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一時的にせよ「悪魔の感情」をもった私。。 罪悪感でいっぱいでした。 こんなにもかわいいのに。。 「どうして?」 「私は悪魔になった?」 答えは得られず、何度も自問を繰り返しました。 実母の束縛から逃れるために、結婚を選んだ私です。 反対を押し切って結婚したため、相談する人もいませんでした。 疲労感がたまっていきます。 「育児も家事も頑張らなきゃ。。」、でも動けません。 「嫁」として「妻」として「母」として、完璧であろうとしました。 でも、もう3役もこなすことはできません。 同居している私にとって、「嫁」の仕事は最後まで放棄できません。 深夜に仕事から帰る夫のため、今までは必ず食事に付き合っていました。 それも難しくなり、夫に話して食事の時間も休むことにしました。 育児も今までのようにできません。 でも、放っておくわけにもいきません。 「動かない身体でどうしたらいいのか。。」 「せめて温もりを伝えたい。。」、スキンシップをとりました。 「彼」はうつぶせ寝が好きでしたから、その背中を撫でてやりました。 すると小さな背中を動かします。撫でて欲しい箇所を示しているのです。 また、動作や表情で撫でるだけでなく、掻いてほしいことも示しました。 後日談ですが。。 「彼」にとって、背中を撫でられたり、掻かれたりすることは、眠る前の「儀式」となりました。 言葉が話せるようになると、「おせな(背中)、カイカイして。。」とせがむようになりました。 大きくなっても、「彼」の中で何かがあると、「背中掻いてくれ。。」と言いました。 「彼」は学校のことは、ほとんど話しませんでした。きっと、いろいろあったでしょうに。。 それでも、「背中掻き」をすることで、イヤなことや不安を乗り越えていったようでした。 そして大学受験の前日にも、「背中掻いてくれ。。」と言われました。 不安でいっぱいだったのでしょう。なかなか寝付けないようでしたが、やがて寝息が聞こえてきました。 こう書くと「マザコン」のようですが、実母にも同じことを頼んでいますから、「彼」だけの安定剤なのでしょう。 現在、二十歳の「彼」にこんな文章が目に入ったら、「恥ずかしいこと書くなよ!」って、どつかれそうですが。。 ((((^_^;
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障害児
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ある先天性奇形児の記録〜学ばせてくれてありがとう
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毎日が発見で、楽しい日々を送りました。 昨日できなかったことが、今日はできる。 今日できなかったことは、いつできるんだろう。 二度とない瞬間。「彼」の誇らしい顔。 そんな気持ちで、ゆとりのある日もありました。 一方で、大家族の家事に追われ、育児との両立に疲れていました。 話を聞いてほしい夫は、出張や残業ですれ違いばかり。。 コミュニケーションのとれない日々が続きます。 私ひとりが、嫁として大家族に入ったような状態でした。 孤立無援で、ストレスが溜まっていくのがわかります。 その頃「彼」は、ヨタヨタと歩けるぐらいになりました。 「彼」にとっては、見るもの・聞くもの、全てが新しい発見です。 好きなところへ自分で移動できるのが、本当に楽しいようでした。 ある時、洗濯物を干していた私は、「彼」とぶつかりました。 「彼」は泣きもせず、尻もちをついた状態でしたが。。 そんな「彼」を見て、「ざまあみろ!」という感情が生まれました。 自分が悪魔になったように感じました。 何という、おぞましいことを考えたんだろう。 自分で自分が怖ろしいと思いました。 今にして思えば、育児と婚家との関係で、抑うつ状態になっていたのです。
