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よくこの〜連中が戦前の浅草の賑わいの写真を出しますが、それがこの浅草公園六区地区なんです。
多くの活動写真館や劇場が立ち並び、ごった返す客で歩けないほどだったらしい。戦前は東京で最も繁盛した盛り場でした。
なぜ「ロック」と云うのか? 明治になって浅草寺境内を浅草公園として整備する時に、区分けをしたんです。浅草公園第六地区が、公園六区となり単に六区と呼ばれるようになりました。
戦後焼け跡になってしまった浅草では、ヤクザと露天商の神農会とで商売の縄張り争いがありました。圓生も親分として出演した事がある、高倉健さんの「昭和残侠伝」と云う映画でその辺のところが描かれています。
健さんは「エンコ」と云ってましたが、それは浅草公園地区の公園を引っくり返した隠語です。
長いマクラはこの辺にして、六区地区は近年になって平成の再開発が行われました。広い浅草寺境内ですが、警察官が常駐している交番は六区にしかありません。
東京の三大洋画封切館として有名だった大勝舘は、24時間営業のドンキに変わり、交番裏のゴチャゴチャした飲み屋街は、「まるごとにっぽん」と云うビルに変わりました。
撮影データ・・・平成30(2018)年12月18日(火)午後一時過ぎ 浅草六区
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浅草六区を私は、長いこと「浅草ロック」と勘違いしてました。
演芸の本場という認識でしたが、20歳前後に東武伊勢崎線で帰省する将来の妻を見送りに行ったときには寂れていると感じたものです。今は、人道も多いようで、良くなってきたんでしょう。良いことですね。
2018/12/22(土) 午後 0:50
こんにちは。(*^-^*)
映画になるほどの場所だったのですね。
....〆(・ω・。) メモメモ
当時の役者さん達ですか
記念になって良いですね。〃⌒ー⌒〃
2018/12/22(土) 午後 1:08
この前までは寄席が跳ねる頃になると殆ど人も通らず。怪しげな娼婦がたむろしていました。変われば変わるものです。今はその時間になっても明るく人通りも多いです。その頃の演芸ホールは夜席は人が入らず当代の人気者の喬太郎師がトリでも余り入りませんでした。(自由に座れて良かった面もありますが)
「まるごとニッポン」は未だ入ったことありません(^^)
2018/12/22(土) 午後 2:22
松竹少女歌劇を国際劇場に見に行くついでに六区を通りました。
ひょうたん池ってのがあってその周りでオジサンたちがバクダンを昼間っから呑んでました。
新仲の薬研堀の大辛買いに行きたいけどそれだけじゃ行くのは億劫です。
( ;∀;)
2018/12/22(土) 午後 3:13
*キャバンさん。。
浅草六区は、漢字で書く事は少なくてカタカナでロックと書く事が多いので、どうしてもロックンロールのロックと間違えやすい。ちなみに内田裕也さんを浅草で見かけた事はありませんが、彼はもう40年近く浅草公会堂で毎年大晦日にオールナイトでロックフェスティバルを開催してます。
六区地区は、東武線や地下鉄銀座線の浅草駅とは反対側の、合羽橋方向の西側地区にありますので、演芸ホールまで来るにはかなり歩きます。仲見世通りの混雑と比べると六区地区まで来る観光客は少ないので、客数はかなり少なくなっていると思います。
2018/12/23(日) 午後 1:40
*まーぶるさん。。
浅草は八代将軍 吉宗の頃から江戸最大の盛り場でした。なぜかと云うと、交通の便が悪かった時代に浅草は隅田川を航行する舟の便があったからです。
江戸時代には日に三千両と云う言葉があって、朝は日本橋の魚河岸に千両が落ち、昼は猿若町の芝居小屋に千両が落ち、夜は吉原に千両が落ちたと云われています。それらの場所はみんな隅田川沿いにありました。
現在の東京の盛り場と云われている渋谷や新宿なんて、江戸時代には草深い単なる田舎でした(^ω^)
2018/12/23(日) 午後 2:10
*菖蒲園さん。。
六芸神の祠は、まるごとにっぽんの工事に入る前は交番の左横にありました。工事中はどっかに保管され、工事が終了してからは交番の右後ろに移動しました。
それが現在は見当たらなかったので、交番のお巡りさんに聞きました。大塚駅前交番の若いお巡りさんとは違って、三人いたお巡りさんは既に定年退職をして、東京都の老後就職対策で復帰したと思われるお爺ちゃんお巡りさんでした(^ω^)
まるごとにっぽんは、いわゆる地方の物産展みたいな店と食堂が入居しています。デパ地下と比べるとかなり貧弱で、客が入ってません。今年は三周年らしいのですが、利益は出ていないと思われるので、いずれテナント料が払えずに撤退する店が続出すると思います。
2018/12/23(日) 午後 2:33
*安寿先生。。
秋元さんがAKBってのをプロデュースしましたが、それって松竹歌劇団のSKDのパクリですね(^ω^)
大坂には、NGKってのがあります。難波グランド花月と云う劇場です。
2018/12/23(日) 午後 2:38
あら、大阪の少女歌劇はOSKって言って大阪少女歌劇です。
確か京マチ子なんかがいましたよ。
2018/12/23(日) 午後 4:05
ロックって
ロックンロールじゃなかったのですね。
今まで間違えていましたよ。
↑
京マチ子さんって懐かしい
流し目の美人の女優さんでしたね。
[ 笑み ]
2018/12/23(日) 午後 11:30
*安寿先生。。
興マチ子さん。顔だけはうっすらと覚えてます。昭和は遠くなりました。
今上天皇が来年四月に退位なさる事が決まっているのに、何で事前に元号を発表しないんでしょうかねぇ。平成は今年で終りではなくて、来年の四月までは平成31年なんです。
カレンダー屋さんは平成31年と印刷したカレンダーを発行せざるを得ないんです。昭和天皇以前は崩御によって元号が変わったので、事前に元号の用意はできなかったのですが、生前退位の場合は事前に元号を発表しても構わないと思います。
2018/12/24(月) 午後 0:12
*笑みさん。。
一区から五区までは盛り場ではなく浅草寺境内なので、あくまでも行政が決めた区割りなので一般には流布しませんでした。六区だけが、浅草の盛り場の地域を表す用語として現在にまで残ってます。
ちなみに、合羽橋の今半のところから、交番脇を抜けて浅草寺の本堂へ至る道を奥山街道と云ってます。奥山と云う言葉は今は誰も使ってない。でも落語の戦後昭和の大師匠たちは、奥山と云う言葉を使ってました。
奥山地域はインチキな見世物小屋が立ち並ぶ場所でした。https://blogs.yahoo.co.jp/yacup/61685367.html
2018/12/24(月) 午後 0:13