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三遊亭圓朝(明治33年8月11日没)と云うと、江戸東京落語の中興の祖と云われています。最盛期には外弟子を含めると五百人もの弟子がいたと云われています。
第一次落語研究会を立ち上げた圓左も圓右も二代目 小圓朝も四代目 圓喬も四代目 圓蔵も、柳派の三代目 小さんを除き、みんな圓朝の弟子でした。戦後昭和の大師匠たちの多くは圓朝の孫弟子です。
また圓朝は、江戸東京博物館が選定した明治の文化人に、噺家として唯一名前が挙げられています。落語の孝行糖で、与太郎が親孝行だとしてお奉行様からもらう青差し五貫文(一両一分)を、親孝行だった圓朝は噺家で唯一もらったと語られています。
圓朝は幕末の文武両道の達人で、名筆と云われた山岡鉄舟に心酔し、禅の先生として仰ぎました。谷中三崎坂にある全生庵には、山岡鉄舟の大きな墓石が見下ろす下に圓朝の墓があります。
って、何も圓朝の事を書こうと思った訳じゃなくて、圓朝の出淵(いずぶち)家には、圓朝のお兄さんがいました。そのお兄さんが明治の初めに住職をやっていたのが、藪さんローカルにある是照禅院なんです。これは圓朝の事を生意気に語る連中も知らないトリビアだと思います(^∇^)
しかし藪さんローカルの餅搗き大会を取材すると、随分子供が多いなぁ。子供は餅がどうやってできるのか判らないので、お婆ちゃんがしゃもじに蒸しあがった餅米を子供たちに食べさせていたのは、いい事ですね(^∇^)
撮影データ・・・平成30(2018)年12月2日(日) お昼 是照院
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2018年12月07日
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