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書庫治療とカウンセリングで寛解へ

うつ病治療から寛解への道のり。
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解放

うつ病が完治したわけではありません。
通院も服薬も続けています。今後もそれらは変わりません。
今以上に状態が悪化する可能性もあります。

でも、すべての課題から解放されました。
もちろん、何一つ環境は変わっていません。
これから、ひどくなっていく方が可能性としては高いでしょう。
しかしながら、自分が変わったことによって、問題は消え去りました。
物事の受け止め方が変わったことによって、新しく生まれ変わることができました。

私を支えて下さった主治医やカウンセラーさん、入院時の看護士さん。。
私が尊敬する人々や友人たち、かかわりをもったすべての人やモノのお陰です。
そして、課題を与えてくれた両親に感謝したいと思います。

今後、私は何らかの形でご恩返しをしていきます。皆さまありがとうございました。

「闇」と友だち

「闇の中の私」に会えた のカウンセリング時の、カウンセラーさんの言葉です。

言葉は事象を明確にし男性的です。こうやって、文字にして書いてみると明らかになる部分も多いですね。
一方、闇は混沌として女性的です。カオスであり、受入れであり、感情などもそうです。大切にして下さいね。

その前に、「陰陽説」ではないですが、光と闇は一体となって大切なものだと、祖父の話から実感しています。
だから、闇の部分を大切にしたいと答えました。

さすがにこの年齢になると、いろいろなことを見聞きしたり体験したりします。
その際、表(光の部分)では、どんな人でもキレイごとを言えると思います。
しかし、裏(闇の部分)は、本音の部分だと思います。
本当にその人のことを思って、損得抜きで行動できる人がどれぐらいおられるでしょうか。
つまりは、「その人の人格そのものではないか」と答えました。

正誤はない問題だと思います。私は私の感じるままを答えたに過ぎません。
しかし、ひとつだけ明確なのは、「闇」を大切にしなかったり、消し去ってしまう行為は間違いだと思います。

光と闇(陰と陽)は、全てを形成する大切な要素ではないでしょうか
気付き
今日のシンキング・タイム(バス・タイム)の時でした。
いつものようにフッと浮かんだのです。

「闇の部分」の正体に書いたことをボンヤリと考えていました。
その時まで、自分自身の感情に蓋をすることでできた、「心の闇」だと思っていました。
ところが視点を変えてみると、母への甘えと恨みでもあったのです。
その時点で、母のことはかなり前から赦しを決めていました。
ですから、まだそんな感情が自分の中に残っていることに、全く気付きませんでした。

カウンセリングで
その証拠にカウンセラーさんが、こんな質問をされています。
「あなたのお母さまとあなたの性格は、似ていらっしゃいますか?」
「あなたはお母さまのことを、憎んでいらっしゃいますか?」
答えは全て「No!」でした。

その上でカウンセラーさんは続けられました。
「性格が似たもの同士では、感情が憎しみに変わる時がありますからね」
「性格が似過ぎているため、息が詰まるように感じるのです」
このような発言をされたことは、この時すでに気付いておられたのでしょう。

叫び
「自分のことを後回しにしてまで、人に尽くすことはないんじゃないの?」
「本当はしんどいんだよ。動きたくないんだよ」 「良い人ぶるのはやめようよ。疲れるよ」
「苦しいんだよ。息がつまりそうなんだよ。もういいかげん解放してよ」
「母親の所有物じゃないんだから、もっと楽しんだっていいじゃない」
よくよく考えてみると、それは母に対する私の幼い時のメッセージだったのです。
「良い子」でいるために、それらの言葉を全て箱に押し込んで鍵をかけました。
つまり、最後の箱が開けられたのです。本当の意味で解放されたと思いました。
涙があふれました。お風呂の中の私は、小さな3〜4歳の子供になっていました。

検証
「自分のことを後回しにしてまで、人に尽くすことはないんじゃないの?」
⇒○○家の代表として(父は婿養子です)、また他人に対して尽くす母の姿に、私は依頼してくる人に嫉妬していたのです。
 「どうして自分のことは構ってくれないの。。」、この言葉が私の甘えと恨みを表しています。

