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現代では小石川と表記していますが、北斎が富嶽三十六景で牛天神から富士山を描いた頃は、礫川(れきせん)と書いて「こいしかわ」と読んでいたようです。
現在、後楽園から大塚へ通じている千川通りは、藪さんが子供の頃には改正道路とか、礫川通りと云ってました。現在でも伝通院のそばに礫川小学校があります。
文京区の地形は、武蔵野台地と江戸湾が接している場所なので、とにかく坂が多い。高台は武蔵野台地で、低地はその台地を削った川筋だった訳です。
だから、小石(礫)が転がっている川筋だったので、礫川と云う地名になったんだと思います。礫川公園は春日通りの富坂の坂に沿って作られているので、清和公園と同じように高低差のある階段公園になってます。
撮影データ・・・平成31(2019)年3月27日(水)午前11時過ぎ 小石川礫川公園
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2019年03月30日
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