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VOL 2 内裏図

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内裏の北には平安宮の北辺に位置する標高112mの「船岡山」があります。

この山は都の中軸線(朱雀大路)の北延長線上にあることから、平安京造営時の測量基準点として

重要な役割を果たしたと考えられています。すぐ上の画像は現在の「船岡山」の航空写真です。

一方、平安京四神(中国の思想である四神相応を京都にあてた)の玄武にあたる山ともされています。

船岡山こそ、 「たいらのみやこ」 北の守り 「玄武にあたる山」 なのです。

この山の南の一条大路をはさんで、内裏が存在していた、ということになります。



尚、先に紹介しました 「豊楽殿(ぶらくでん)」(模型)は一番上の画像中心の大極殿の西側、

(左側)に存在していた、ということになります。 o(^-^)o

閉じる コメント(7)

この内裏の図を見ると「あさきゆめみし」(←マンガ)を思い出してしまう私です(笑)桐壷、藤壺・・・この頃の後宮は大奥のように男人禁制ではなかったんでしょうね(だって、源氏は・・・!笑)

2006/10/25(水) 午後 6:42 ♪Emirin♪

すごい昔につくられたのにきっちり整備されてますよね(^^♪

2006/10/25(水) 午後 7:12 [ - ]

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凄い技術ですね〜 ひとめみてみたい、大好きな平安時代〜

2006/10/25(水) 午後 7:47 緋真

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TAKAMIさん、今よりこの頃の方がはるかに都市計画力の頭脳もパワーもあったように思えます。今なんて元の土地に存在してた「ほこら」を新しく建築したビルの屋上にのっけてるケースなんて結構あったりするんですよ。なぁんか、コレってどーだろねー?って気がします。

2006/10/25(水) 午後 8:03 ldr*go*1*61

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EMIRINさん、うーん、そのマンガは知ってるよーな知らないよーな。源氏物語はちゃんと読んでないです。恋愛っぽいモノよりイクサものばっかり読んでました☆

2006/10/25(水) 午後 8:10 ldr*go*1*61

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HIROMIさん、でも平安時代は大飢饉もありーの、魑魅魍魎(ちみもうりょう)はウヨウヨいーの、みやこの北方、亀岡には「鬼」までいたり【桜石伝説】して、決して庶民には優雅な生活などトンでもない話であったかと思われますよ。ごく少数の特権階級のみ優雅に暮らしてたのでしょう。でも「平安時代」には阿倍晴明はじめ興味深いお話が「山盛り」ですよね☆

2006/10/25(水) 午後 8:18 ldr*go*1*61

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関連記事から来ました。
整然と多くの建物が有りますね。傑作

2012/2/24(金) 午前 9:55 あるく


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