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本意でないのは十分にわかっていました。 しかし、『かわいそう』と繰り返される言葉に対して、怒りを感じるまでになっていました。 無意識に「彼」の存在を、否定されたように思えたのです。 私にとって、あるがままの「彼」は完全体でした。 だからこそ、幼くとも「一人前の人」として、向き合っていこうと思ったのです。 産院を退院する頃には、私はすっかり落ち着き笑顔になっていました。 看護婦さんからも、「これなら安心ね」と言ってもらえました。 「彼」の母親として、「堂々と胸を張っていこう!」と決意を新たにしました。 退院後の生活も、実母に支えてもらいながら、充実した日々を送っていました。 初めての子どもの、日々成長していく姿に目を見張りました。遅れをとるまいと努力しました。 今後、出てくるかもしれない障害に脅えながらも、濃厚な時間を作ろうとしました。 幸い「彼」の発育は順調でした。しかし退院前に持たされた紹介状が、私の気を重くさせていたのです。 それは地元の大学病院への紹介状でした。「生後1ヶ月経ったら大学病院へ行って下さい」 何も知らない「彼」と私。。 その真実が明らかにされるのです。 怖かったのです。。 真実を知ることが怖かったのです。
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障害児
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詳細
ある先天性奇形児の記録〜学ばせてくれてありがとう
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「彼」がやってきて、個室は母子同室となりました。 「彼」には、一部の先天性奇形と障害があります。 しかも成長とともに、隠れた障害が見つかる可能性もあります。 そのため、注意深く見守っていく必要があるのです。 実母が毎日産院へ通ってきてくれました。本来なら感謝しなくてはなりません。 でも実際は、実母の言葉に私は傷付くばかりでした。 「『かわいそう』な○○ちゃん」 「ホントに『かわいそう』にねぇ。。」 (違う!) (『かわいそう』なんかじゃないんだ!) (障害を持ってこその我が子なんだ!) 理屈なんかありません。母親としての本能が叫ぶのです。 決して『かわいそうな子』ではないんだと。。 障害を持ってしか「彼」には出会えなかったんだと。。 自然とそんな気持ちがわいてきたのです。 ですから、もしも別の健常者の赤ちゃんと「彼」とを選択する権利が私にあったとしても、 迷わず「彼」を選んだでしょう。そして、「彼」も私のもとにやって来たのです。 全ては私の本能から悟ったことです。 実母の言う言葉に傷付き、何も言えませんでした。 また実母だからこその怒りもありました。 そしてこの時全てを悟ったのです。 「彼」は産まれたばかりでも、別の人格を持っていること。 人として平等であり、所有や独占をしてはならないこと。 「彼」には「彼」の人生があり、レールを敷いてはならないこと。 「彼」はその小さな存在だけで、たくさんの学びを与えてくれたのです。
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どれぐらいの時間が経ったでしょうか。 看護婦さんが部屋に入ってこられました。 布団をかぶっていた私に、看護婦さんが明るく声をかけて下さいました。 「ほら、あなたの赤ちゃんですよ。かわいいですよ〜」 その声に、恐る恐る泣き濡れた顔を出しました。 初めての「彼」との対面です。 (生きてる!) (息をしてる!) (動いてる!) それだけで十分でした。 すぐにでも壊れそうでいて、生命の力強さを感じました。 「彼」の身に、どんな状態が起こっているのかはわかりません。 それでも、甘い匂い、柔らかな感触、どこまでも澄んだ瞳。。 私の身体は、本能によって母親になる準備をしていました。 タイミングを見計らって、看護婦さんが言われました。 「赤ちゃんに、おっぱいをあげてみて下さいね」 初めてのことで戸惑っていると、「彼」の方が匂いでおっぱいを探します。 動物的なたくましさを見ました。本能に従って導いてくれます。 バックリとおっぱいをくわえ、初乳を吸いました。 (どう? ボクうまくできたでしょ^^ まかせといてね!) 自慢げな顔を見て、私は腹を据えました。 何があっても「彼」と歩んでいこうと。。
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その頃には、何とか新生児室まで歩けるようになっていました。 でも、その日まで「彼」と会うことはできませんでした。 現実を知ることが怖かったからです。 そしてその日はやってきました。 看護婦さんが笑顔とともに、個室に来られました。 「これから赤ちゃんと会うことができますよ。でも、その前に院長先生からお話しがありますからね」 (いよいよ『その時』が来た。。) 私の心臓の音は、まるで部屋中に響きわたるかのようでした。 院長先生が、満面の笑みで優しく語りかけてこられました。 でも私には院長先生の言葉が、ただの『音』にしか聞こえません。 (先生、何を言ってるの? 訳わかんないよ。。 これからどんなことが起こるの?) それでも、院長先生が発する音の中から、いくつかはわかりました。 「彼」は生きていること。重症ではないこと。今すぐ連れてこられること。 「かわいい赤ちゃんですから、しっかり抱き締めてあげて下さい」 その音だけは、言葉として私の頭に入ってきました。 院長先生が部屋を出て行かれた途端、涙が堰を切って流れました。 (どんな状態かわからないけど、とにかく生きているんだ) 次々流れる涙を隠すため、布団の中に顔をうずめました。 その場に誰がいたのでしょうか。夫と実母がいたことは覚えています。 そして顔をうずめた私に、何か声をかけてくれているのはわかりました。
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一瞬の対面で、看護婦さんから何か言葉をかけてもらったようですが、記憶は鮮明ではありません。 動物に返った母親の勘でしょうか。 「何かが違う。。」、そう思ったことだけは覚えています。 私が出産した産院では、全ての子供が2日間新生児室に入れられました。 個室にはベビーベッドが置かれていましたが、しばらくは赤ちゃんの姿はありません。 実母が毎日のように来てくれました。出産した当日は、赤ちゃんのことをいろいろ話しました。 個室から新生児室は遠く、私は赤ちゃんを見に行くことはできませんでした。 私以外の家族は、新生児室のガラス越しの対面をしたようです。 男の子であったこと。元気そうだったこと。足がたくましいこと。。 「おばあちゃんとは呼ばせない」、そう言っていた実母が、早くも婆バカぶりを発揮していました。 「明日にでも一緒に赤ちゃんを見に行こう」、楽しい会話は続きました。 翌日、夫も実母も個室へ来てくれました。しかし。。 ここでも感じてしまったのです。「何かが違う。。」、確信に近い何かが私を包みました。 「一緒に赤ちゃんを見に行こう」、そう言っていた実母も、それ以来その件には触れません。 「赤ちゃんに何かあるんだ。。」、私の不安はどんどん膨らみました。 でも黙っている(隠している)家族に、たずねることはためらわれました。 当時『胆道閉鎖症』の赤ちゃんが、マスコミに取り上げられていました。 機械に取り囲まれ、たくさんのチューブに繋がれた赤ちゃんの映像が、脳裏をよぎります。 (どんな状態なの?) (障害があるの?) (重症なの?) (生きてるの?) 丸2日間、私は不安に包まれたまま、何も聞けずにいました。 それどころか、隠している家族に悟られないよう、明るく振舞っていました。 無意識の行動でした。本当は今にも心が砕けそうなのに。。 たった2日間で不安と恐怖のために、私の心身は限界に達していました。 そしていよいよ、「彼」と対面する日がやってきたのです。
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