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「彼」の成長とともに、人前に出ることも多くなりました。 幸いなことに、奇形の方は隠れる部分でもあり、それほど目立ちませんでした。 まだ「彼」が話せない頃から、人と違うことを噛み砕いて話してきました。 話すことができなくても、言葉の理解ができることはわかっていました。 ですから、「彼」が障害を当たり前のこととして、受け入れられるようにしたのです。 理由はもうひとつありました。 同じ年頃のお子さんがご近所に多く、先に知識として覚えておいて欲しかったのです。 純真で無垢であるがゆえ、時に子どもは残酷な質問もします。 「彼」への質問が向けられた時、何事もないように説明できれば、子どもは素直に納得してくれます。 そのための対処でした。 「彼」が2歳前のことでしょうか。 わざと奇形部分が見えるようにしたことがありました。 「彼」と私の実験でした。周囲の子どもや大人が「どんな反応をするのか。。」試したかったのです。 それによって、私は次の対策を練る必要があったからです。 「彼」を見て、「なぜそんな『かわいそうな』ことをするの!?」と、実母は怒りました。 「またか。。」、正直なところ実母の障害への対応には、うんざりしていました。 でも、「彼」のことで実母を頼ることも多く、機嫌を損ねることはできませんでした。 少なくとも、「彼」が幼稚園か保育園に入園する頃には、奇形部分は処置されないままになります。 そのための第一段階でした。
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ひとまず方針は決まりました。 「彼」の様子をみて、おかしいと思ったら病院へ連れて行くこと。。 でも奇形児だの障害児だのと言って、特別扱いはしたくありませんでした。 実母の『かわいそう』と、何度も言ったことへの反発でもありました。 人と違っていてもいい、「彼」は無条件でかわいい。 まずは、私が受け入れなければ。。 だからこそ自分の分身とせず、対等の立場として接しました。 私はそれまで、幼い子どもと接する機会はありませんでした。 でも、じっと見ていると伝わってくるのです。 何がしたいのか、どうして欲しいのか、どんな言葉かけを必要としているのか。。 コミュニケーションの方法に問題があるだけで、そんなにオトナと変わらないんじゃないの? 私にはそう思えてなりませんでした。 また男の子ということで、母親との蜜月の期間は短いと覚悟を決めていました。 一瞬ずつを写真のように目に焼き付けて、頭のアルバムへとしまい込みました。 幸い奇形と障害以外は、ほとんど病気はしませんでした。 ただ、大家族での育児でありながら、家族が働きに出た後は私ひとりで家事をこなします。 「彼」ひとり置いてもおけず、いつもおんぶ紐で親子はつながっていました。 そんな時、「彼」はイビキをかいて爆睡しています。母親の匂いを嗅いで、安心しているのでしょう。 そうして、少しずつ「彼」は成長していきました。
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大学病院へ行く日が来ました。 夫と、生後1ヶ月の「彼」を連れて、大きな病棟の中をどんどん奥へと進みます。 そして着いた先は「形成外科」。 (整形外科とは違い、大きな手術が行われます) 受付で記入するだけでも大変で、これから先を思うと暗たんたる気持ちになりました。 そして待たされる待合室もない薄暗い廊下。私の心臓は大きく波打っていました。 長い廊下を歩く中ですれ違った患者さんたち。。 思わず目を背けてしまいそうでした。 目を背けてはいけない。 「彼」もその患者さんたちのひとりなのだから。。 「私がしっかりしなければ。。」、出張や残業の多い夫に甘えるという感情は、すでになくなっていました。 私の心細さを感じて、「彼」が泣き出します。 辺りが薄暗かったので、おっぱいをふくませました。 名前を呼ばれるまで、息を殺すようにじっと待ち続けます。その待ち時間は、何十時間にも感じられました。 突然名前を呼ばれ診察室へと入りました。薄暗い廊下から、明るい照明の診察室に目が眩みました。 数人のドクターと多くの医療スタッフ、中待合にはたくさんの患者さんがおられました。 中堅クラスのドクターと教授に診察され、病名・病状説明・手術内容・今後の予定など次々と続きました。 一度に全てを説明され混乱している上に更に不安なことは、やはり幼過ぎるため他の障害の併発でした。 ある程度の成長の経過をみて、「彼」が自分の身体症状を説明できるようになるまで、何もわからないのです。 「とにかく小学校入学前に一度手術をしましょう」、その言葉だけは耳に残っていました。 インフォーム・ドコンセントなどない時代です。教授に、質問できるような雰囲気はありませんでした。 「一度」 「手術」。。 それらの言葉が私の頭の中をグルグル回っていました。
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