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今、夢中になって読んでいる本がある。 「がんのイメージ・コントロール法」(川畑伸子先生著)だ。 副題に「サイモントン療法による癒しへの道」と付けられている。 ガンに罹患してあと数年で20年が経つ。 乳ガンの再発率は20年とも30年とも言われる。 だから、いつ再発しないとも限らない。 私にとって、ガンはともに人生を歩んできた友人だ。 もっとも身近な病気であり、多くを学ばせてもらった。 それまでも、自分なりに感謝はしていたつもりだ。 しかし、この本を読むことで、ガンとは「なんて優しい友人だろう」と思った。 それまでにも、退院してから闘病記などを読み漁った。 壮絶な体験から、検診を拒否するものまで。。 しかし、この本のように、すんなりと心に入る本とは出合えなかった。 まだ1/3程度しか読めていないから、全ての感想は言えないのだが。。 「ありのままの自分でいい」という、自然な思想にあふれている。 「頑張らなくていいんだ。。」、その発想の転換に驚かされる。 私が、ガンとうつ病のどちらかに罹患しただけなら、感動しなかったかもしれない。 しかし、幸いにも両方を体験することができた。比較することもできる。 この本に書かれていることは、私がうつ病のカウンセリングで導いてもらった回答と同じだった。 だからといって、自分のしたことが無駄だったとは思わない。むしろ再確認させてもらった。 試行錯誤して出した答えが、間違ってはいなかったのだから。。 おそらくこの本によって、うつ病とは一線をおけるだろう。 サイモントン療法は、ガンだけにとどまらず、病気全般やマイナス要因にまで、役立つように思った。 ガンに罹患した患者さんは、うつ病にも罹患することが多いという。 理由は、ストレスに対しての対処法が、上手くないのだろう。 (私にもおおいに当てはまるのだが。。) この方法をうまく活用すれば、ずいぶんと生き方が楽になるはずだ。 私は実践することはなかったが、トラウマを乗り越える方法のひとつと同じことが書かれていた。 まるで、漢方薬のようにじわりじわりと効いてくる。 今後、何かの節目ごとに再読することとなるだろう。 巡り巡って、この本に出合えたことに感謝である。 (カメさま、ありがとうございます) |
若年性乳がん〜1988
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詳細
1988年、20代半ばの私でした。
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手術により乳房を失った。 |
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「決断〜次のステップへ」でも書きましたが、ガンから様々な体験をしました。 乳房と夫と家庭を失いました。 自分の無残な姿が目に映ります。 父親のいない子供にしてしまいました。 幸せな家庭を作ろうとしましたが、私にはできませんでした。 病身でもあり経済的余裕もなく、私の実家での居候生活が始まりました。 「仲間」・「生きること」・「死ぬこと」。。 たくさんの学びを得ました。 同病であるから理解できること。言葉にしなくても通じ合えるものがありました。 誰もが自分のことで、いっぱいであるはずなのに、優しさと愛情が満ちていました。 医療関係者の温かい看護に救われました。 主治医は、おそらく分単位でのスケジュールなのに、毎日様子を診て下さいました。 看護婦さんもそれぞれの個性で、温かく厳しく接してもらえました。 もちろん、病巣の摘出その後の投薬など、医療行為の成果でもあります。 でも、そうした人の温かみによって、私は生き続けることができました。 乳ガンの再発は、20年とも30年とも言われていました。 現在では再発しても、いろいろな治療法が選択できます。 しかしながら、やはり「医療」は人なのです。 「手当て」から始まったように、人の手をなくして「医療行為」は有り得ません。 私が人との繋がりを意識しだしたのは、この頃からのような気がします。 担当して下さった主治医及び医療関係者の方にお礼申し上げます。 病んだ身体を捨て魂となった「仲間たち」の冥福をお祈りします。 合掌 ※ 何か思い出しましたら(物忘れがひどいもので^^;;)、「番外編」ということで掲載させていただきます。
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そうして残った「仲間」は私を含んで3人でした。うち1人はガン患者さんではありません。 親しい「仲間」でなくとも、ウエディングドレスを着たいと夢見て逝ってしまった若い女性。 気品あふれる元看護婦さん。自分の状態が理解できるゆえに、辛い闘病だったことと思います。 それぞれの人が私の心の中に生きています。たくさんのメッセージを遺して。。 私は、発病から10年を経過する前に、ある決断をしました。誤解を受ける覚悟を承知で。。 彼女とは別の意味で、それ以後の受診及び検診を拒否しました。 私には何の知識もデータもありません。子供を宿したわけでもありません。 しかしこれ以上、検査による「被爆」は避けたかったのです。 素直な身体からのメッセージでした。「もういい。。充分だから。。」 その頃には幼かった子供も、中学生になっていました。 再発してもすぐに死を迎えるわけではないので、無理に生き長らえるのは終わりにしたい。。 自分のために、納得する生き方をしたいと思うようになりました。 「生きるも死ぬも自然のままに。。」 そして、まだ私は生きています。 ガンでたくさんのものを失いました。ガンでたくさんのものを得ました。 「生きること」を学びました。今でも残る胸の傷跡は私の「生きた証」です。 平成の年号は私の生き延びた年数と同じです。 そして私は「次のステップ」へと進むことになるのです。 ※この記事は私個人の主観的な意見であり、ガンの「早期発見・早期治療」を否定するものではありません。
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更に数年の月日が流れていきました。特にひとりの友人とは、よく連絡しました。 |




