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書庫うつ病発症から入院まで

うつ病について語っています。
発病から入院、回復の兆しが見えるまで。
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学び

私は「入院中のうつ病患者」に関わらず、同室の患者さんの「愚痴の聞き役」となっていました。
(とても「カウンセラー」とは言えないので。。^^;;)
元々話すことが不得意でしたので、人の話を聞くのが好きでした。だから何の苦にもならなかったのですが。。

同じ「うつ病」患者さん、「糖尿病」患者さん、「胆石」の患者さん、「ガン」の患者さん、「原因不明」の患者さん。。
同室に居れば何も言わなくても、「うつ病」とカミングアウトしているのと同じです。
それが相手の方に安心感を与えるのでしょうか?
日常の会話から始まって、徐々に深刻な会話へと進んでいきます。

その時感じたのは、皆さん「気を病んでいる」こと。。
精神的に出るのか、身体的に出るのかはその方によりますが、皆さん心に何かしら抱えておられました。
心のわだかまりが、病気を作っているようでした。

私はカウンセリングを受けていましたから、手法やコツは「真似」をすれば、それなりのことはできました。
最初は何気なしに始まったことでした。一対一からやがて一対多数になり、人の輪ができました。
初めは傲慢にも人の話を「聞いてあげる」つもりでいました。
しかし、それも続けていくうち、なんと学びの多いことでしょう。
「聞かせて頂いている」、「学ばせて頂いている」。。
心からそう思えるようになりました。傲慢が謙虚に変わったのです。

同室の患者さんから言われたことがあります。「顔付きがだんだん優しくなっているよ」と。。
全ては病気のお陰、人のお陰で学んだことです。その時から私の本当の「学び」が始まりました。

告白

トレーニングはそれだけでは終わりませんでした。
退院日に入院中の最後の面談が組まれており、その際私の思いを母に「告白」するのです。
主治医の方が気を遣って、「私の方から言いましょうか?」と声をかけてもらいました。
しかし、これだけは自分の口から言おうと思っていました。
「逃げてはいけない」、「これから先へ進みたい」、「入院した結果を出したい」。。
あらゆる感情が渦巻いていましたが、私の本能が「これは自分がやるべきことだ」と結果を出していました。

以前にも面談の機会がもたれたことがあります。しかし、持ち時間の80%を母が話して終わってしまいました。
その時は、「親子で話し合うべき時間を、母が一方的に使ってしまった」と思っていました。
今になって考えると、母も誰かに認めて欲しかったのだと思います。
医師とはいえ、母の年齢からすると娘のような女性に、自分の人生を話したのです。
「母も満たされていなかったんだ。。」と改めて感じました。

そして、「今回はあなたが話す番ですよ」と、主治医に促されて話し始めました。
「寂しかったこと」、「哀しかったこと」、「怖かったこと」、「悔しかったこと」、「愛して欲しかったこと」。。
「今伝えなければ、一生チャンスは訪れないだろう。。」、必死の思いで泣きながら訴えました。
母も戸惑っていたようです。娘の半生をかけた「告白」に、どうして良いか分からなかったのでしょう。
「さぁ、お母さん、娘さんを抱き締めてあげて下さい」、主治医から声をかけられ、母は私を抱き締めてくれました。
ぎこちなく、温かく、ちょっぴり切ない抱擁を、私は一生忘れることはないでしょう。

トレーニング

お気楽な入院生活をご想像されたかもしれません。
実際、上げ膳据え膳でご飯がいただけるし、いつ眠っていても文句言われないし、外傷はないわけですから痛みもありません。

最初の目的は、うつ源(ストレスを感じる原因)となる父から逃避する入院のはずでした。
次第に幼少時に母に甘えられなかったことが、もうひとりの私の成長をストップさせていたことがわかりました。
気丈にオトナを演じ常に完璧を目指す自分と、真っ暗な空間の中で膝を抱えて泣いている女の子がいました。
そのふたりとも私自身でした。
(アダルトチルドレン、アダルトチャイルド(AC)で検索すると、たくさんの情報がhitすると思います)

そして、主治医による面談は時に過酷なものとなりました。
子供の気持ちになって、当時甘えられなかった母に、その時の気持ちを「告白」するのです。
面談では、気持ちを開放させるように、優しく・厳しく言葉がかけられました。
その言葉に乗せられるように、泣き叫びました。
「さみしかったよ。くるしかったんだよ。ずっとずっとガマンしてたのに。。」
私は子供になっていました。

心の絵

心療内科の患者は、基本的な検査のほかは、特に何もすることがありません。
週に何回かの、主治医とカウンセラーさんの面談をするだけでした。
暇を持て余すので、色鉛筆とお絵描き帳を取り出しました。
入院用品の中に、もしも時間があったら描こうとして、バッグに入れておいたものです。
通信教育の題材を使って、「お地蔵様」を描こうとしていましたが、どうもしっくりこないのです。

一方、お向かいのベッドの人の生花が、枯れていくのがどうにも気になっていました。
仲良く会話ができるようになったので、思い切ってお願いしてみました。
「すみませんが、その花を描かせてもらえませんか?」
それが全ての始まりでした。

私は花に癒され、花から学び、花から治療を受けました。後から考えると「アートセラピー」だったのです。
赤面するような「稚拙な絵」に言葉を添えました。無心になりたくて。。 自分を見つめたくて。。
やがて、「稚拙な絵」がひとり歩きを始めました。同室の患者さんや医療関係者を癒していくのです。
絵がキッカケとなり対人恐怖症の私が、初対面の人と話をするようになりました。
ある時は、「絵」が他人の気付きを呼び起こし、その人の人生さえ変えてしまいました。

やがて私は気付くのです。「稚拙な絵」がその人の人生を映しているのだと。。
苦労した人は、そこに自分の苦労が映し出されて涙されます。
苦労の無い人には、ただの「稚拙な絵」にしか過ぎません。
なんと不思議なことでしょう。。

入院

主治医から勧められて、相談に行ってきたのが「女性センター」でした。
相談員さんと面談をしました。大変親身になって、お話しを聞いて下さいました。
その時、相談員さんが仰った言葉があります。
「せっかく生まれてきたのだから、あなたの後半生、実りある人生を送ってみませんか?」
この言葉のお陰で、「病気と闘おう」という意思が芽生えました。
あの時、あの相談員さんと出会わなかったら、私の人生は違ったものになっていたかもしれません。

仕事が暇になったと気を見計らって、理解のありそうな上司にカミングアウトして、休職することとなりました。
家にいる時には、主治医のアドバイスもあり、「自分を守るために」自室に引きこもりました。
しかし、自室は2階にあります。夏の暑さが厳しくなるに従って、体重が減り衰弱していきました。
主治医からの再三の勧めもあり、シェルター的入院となりました。父から逃れるためです。

「ここで最低2週間から1ヶ月間、入院して頂きます」 主治医の凛とした声が病室に響きました。
こうして、実際には約40日間の「別荘生活」となりました。
「1ヶ月。。か。。」 パジャマに着替えて、すっかり「患者さん」している私がつぶやきました。
病室には様々な病気の患者さんがおられました。うつ病・拒食症・糖尿病・白血病など。。
後にそのことにより、いろいろと考えさせられることになるのですが。。

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