|
「江〜姫たちの戦国〜」が始まって、
今年も日曜日8時はテレビの前から立てなくなっている私です(笑) うちの孫と娘は、今週、トヨエツの信長が死んでしまってガッカリしてるようですが(^◇^;) (私の楽しみはこれからよ〜)笑
さて、今日は徳川家康と その妻・築山殿の事をちょっぴり触れたいと思います+;☆;+;。・゜・ 家康は三河国岡崎で出生(幼名は竹千代) 父は岡崎城主・松平広忠、母は刈屋城主・水野忠正の娘・於大の方 水野忠正亡き後、当主となった信元(於大の兄)が尾張の織田信長と同盟した為、 敵対する今川勢に付いていた父・広忠は於大と離縁 於大は再婚し、竹千代は人質として今川義元の元へ送られる 元服して名を元信と改めた竹千代は、 築山殿(義元の姪)を正室に娶り、さらに元康と名を改めた 3年後、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれた後、 今川と完全に決別した元康は、織田陣営に付き、家康と名を改めた 築山殿との間に出来た嫡男・信康の正室に、織田信長の娘・徳姫を迎える事に…
今川一門であった築山殿にとっては、 今川義元を殺した織田信長の娘が、息子の妻になるのは気に食わない… 嫁姑の中がうまくいく訳がない また、なかなか嫡子が生まれない事を心配した築山殿が、 部屋子の女性を側室に迎えさせた事も、嫁姑の不和の原因になったと言われている 徳姫は父・信長へ手紙で、「夫・信康は粗暴で浮気者、 義母・築山殿に唆されて信長への謀反を起こす疑い在り」と送った これに怒った信長は、家康に築山殿と信康を殺せと命じるのだった 築山殿は息子の助命を乞う為、家康の居る浜松城に向かう途中、家康の家臣に殺害され 半年後、信康も自刃に追い込まれる 命じられるままに妻子を殺した家康は、信長の信頼を得、 三年後、武田討伐の功として駿河国を与えられる 本能寺の変以後、更に甲斐・信濃・駿河・遠江・三河の 5ヶ国を領有する大大名へとのし上がっていき のちに、300年続く徳川幕府を築いていく 自分の妻子を殺すなどと、現代では到底考えられない 戦国の妻たちは一日一日をどんな思いで過ごしていたのだろう そう思うと共に、戦国の女性たちは芯が強かったのでは?と思えてくる いろいろな本の中では、 家康の妻・築山殿は、嫉妬深くかなりの焼きもち焼きだったとの説もある 実際、どうだったのかしらね〜(笑)(;´ー`)ゝ” |
全体表示
[ リスト ]





