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「彼」の変化がもうひとつありました。 子供は眠くなるとグズリますが、「彼」は寝起きも火がついたように泣くのです。 その泣き方の激しさは、入院前まで見たことのない姿でした。 その頃は実母も元気で、機嫌直しに「彼」を外まで連れ出してくれました。 どうしてこのようになったのか。。 私が何の前触れもなく、突然姿を消したからです。 幼い子供にとって、突然庇護者がいなくなる不安は計り知れません。 今になってこそ、「彼」にわかるような言葉で、入院を伝えれば良かったと悔やまれますが、 当時はそんな余裕もなく、親子で傷付く結果を招いてしまいました。 では、どうすればいいのか。。 まもなく様々な理由から夫と離婚に至ります。 そのため、実父・実母・私・「彼」という家族構成になりました。 私は、一家庭に母親がふたりも必要ないことを、受け入れざるを得ませんでした。 働ける身体になるまで治療に専念し、私は母親業を捨てました。子離れしたのです。 社会復帰後は、社会を伝える父親の役目と、姉貴分として「彼」をバックアップしました。 実母の強い性格に傷付けられた経験から、無意識に「彼」を守ろうとしたのです。 しかし、それには犠牲も伴いました。 必要に迫られた措置でしたが、私にとって母親業を捨てることは、かなりの負担があったようです。 後に、その時の経緯や感情の記憶が、欠落していたことがわかりました。 当初は試行錯誤の連続でしたが、意外にこの方法が効果的な役割を果たしました。 私のポジションが、柔軟に対処できたからです。 「彼」の年齢によって、役割の比重を対応させたのです。 「彼」が幼い頃は遊び仲間となり、成長とともに父親の役割が増えました。 また一定の距離をおくことにより、「彼」を所有することなく、人として尊重することができました。 私が受けたプレッシャーから守るため、実母の過剰介入をけん制し、「彼」を自由にさせることができたのです。 母親役は実母が担ってくれたため、私は温かく見守ることができました。 コケたからすぐに助け起こすのでなく、そばに行って視線を同じまで下げ、手を差し伸べることができました。 「彼」と三人称で呼んでいる経緯はここにあるのです。 今でも「彼」の中に父性の少なさは否めませんが、それぞれの役割で最善を尽くせたと思います。
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