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私の能力
私には何の能力もありませんでした。
何かを見ることも、感じることも全くありませんでした。
私が育った時代に、何度か超能力ブームがありましたが、どの能力もありませんでした。

強いて言えば、カード当てやサイコロ当てが、ほんの少し数値が高かったぐらいでしょうか。
それでも、何かを透視できるわけでもありませんから、ごく普通の人間でした。
ただ、不思議な能力はありませんが、感受性は異常に高かったように思います。

過去形で書いたのは、徐々に変わってきているからです。

予兆
家族関係の複雑さから大人を演じる子供でしたが、それ以外はごく普通の人生でした。
イジメや居場所のなさを感じることはありましたが、ここではそれに触れずにおこうと思います。

しかし、結婚前ぐらいからそれは起こり始めました。
自分にとって重要なことは、前もって予兆というべき事柄が起きるのです。

子供
例えば、私は結婚後、先天性奇形の子供を出産しています。
それでも大して取り乱さなかったのは、いろいろな情報を得ていたからでした。
実は結婚前ぐらいから、意識しないうちに障害児や障害者の本ばかりを、読んでいた時期がありました。
決して意図したわけでなく、図書館で借りた本の中にもいつの間にか、その種の本が必ず入っていました。
今から思えば、「これから起こることに驚くことなく対処せよ」と、言わんばかりでした。

また、その子は男児でしたが、私が通院していた産院は、出産前に性別を知らせませんでした。
私自身も、男児でも女児でもこだわりはなかったので、あえて尋ねることもありませんでした。
しかし、買い揃えるベビー用品は、全てベビーブルーばかりでした。
ですから、自分の心の中では男の子がお腹に宿っているものと、思い込んでいました。

情報
そうして本から様々な知識を得ました。
病気に対する特別な情報はありませんでしたが、心構えのようなものはしっかりと根付いていたと思います。
その情報も、初めは子供のものから、次第に大人の障害者や闘病記などへと移っていきました。
その頃に読んだ本の1冊が、星野富弘さんの本でした。障害の記録や力強い絵などに感動したものです。
将来、自分が同じような絵を描くことも知らずに。。

その後
そうした情報や体験を通して、無駄に恐れることはなくなりました。
ガンを告知された時でさえ、自分の子供の障害を告げられたことを思えば、何と言うことはありませんでした。

うつ病を患った時も、どこか他の患者さんと違ったのは、情報と体験のお陰だと思っています。
心療内科に通院し、父の言葉による暴力が判明してからは、カウンセリングも受け始めました。
カウンセリングに関しては、受け初めてちょうど2年ほどでしょうか。
自分を見つめ、対話し、気付きを得ていきます。

自分の全てに対して、目をそらさずに見つめ続ける行為は、修行にも似ているでしょうか。
その間にだんだんと、自分に変化が現れてきました。

リンク
次第に夢や絵の中で、近い将来自分に起こる変化が、見え出してきました。
あらゆるものが私に語りかけ、それに対して行動することによって、また新たな展開がやってきます。
自分が起こす行動が、全てその先々でリンクされていきます。

もう、ここまでくると言葉では表現できません。
でも、あえて言葉を添えるなら、見えない何かに後押ししてもらっているようです。
私が得たものは、過去人間が動物として生きていた頃には、誰もが持っていたものだと思います。
心を澄ませば見えてきます。身体が教えてくれます。それは普通のことなのですから。。
母の能力
祖父ほどの能力はありませんが、祖父が存命していた頃はその影響を受けてか、前回書いたようにかなり不思議な体験をしています。
祖父が亡くなった後は、予知夢的なものを見る程度ですが、現在の家族構成で一番その手の感受性が強いのは母です。

祖母
話の内容から、ここから話さないと理解してもらえないと思います。
母の母(祖母)の父は、当時でもどうしようもない人でした。
大金持ちから落ちぶれたお坊ちゃんのようで、悪い人ではないのですが金銭感覚がないのです。
その子どもである(祖母)は、そのことに大変心を痛めていました。
あちこちに迷惑をかけ、そのことにさえ気付いていない父をどうしたらよいのか。。
祖母は、父と自分を一緒にあの世へ送るべく、願をかけたそうです。
そのせいかどうか、祖母とその父は前後して亡くなりました。
私の母が小学校3〜4年頃のことでしょうか。

病気
母についてはこの件を語らずして、先に進むことはできないでしょう。
母が生死をかけた病にかかりました。おそらく10代後半ぐらいでしょうか。
生死をかけた病といっても、当時のことですから回虫がお腹の中にいただけなのですが。。^^;;
しかし、そのせいで母は栄養失調になり、衰弱していく一方でした。
そしていよいよ彼女の体験が始まります。

臨死体験(?)
真っ暗な道を歩いていました。早く抜け出したいと思いながら出られません。
やがて向こうから、まばゆいばかりの光が見えてきます。
光を求めて辿り着いた先は、まぶしいほどに光輝く観音様の前でした。

その神々しさに見とれていると、幼少時に亡くなった母(祖母)が髪を振り乱して、観音様にお願いしています。
「この子は○○家にとって、なくてはならない存在です。どうぞ連れて行かないで下さい。お願いします」
土下座をして必至に懇願する様子を、彼女は夢うつつでぼんやりと見ていました。
そこで記憶が途切れました。どうやって観音様のところから帰ってきたのか? 母(祖母)はどうしたのか?

