ここから本文です

書庫若年性乳がん〜1988

乳ガンについて語っています。
1988年、20代半ばの私でした。
記事検索
検索

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 前のページ | 次のページ ]

今、夢中になって読んでいる本がある。
「がんのイメージ・コントロール法」(川畑伸子先生著)だ。
副題に「サイモントン療法による癒しへの道」と付けられている。

ガンに罹患してあと数年で20年が経つ。
乳ガンの再発率は20年とも30年とも言われる。
だから、いつ再発しないとも限らない。
私にとって、ガンはともに人生を歩んできた友人だ。
もっとも身近な病気であり、多くを学ばせてもらった。
それまでも、自分なりに感謝はしていたつもりだ。
しかし、この本を読むことで、ガンとは「なんて優しい友人だろう」と思った。

それまでにも、退院してから闘病記などを読み漁った。
壮絶な体験から、検診を拒否するものまで。。
しかし、この本のように、すんなりと心に入る本とは出合えなかった。
まだ1/3程度しか読めていないから、全ての感想は言えないのだが。。
「ありのままの自分でいい」という、自然な思想にあふれている。
「頑張らなくていいんだ。。」、その発想の転換に驚かされる。

私が、ガンとうつ病のどちらかに罹患しただけなら、感動しなかったかもしれない。
しかし、幸いにも両方を体験することができた。比較することもできる。
この本に書かれていることは、私がうつ病のカウンセリングで導いてもらった回答と同じだった。
だからといって、自分のしたことが無駄だったとは思わない。むしろ再確認させてもらった。
試行錯誤して出した答えが、間違ってはいなかったのだから。。
おそらくこの本によって、うつ病とは一線をおけるだろう。

サイモントン療法は、ガンだけにとどまらず、病気全般やマイナス要因にまで、役立つように思った。
ガンに罹患した患者さんは、うつ病にも罹患することが多いという。
理由は、ストレスに対しての対処法が、上手くないのだろう。
(私にもおおいに当てはまるのだが。。)

この方法をうまく活用すれば、ずいぶんと生き方が楽になるはずだ。
私は実践することはなかったが、トラウマを乗り越える方法のひとつと同じことが書かれていた。
まるで、漢方薬のようにじわりじわりと効いてくる。
今後、何かの節目ごとに再読することとなるだろう。
巡り巡って、この本に出合えたことに感謝である。
(カメさま、ありがとうございます)

さぁ、幸福を求める権利を行使していこう。

番外編〜失う痛み

手術により乳房を失った。
その周辺は、ずっと麻痺したようだった。感覚がなかった。
術後2カ月ほど経った頃だろうか、だんだんと感覚が戻ってきた。
切断された微小な神経が、繋がってきたのかもしれない。
(専門的なことはわからないが。。)

それは「かゆみ」となってあらわれた。
しかし、その「かゆみ」の部分は、今は存在しない。
生き延びた喜びにあふれていて、失ったものを忘れ去っていた。
急に哀しくあわれに思えた。失ったものがたまらなく愛しかった。

私の神経は誤作動を起こし、「かゆみ」のサインを送り続けた。
本当は生き延びただけでも、感謝すべきなのだ。
実際、主治医をはじめ医療関係者、「仲間」たちのお陰で快復できた。
でも理屈じゃない。私の感情が叫び出したのだ。

「私の乳房、どこへ消えたのですか?」

とりあえず「完」

「決断〜次のステップへ」でも書きましたが、ガンから様々な体験をしました。

乳房と夫と家庭を失いました。
自分の無残な姿が目に映ります。
父親のいない子供にしてしまいました。
幸せな家庭を作ろうとしましたが、私にはできませんでした。
病身でもあり経済的余裕もなく、私の実家での居候生活が始まりました。