「本当はしんどいんだよ。動きたくないんだよ」 「良い人ぶるのはやめようよ。疲れるよ」
⇒この時(3〜4歳)すでにしんどかったのです。「良い子」を演じることに疲れていたのです。

「苦しいんだよ。息がつまりそうなんだよ。もういいかげん解放してよ」
⇒これは上記に書いた、「母と性格が似ている」ことからきた感情です。

 結婚前の一時期、母と私はずっと一緒に家にいました。
 しかし、性格が似ている部分があるために、息が詰まるようでした。
 そして、母から逃げるように結婚をしています。
 この時、私にとっての結婚は、家から逃げ出すための口実でした。
 私は不幸にも、幸せな結婚生活を過ごしておられるご夫婦を、見たことがなかったのです。
 「誰と結婚しても大差はない」、当時の私はそんなふうに捉えていました。

「母親の所有物じゃないんだから、もっと楽しんだっていいじゃない」
⇒この言葉が決定的ですが、「楽しみたい」という欲望の現われと解釈していました。
 ですから、「母親の所有物じゃないんだから。。」という、心の叫びを見過ごしていました。

解放
呪縛から解放されたのです。幼い時に傷付いた心の叫びを、理解することができました。
やっと「あの時の私」に会えました。しっかりと抱き締めてやりたいです。
話が前後しますが、 「闇の部分」の正体の前週にカウンセリングであったことです。
いろいろなことを報告し、時々出される質問に答えるうち、それは訪れました。

「辛い質問ですがいいですか?」と、カウンセラーさんから前置きされました。
「はい」、ここで断っては話は先に進みません。
「あなたが今まで生きてきた中で、一番憎いと思った人物は誰ですか?」
思いがけない質問に、正直驚きました。言葉に詰まりました。
しかし、すぐに過去をさかのぼり、頭をフル回転させました。

昔なら間違いなく、言葉の暴力を浴びせ続けた、「父親」と答えたと思います。
しかしながら、彼も機能不全家庭の連鎖の被害者なのです。愛情を知らずに育ってきたのです。
気付きを得てからは憎むことができませんでした。

母についても同様です。
昔ですから「親なし子」(母の母が死亡)と、後ろ指を指されないために、自力で人生を生き抜いてきた人です。
ただ、その尺度で私を測り、自分ができたのだからと、幼かった私にも求めただけでしょう。
病気に対しても間違った対応もありますが、母なりに支えてくれます。やはり憎めません。

それなら、誰が該当するでしょうか?
他の記事でも多少触れていますが、私は学校のクラブ活動でイジメに遭っています。
その事実を知りながら、「見て見ぬふり」をした「顧問教師」の名をあげました。
彼は、クラブの顧問教師であり、生徒指導部だったからです。

一般人ならともかく、教員としてイジメを無視したことは、許されないと思ったからです。
声をあげないひとりの生徒を、彼は無視してしまったのです。
思春期という微妙な時期に、「人間不信」に陥らせてしまったのです。
「オトナは信じられない」、「人間なんて誰も信じられない」と。。

彼の歩んできた道は、何も知りません。
だから、無責任なことを書いているのかもしれません。
しかし教員なら人格者としても、自分を磨くべきだと思いました。
当時の私をもってしても、その努力は見えませんでした。
結果が同じでも、彼が何らかの行動を起こしていれば、私の人生は違ったものになっていたかもしれません。

質問は続きました。
「当時のあなたなら、彼に何と言いたいですか?」
思春期のせいもありますが、私は冷めきっていました。
彼とは一切関わりたくありませんでした。
「もっと生徒のことを見てやって下さい」、それしか思い浮かびませんでした。 
当時の私も、今の私も言いたいことは変わりません。
それが彼に掛けられる精一杯の言葉でした。

その後も話は続き、カウンセリングは終わりました。
私は、再び自分の闇の中に身をおいたことにより、疲れきっていました。
でも、この問題を乗り越えないと、私の人生の宿題は解決しないと思いました。
辛くても苦しくても、この問題と向き合う決心をしました。

数日を経て
私は、イジメた人たちをはじめ無関心を装った人、そして顧問教師を赦すお祈りを始めました。
イジメた人も満たされなかった思いがある、かわいそうな人なのです。
一方で、私が女同士の群れ意識に、ついていけなかっただけなのです。