気が付くと庭先で倒れていました。
その後、回虫は体内から出ました。(回虫も栄養失調で死んでいました^^;;)
そして彼女の病状はみるみる快復していきました。

その後
しかし、母の命が助かって「めでたしめでたし」では、終わりませんでした。
まもなく母の弟が亡くなりました。私にとっては伯父にあたる人ですが、大変な切れ者でした。
ずっと存命していれば、どこかの国の政治犯になるのではと、祖父が心配するような人物でした。
体格も良く健康で、誰もが亡くなるなどと想像すらしていませんでした。

私はここまで事実しか書いていませんが、母が亡くなるところを伯父が身代わりになった気がしてなりません。
あなたは、どう思われますか?
ノンフィクションの話ですが、あなたが信じるかどうかはご自由です^^
祖父の個人的な話もありますが、「家」にもいろいろと不思議な現象が起こっています。

豆腐
ずっと昔、風邪が大流行した年のことです。
家族全員が風邪でダウンし、食べるものにも困ったそうです。
今と違い、配達してくれるところやコンビニなどもありません。
空腹に耐えて、枕を並べて寝込んでいたそうです。

と、そこへお豆腐やさんが来られた音がします。
「お豆腐なら風邪をひいていても、喉越しもいいし栄養価も高いからちょうどいい」
そう思った母は、慌ててお豆腐を買いに玄関先に出たようです。
しかし慌てていたので小銭がなく、もう一度家の中へ入り代金を持って外に出ました。

ところが、肝心のお豆腐やさんが見つかりません。
代金を渡していないうえに、歩いての行商ですから、見つからないわけがありません。
お豆腐やさんは忽然と姿を消したことになります。母の手にはお豆腐だけが残りました。
その夜、家族中が有り難くお豆腐をいただいたことは、言うまでもありません。

言葉
戦争中、職人の祖父には仕事がありませんでした。
「依頼が来なかった」と言ったほうがいいでしょうか。。
しかし、食べないわけにはいきません。
「家族を養わなければ。。」、祖父は懸命に仕事を探したそうですが、仕事は見つかりません。
時代が時代だけに、仕事をみつけるのは大変だったと想像がつきます。

ある日、いつものように仕事を探している祖父の耳に、前を歩く二人連れの会話が聞こえました。
「お天道さんが空にある限り、食べるぐらいは何とか食べていける。。」
その部分だけ祖父の耳に、はっきりと聞こえたそうです。
まもなく、祖父の知人の後任にと、大企業の食堂の仕事の話が来たそうです。
職場的にも、少しは家族のために食料の調達も可能なようで、願ったり叶ったりでした。

後年祖父は言っていました。
「神様は誰かの口を使って物事を教えて下さる。心して聞いていると判断を誤ることはない」と。。

別れ
外での付き合いが多かった祖父ですが(外面がいいとも言う^^;;)、後年には多くの友人に先立たれています。
その友人たちが旅立ちの前に、我が家を訪れることが多かったと母は言います。
家にいる時間が一番長い母は、彼らの姿を何度となく見ています。
「最期の挨拶に来られたよ」、そう言って母は祖父に報告していました。

その頃には、外出好きだった祖父も足が悪くなり、部屋で本を読むことが多くなっていました。
外出好きの祖父にとって、長寿が良いことなのかどうかは、私にはわかりません。
しかし、長患いもせず大往生の末、たくさんの人に見送られて、幸せに旅立ったことはたしかです。
今度は母が経験した「不思議ちゃん」。。 次回をお楽しみに^^
「亡き祖父〜我が家にあったスピリチュアル」に書いた私の祖父について書いてみようと思います。

状況
私が子供の頃、晩酌中の祖父のあぐらの間に入って、または祖父の近くに座って、「酔っ払いジジィの独り言」を聞いている姿をイメージしてみて下さい。

祖父の経歴
改めて祖父という人を説明するなら。。
明治時代の職人で、早くにつれあいを亡くしています。
「男手ひとつで。。」と言いたいのですが、家のことは次女(私の母)に任せ、職人としては腕の立つ人でした。
職人としてはかなり稼ぎがあり、家に収入を入れる一方で、あらゆる宗教(外国も含む)を学び修行した人です。