「仲間」・「生きること」・「死ぬこと」。。 たくさんの学びを得ました。
同病であるから理解できること。言葉にしなくても通じ合えるものがありました。
誰もが自分のことで、いっぱいであるはずなのに、優しさと愛情が満ちていました。
医療関係者の温かい看護に救われました。
主治医は、おそらく分単位でのスケジュールなのに、毎日様子を診て下さいました。
看護婦さんもそれぞれの個性で、温かく厳しく接してもらえました。

もちろん、病巣の摘出その後の投薬など、医療行為の成果でもあります。
でも、そうした人の温かみによって、私は生き続けることができました。
乳ガンの再発は、20年とも30年とも言われていました。
現在では再発しても、いろいろな治療法が選択できます。

しかしながら、やはり「医療」は人なのです。
「手当て」から始まったように、人の手をなくして「医療行為」は有り得ません。
私が人との繋がりを意識しだしたのは、この頃からのような気がします。

担当して下さった主治医及び医療関係者の方にお礼申し上げます。
病んだ身体を捨て魂となった「仲間たち」の冥福をお祈りします。  合掌



※ 何か思い出しましたら(物忘れがひどいもので^^;;)、「番外編」ということで掲載させていただきます。

決断〜次のステップへ

そうして残った「仲間」は私を含んで3人でした。うち1人はガン患者さんではありません。
親しい「仲間」でなくとも、ウエディングドレスを着たいと夢見て逝ってしまった若い女性。
気品あふれる元看護婦さん。自分の状態が理解できるゆえに、辛い闘病だったことと思います。

それぞれの人が私の心の中に生きています。たくさんのメッセージを遺して。。
私は、発病から10年を経過する前に、ある決断をしました。誤解を受ける覚悟を承知で。。
彼女とは別の意味で、それ以後の受診及び検診を拒否しました。

私には何の知識もデータもありません。子供を宿したわけでもありません。
しかしこれ以上、検査による「被爆」は避けたかったのです。
素直な身体からのメッセージでした。「もういい。。充分だから。。」

その頃には幼かった子供も、中学生になっていました。
再発してもすぐに死を迎えるわけではないので、無理に生き長らえるのは終わりにしたい。。
自分のために、納得する生き方をしたいと思うようになりました。
「生きるも死ぬも自然のままに。。」 そして、まだ私は生きています。

ガンでたくさんのものを失いました。ガンでたくさんのものを得ました。
「生きること」を学びました。今でも残る胸の傷跡は私の「生きた証」です。
平成の年号は私の生き延びた年数と同じです。
そして私は「次のステップ」へと進むことになるのです。

※この記事は私個人の主観的な意見であり、ガンの「早期発見・早期治療」を否定するものではありません。

更に数年の月日が流れていきました。特にひとりの友人とは、よく連絡しました。
しかしその友人も、腫瘍マーカー値が上がりはじめ、ついに再発し入院してしまったのです。
その頃私は、零細企業で働いており、お見舞いに行く機会さえありませんでした。

ただ、情報だけがどこからともなく流れてきました。再発での入院を二度ばかり繰り返したでしょうか。
女性にとって、もっとも屈辱的な事態が起こったのです。友人のために直接的な言葉は控えたいのですが。。
彼女が入院中で、家を空けている間に起こったご主人の行動。。 想像は付くことと思います。

友人は退院後、お金を必要としました。それがいったい何を意味するのでしょうか。。
私はお金を用立てることも、詳細を聞き出すこともできませんでした。
友人にはお子さんがいました。上のお子さんとはそれらについて相談もしていたようです。
そして、あっという間に友人は逝ってしまいました。どんな思いで旅立ったのでしょう。
悔しかったと思います。腹立たしかったと思います。情けなかったと思います。
お子さんたちは何を思ったでしょうか。お父さんのことをどう思ったでしょうか。。

私は友人のために何をすれば良かったのでしょう?私は罪を犯したのでしょうか?
それからの私は、「生きるとはどういうことなのか?」を、問い続けることになるのです。

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 前のページ | 次のページ ]

アバター
矢車草
女性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ブログバナー

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン

その他のキャンペーン

みんなの更新記事