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「上野の山崎町を出まして、あれから山下へ出まして・・・」。落語の「黄金餅(こがねもち)」の麻布までの道中付けの出だしです。
山下と云う地名があった訳ではなくて、上野の山の下と云う意味ですね。新橋まではまっつぐに現在の中央通りを、夜中に西念の死骸を入れた早桶を担いで行く訳ですが、その山下の場所がこの上野恩賜公園の入口です。
上野公園と云うのは、かつてはすべて東叡山寛永寺の広大な敷地でした。徳川幕府に庇護された寛永寺には、何人かの将軍の墓があります。
寛永寺の東叡山と云う山号は、上野の山を東の比叡山に見立てている訳で、不忍池は琵琶湖と云う設定なんです。
東京と云う都市は世界の大都市の中でも最も緑や広い公園が多い場所です。その理由は何も無い武蔵野の寒村だった江戸に徳川家康が商業都市を新しく築いたからです。
謀反を警戒して参勤交代と云う制度を作り多数の広大な大名屋敷ができました。現在東京にある広い場所と云うのはことごとく大名屋敷の跡地か、徳川幕府が庇護した神社仏閣です。
東京ドームは水戸藩の上屋敷の跡地であり、東京大学の本郷・弥生キャンパスは、加賀百万石の前田家の大名屋敷の跡地です。
大名屋敷の多くは、現在の小石川後楽園の庭園の、回遊式築山泉水庭園の様式を模して作られています。
しかし藪さんブログは自分でも感心するほど、アカデミックな記事を書いてるなぁ。それを云わなきゃいいんだけれど、云わないと判んない人がいるかも知れないので書いておく(^ω^)
撮影データ・・・平成31(2019)年3月14日(木)午後二時過ぎ 上野公園
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2019年03月19日
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