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Nくんのお母さんから電話がありました。 「年賀状 出せなくてごめんね」 時々そうしたことがあるので、別に気にもとめなかったのですが。 「Nのこと 言ってたかな?」 この言葉に嫌な予感がしました。 彼女が話してくれたことは、Nくんの死でした。 亡くなって1年経つこと。 突然の心臓発作だったこと。 自宅ですでに心停止の状態だったこと。 救急車や病院での蘇生処置も効果がなかったこと。 淡々と語る彼女の乾いた言葉が、母としての深い哀しみを伝えていました。 Nくんは仕事で疲れていたと言います。 しかし20代前半の青年です。 誰が亡くなることなど予測していたでしょう。 救急隊員やドクターの精一杯の処置にもかかわらず、Nくんの心臓は二度と動くことはなかったのです。 「今でもね。 諦めきれないのよ」 「Nがね。 どこか遠い外国にいるみたいで。 まだどこかに生きてるって。。。」 当然だと思います。 急に我が子を失った悲しみを、どこにも出せないでいたのでしょうね。 ただ聞くことしかできませんでした。 聞くことしか。。。 落ち着いたら、手紙を書いてみようと思います。
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2007年01月12日
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久しぶりにこの書庫に記事を書きます。 ここで、「彼」についてもう一度紹介したいと思います。 「彼」は私の息子。 現在20歳。 とっちゃん坊やです^^; 携帯も持たない古風なヤツで、イマドキの若者ではありません。 そんな「彼」には先天性奇形がありました。 はっきり言って大変でした。 きれい事だけではないですからね。 でも、そのお陰でたくさんのことを学ぶことができました。 「彼」も私も。 「彼」の奇形は機能的にも支障があります。 しかし、現在の医療ではその回復は望めません。 見た目の奇形を、手術によってそれなりに見せるしか方法がないのです。 命に別状はないし、たいしたことないって言えばそうなんですけど。。 欠損している部分を手術によって完成させます。 無を有にするわけですから、手術も数回にわけて行います。 「彼」が幼稚園在園中、大学病院で初めての手術がありました。 手術時間は半日ぐらいかかったでしょうか。 患部に使用する軟骨や皮膚を移植するため、何ヶ所か同時に手術するからです。 術前の緊張感は子どもにも伝わるはずですが、「彼」は平然と手術室に消えていきました。 術後しばらくの間はかなりの痛みが残ると言います。 「彼」は耐えました。 小さいながらよく頑張ったと思います。 「彼」の病室には同じような先天性奇形のお子さんがいました。 「彼」より年下ですがしっかり者のYくん。 小学生ですでに数回手術を受けていたNくん。 入院期間は2〜3週間におよびますので、Nくんはいつも勉強していました。 そんなNくんを見習って、病室は小さい子どもたちも含めて院内学級のようでした。 NくんもYくんも「彼」より先に退院していきました。 そして、今でもNくんのお母さんからは年に数回電話が来ます。 今年も年明け早々に電話がありました。
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