顧問教師のことも、彼のことをよく知りもしないで、責めることはできません。
彼のことがキッカケとなって、その後の私が「人間不信」に陥ったことは否めません。
しかし、感受性の高い私が、過度に反応しただけかもしれません。
今の私が彼の立場なら、現場を見ずに推測だけで、生徒たちにどれだけの話ができるでしょうか?
教員としての力量が問われる問題です。
日常に流されず、自分を高めている教員がどれだけいるでしょうか?
やはり、彼を責めることはできないと思い始めました。

キレイごとに聞こえるかもしれません。
しかし、私に課せられた人生の宿題として、全ての人を赦すことを決意しました。
その後、私自身や私の周囲の人が変わり始めました。
あらゆることにネットワークしていきました。
どうやら、人生の宿題のひとつは終わったようです。
とりあえず、及第点はもらえたということでしょうか。

まだまだ、新しい問題が課せられることでしょう。
しかし、逃げることなく問題と向き合えば、必ず解答が得られることはわかりました。
今後も、人として更なる向上をしていければ。。と願っています。

違った観点からですが、しょうこさんの「いじめについてのご質問から」をトラックバックさせていただきました。
しょうこさん、ありがとうございました。

エゴとの対話

「闇の部分」の正体に気付いてから、さっそく「エゴちゃん」がしゃべり始めた。
もともと、遠慮のないヤツだとは知っていたが。。(^^;

こうして、主なキャストが決まった。
「メインちゃん」・・・客観的に物事を考え、陪審員に心と身体を揃えている。
「イーコちゃん」・・・良い子であろうと懸命に努力する。今までの私の人格の中核をなしていた。
「エゴちゃん」・・・言いたい放題、やりたい放題。小さな子供と一緒。今のところ聞き分けはいい。
日頃は、「イーコちゃん」と「エゴちゃん」が話し合い、それを聞いて「メインちゃん」が判定する。

昨日もこんなことがあった。
カウンセリング等で、相当エネルギーを消耗して疲れていた。

エゴちゃん : 「ねぇ、疲れたよぉ。もう、寝ようよ」

イーコちゃん : 「まだ、日記も書いてないし、絵も描けてないから、もう少し頑張りたいな」

エゴちゃん : 「でもさぁ、カウンセラーさんも言ってたじゃない。『疲れるからゆっくりと休養して下さいね』って」

イーコちゃん : 「うん。わかってるんだけど。。 絵を楽しみにして下さる人もいるし。。」

エゴちゃん : 「そんなの人の勝手だよぉ。自分の健康が一番だよ。
          それに、その人がしんどいのを、代わってくれるわけないじゃん。」

イーコちゃん : 「うん。。」

メインちゃん : 「意見は出揃ったし、身体も心も疲れてると言ってるから、今夜は休みましょう」

イーコちゃん、エゴちゃん : 「は〜い」

イーコちゃん : 「早く休んだら、明日も日の出前に起きたいなぁ。。」

エゴちゃん : 「それよりゆっくり寝ていたいよぉ。疲れてるから休みたいよ」

イーコちゃん : 「でも、早起きしてお日さまに当たると気持ちがいいよ」

エゴちゃん : 「明日は雨だから、お日さまは見えないよ。それより、しんどいのが我慢できないよ」

メインちゃん : 「そうね。早起きはもう少し身体が快復してからにしましょう。明日はゆっくり休みましょうか」

ざっと、こんな具合である。

心理テストなどに以下のような分類がある。
CP(クリティカルペアレント):厳格・批評・叱咤・父性的
NP(ニューチュリングペアレント):やさしさ・世話・保護・母性的
A(アダルト):現実感覚・損得勘定・能率・有効性
FC(フリーチャイルド):自由奔放・天真爛漫・無邪気・わがまま
AC(アダプテッドチャイルド):従順・勤勉・優等生

実はその前にも、FC(フリーチャイルド)が出現してきた時期があった。
私は、典型的なACだった。これは「アダルトチルドレン」とは別物である。
その私にFCが出現し、時間をかけてACとFCは融合した。
そこで終わったと思っていた。しかし世の中そんなに甘くはない。まだ苦しさが残っていたのだ。

私の挑戦はまだまだ続く。実践はこれからだ。
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