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書庫治療とカウンセリングで寛解へ

うつ病治療から寛解への道のり。
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「闇の部分」の正体

今日はカウンセリングの日でした。
この2週間は正直言うと、疲労感が強く通院以外はほとんど動けない状態でした。
「闇の部分」で書いた、私の中の「闇」が私を支配し始めたのです。

医療関係者に「夜桜」をモデルに説明しました。
闇の中でスポットを浴びて、桜が浮かび上がる姿は、美しく幻想的でさえあります。
反面、闇の中は何があるのか、どのような状態なのかわかりません。

自分が成長するほど、光にあふれました。しかし闇は深くなるばかりです。
「闇の部分」は、大切な部分であることは自覚していましたが、言葉で表現できません。
実体もわかっていません。何であるのか全くわからないのです。
その感情が私を支配するため、動けなくなったのです。

私はカウンセラーさんに訴えました。「苦しいままでもいいから、『闇の部分』に言葉を与えてやりたい」と。。
赤ん坊のように泣くことさえもできず、コミュニケーションの手段を持たないのです。
そのため、本人にとっては余計に辛いものとなりました。

レポートにまとめ、自分で説明や状況を話すうち、うまい表現を見つけました。
「自分のことを後回しにしてまで、人に尽くすことはないんじゃないの?」
「本当はしんどいんだよ。動きたくないんだよ」 「良い人ぶるのはやめようよ。疲れるよ」
「苦しいんだよ。息がつまりそうなんだよ。もういいかげん解放してよ」
「母親の所有物じゃないんだから、もっと楽しんだっていいじゃない」
私のエゴに近い部分です。それが私の闇の正体でした。
カウンセラーさんは、本当のエゴが現れたと思い、「自分が一番大切だという感情」があることを説明されました。
しかし、まだその出現には至っていません。いずれ現れる時があるのかもしれませんが。。

自分が「良い子」を演じるために、人間の大切な本能的な感情を切り捨てました。
エゴや我がままには蓋をしました。その反動がやってきたのです。
普通の人には当たり前の感情が欠落していたため、こんなにも回り道をしてしまいました。
人生の折り返し地点で、やっとその感情にライトが当たりました。
もう「闇」ではありません。正体もわかり言葉も得ました。

「闇の部分」は大切な感情です。それを抑えたから病気になりました。
バランス感覚を大切に、共存していけることを望んでいます。

架け橋

私は、ずっと「次代への架け橋」にすぎないと思っていました。
自分自身は何の価値もなく、前の世代から次の世代へと渡すだけの役割。。
それでもいいと思っていました。「私は生きる価値のない人間だから」と。。

でも今は違います。「生きること」に意味を見つけ始めました。
あらゆる意味で「自分が『架け橋』である」ということを認識し始めました。
精神疾患者と健常者の架け橋。患者と医療関係者の架け橋。家族をつなぐ架け橋。。

先日こんなことがありました。
カウンセリングの終盤に、カウンセラーさんに主治医と私との受診の様子を、エピソードも加えて伝えました。
大変和やかな雰囲気が生まれました。その時は特に楽しい話題でしたから。。
「主治医の先生にいろいろ教えてあげて下さいね」
カウンセラーさんは、にこやかに言われました。

患者が先生に「教える」。。 以前なら考えられないことです。
稀な例かもしれませんが、私たち三者の中で「互いに学び合う」環境ができています。
各受診でコミュニケーションを密にし、気付きを見出したり確認作業をしたり、有意義な時間を過ごせています。
そして受診の最後には、私が双方の受診結果を伝えています。そのことにより、「良い循環」が生まれています。

それぞれの結果を、相手を変えて報告することで、私が「架け橋」となっています。
もちろん、医療関係者同士のコミュニケーションも、なされていることと思います。
しかし、患者自らが報告することによって、違った意味が生まれているようです。

人との輪は大切なものです。少しの工夫で良いコミュニケーションが生まれます。
コミュニケーションが潤滑になるのなら、私は「架け橋」となって支えます。
「人間不信」だった私が、人の笑顔を見ることが好きになったから。。

闇の部分

このブログで「良い循環」ができ、積極的になれる自分がいます。
明確で言葉にも表現しやすい、気持ちの良いものです。
「人の役に立ちたい」「愛したい」「信じたい」「明るく」「積極的に」。。
その反面、正反対の自分がいます。
言葉で表せない、暗闇の部分です。できれば見たくありません。
「何もしたくない」「動きたくない」「放っておいてほしい」「でも、かまってほしい」。。

その2つの気持ちをカウンセリングで報告してきました。
どちらも自分で、どちらも欠けてはいけない、大切な気持ちだと思います。
「『闇の部分』はもうすぐ見えてくるでしょうから、ゆっくりと待ちましょう」とアドバイスがありました。

きっと、どんな人にも『闇の部分』はあると思います。
ただ、普通はあまり見ることはないと思います。
しかし、私の場合は目を背けることはできません。
私が選択した治療方法ですから。。
その部分を「変えていこう」と、決心したのですから。。

『闇の部分』が、人格を作っているように思えてなりません。
『表』では、いくらでもキレイごとが言えます。優しくもなれます。
でも、相手が本当に困った時に、手を差し伸べられるでしょうか?
私は以前、手を差し伸べられなかった経験があります。
私が未熟だったせいもあります。タイミングが悪かったせいもあります。
「では、今ならできるのか?」 正直に言うと、今の段階ではできません。

『闇の部分』の部分に、スポットをあてることは非常に疲れます。
昨日はグッタリして消耗してしまいました。今日も疲れがとれません。
『闇の部分』は、ある意味で本能の部分かもしれません。
だから、コントロールできるのかどうかもわかりません。

あなたは自分の『闇の部分』を見ることができますか?

学びの場

先日の心療内科受診は興味深い内容となりました。
私の場合は、受診期間中に起こった出来事やその時の気持ち、それをどのように処理したのかを、報告書形式にまとめて持参します。
期間中に描いた絵もお見せします。
時にブログ内容も抜粋して。。

その時がまさにそうでした。青い鳥を参考資料に添付しました。
私の「気付き」が訪れる前後を、褒めてもらえました。
「自分を愛せない者は、他人も愛せないし、大切にもできない。。」
しみじみとした口調でした。

私が通院しているのは総合病院ですから、主治医の異動は避けられません。
初診から三人目の若い医師です。以前は私のレベルが格段に低く、「先生と患者」の立場しかとれませんでした。
しかし今は違います。立場は違いますが、ともに理解しようと学び合っているのです。
そのことを主治医に伝えると、同意してもらえました。「ボクも学ぶことがたくさんあります」と。。

「医師と患者」という枠を取り外し、違ったポジションから討論する楽しさ。。
私にとって「受診」とは、「学びの場」なのです。

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