「山伏の先達」の資格を得るほどの修行をする面があるかと思えば、芸者遊びに通っていた面もあります。
当時にしては珍しく、後妻さんを迎え入れなかったため、プロとの遊びを楽しんでいたのでしょうね。
そのような人ですから、何事にも偏らず固定観念もないため、柔軟な思考を持っていました。
「人間臭い」バランスのとれた人なんでしょうね。

妹(大叔母)の証言
昔のことですから山での修行というと、家族とは「水盃」をして別れを惜しんだそうです。
残された家族は、祖父が無事に修行を終えて下山することを祈っていました。
ところが、下山する予定日を過ぎても帰ってこないのです。

「何かあったのだろうか。。」、あれこれと家族は心配しますが、当時は連絡方法がありません。
心配が極限に達した頃、祖父が山伏姿でひょっこり帰ってきます。
どうやら、「精進落とし」で芸者さんをあげて、仲間で遊んできたようです。

大叔母が後年になって、母にボヤいていました。
「家族が、ずっと心配して帰ってくるのを待ってたのに、アンタのお父ちゃんは女遊びして帰ってきたんや」
家族ならではの愛情と、ちょっぴりの恨みを込めた表現に、思わず笑みがこぼれました。
しかし今になって感心するのは、その絶妙なバランス感覚です。
「しんどいことや苦しいことをした後は、思いきり遊ぶ」、その生き方には学ぶべきものがあります。

祖父にまつわる不思議
そのような人ですから、当然「不思議体験」もたくさんしています。
子供の私には、祖父の口から語られる体験は、水木しげる氏の妖怪のように、どこか憎めないものがありました。

例えばこんな逸話があります。祖父が野宿をする時には、決まって墓場で眠るそうです。
夜になるとザワザワ・ワイワイと、賑やかな話し声がするので、それを聞くと安心して眠りに入れるとか。。
逆に神社では、深閑としていて寂しくて眠れないそうです。
本当なら墓場の方が憑依しているモノがとりついて、危ないような気がします。
しかし、祖父のような「変わり者」には関係ないのでしょうね^^;;

祖父の体験
ある日、祖父がいつものように家の仏壇でお経をあげていると、「金色のバツ印」のビジョンが見えました。
おりしも、三女(私の叔母)の高校受験を控えていました。彼女は頭がよくプライドも高かった生徒でした。
祖父は、受験には失敗するけれども、人生としては良い結果を迎えることを感じました。
しかし、本人に動揺を与えないためずっと沈黙を守っていました。

受験当日、三女の試験監督の先生が、試験中なぜか彼女のそばにいて離れませんでした。
彼女はそれが気になって、試験問題に集中できませんでした。
「キミなら絶対に合格できるから。。」、そう言われていた高校は不合格に終わりました。
彼女は、スベリ止めに受けていた私立高校に進学しました。

卒業後いろいろな縁の巡り合わせから、将来の伴侶となる男性と出会い結婚しました。
結婚しても最初は経済的にも困っていたようですが、ご主人がどんどん出世され「いい暮らし」をされています。
(私には「いい暮らし」=「幸せな生活」とは思えないのですがね。。^^;;)

まだまだある我が家の「不思議ちゃん」。。 次回をお楽しみに^^
昔の私を知っている人は、「ついに『矢車草』もスピリチュアルに落ちたか。。」と、思われるかもしれない。
事実、私自身そのことを危惧していた。(私はスピリチュアルを否定も妄信もしていないのだが。。)
「地に落ちたもんだ。。」と批判されるのが怖かった。
自分自身で這い上がってこそ、病気の克服ができると信じていた。
基本的には、その意思は今も変わらない。
スピリチュアルな世界に触れながら、そのことを公表するのが怖かった。

しかし、だんだんと考えが変わってきた。
ひとつには、祖父の言っていたことと、スピリチュアルなことが同じだったこと。
亡き祖父〜我が家にあったスピリチュアル」
幼い頃の純真な心で、何の先入観もなくそれらを受け止めていた。
それが、後に脚光を浴びる学問になるとも知らずに。。
(一部には医療関係者もそれらを研究している)

もうひとつは、何人かの著者の本を読んでみたが、表現の違いはあっても同じ共通言語であったこと。
私にとって宗教とは、人を救うという点で共通だった。
その価値観は、やはり祖父の影響だった。
だから、他国の相反する宗教などは、私にとっては理解できないものだった。
その点スピリチュアルな世界は、ほぼ共通言語で書かれており、納得できるものだった。

祖父が生きていた頃、私の家はスピリチュアルにあふれていた。
不思議なことは日常茶飯事で、慣れっこになっていた。
母が多少その血を受け継いでおり、臨死体験もしている。
私にはそんなものはないと思っていたが、最近のネットワークはハンパじゃない。。

この記事が誤解を生むかもしれないが、真実のことである。判断は読者の方におまかせしようと思う。

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