て囃されるようになってしまい、本当の話芸は下火になってしまったと思います。

    噺家が着る着物の色は、黒や茶や灰色などの地味な色が当たり前だったのですが、今ではカラフルな色も普通になりました。噺家がカラフルな色の着物を着るようになったのは、「笑点」のカラー化によってです。カラー放送であると云う事をアピールする為に、日本テレビが考えた事ですが、あの番組以外でも今だに派手な色の着物を着てる噺家がいますが、下手糞ですって事をアピールしてるようなもんです。

    藪井竹庵

    2014/6/4(水) 午前 5:29

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    *Marsさん。。
    八丁荒らしですね。八丁ってのは8百メートルって事だから、半径4百メートル以内にある寄席の客をみんな引っ張り込んじゃうほど人気があったって事ですね。

    三代目 伯山は、客無しの短いSP音源しか残せない時代の人でしたが、現在でもこれだけの講談をやれば客は入るでしょうね。

    藪井竹庵

    2014/6/4(水) 午前 5:38

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    *まーぶるさん。。
    小松村七五郎の女房の「お民(おたみ)」の度胸ですね。ただし浪曲は落語同様にファンタジーの世界ですから、客に受ける物語を作るってのも、演者の技量なんです(^∇^)

    藪井竹庵

    2014/6/4(水) 午前 5:59

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    *与太郎さん。。
    女剣劇として一般的に知られている大江美智子さんは、実は二代目 大江美智子(1919〜2005)なんですよね。初代(1910〜1939)が29歳の若さで急死したので、一座を引き継いで女剣劇のスターになりましたね。

    昭和17(1942)年に浅草に進出して、浅草の大衆演劇ファンを沸かせました。同じく女剣劇で浅草の劇場を沸かせたのが浅香光代さん(1928〜)。内海桂子さん(1922〜)同様に浅草の女大親分的な存在ですね(^∇^)

    嗚呼、昭和は遠くになりにけり・・・って感じでしょうか?(^ω^)

    藪井竹庵

    2014/6/4(水) 午前 6:38

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    *けんちゃん。。
    その通りだと藪さんも思います。確かに講釈は江戸時代の軍談物から花形の演芸だったと思いますが、やがて三味線入りで節を付けた浪曲が出て来ると、どうしたってそっちの方が客受けしますよね。もっとも目をつぶって聴いていて心地良くないとダメですが・・・(^ω^)

    その意味では田辺一鶴さんなんかは、落ち目になってしまった講談をどうしようかと考えたと思います。一鶴先生は、ビジュアル講談と笑いに活路を見出したと思います。残念ながらその後継者がいるのかどうかは判りませんが・・・

    地理的な事は地元の人じゃないと詳しくは判らないと思います。でもそこは志ん生流の解釈でいいんだと思います。馬生が火焔太鼓に付いて調べて、本物の火焔太鼓は4メートルもあるような大きなモノだからって、甚兵衛さんが大八車に乗せて大名屋敷に持って行くってやったら・・・だからお前はダメなんだと馬生を叱ったそうです。

    聴いてる客はそんな事知らねぇんだから、担いで行ったっていいんだよ・・・まさに志ん生流のデフォルメですね(^∇^)

    藪井竹庵

    2014/6/4(水) 午前 7:21

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    *けんちゃん2。。
    大江美智子さんは失明してしまって劇団を解散しましたが、浅香光代さんが一人頑張って浅草の女剣劇の火を絶やしませんでした。

    浅香さんは当代 圓歌と同い歳ですが、残念ながら足を悪くしてしまったようで、現在は舞台には立てないようです。

    藪井竹庵

    2014/6/4(水) 午前 7:22

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