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先日、病院のスタッフさんからメールをいただいたのですが、
その中に私のことを表現するのにこんな文章が書かれていました。
「ご友人の方々から託されたバトンを手に(略)」。
そう、私も以前はバトンの存在を強く意識していて、
このスタッフさんにも話したことがあります。
誰からも頼まれてないのに勝手に。。
でも、いつしかそれも忘れてしまいました。
自分が何度も「もうダメかも」と思う目に遭い、
お会いしたことはなくともあまりにもたくさんの別れがあり。。
このブログでも病気を通じて知り合った方々とは、
もう半数近くが"音信不通"でしょうか。。
何ヶ月も何年も更新されないブログ。
「もしかすると、もう」、「いや、でも、ひょっとしたら」。
私の気持ちもあっちへ行ったりこっちへ行ったり。。
それでも、そこに行けば確かにその人がいて。。
また私自身、年齢や経験を積み重ねるうちに
だんだんと生死の境が曖昧になり、
いつしか私なりの世界観ができました。
以前のような会話はできないけれど、
その姿を目にすることはできないけれど、
見守りはいつも温かく元気をもらえます。
託されたバトンというよりは、
今も一緒に歩いている気がします。
だから、私は生きます。
命ある限り。 |
生きること・考えること
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生きること。一緒に考えてみませんか?
コメント(7)
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そもそも飢餓感に対する恐怖って
どこから来るのでしょう?
飢えという本能的な怖さもあるし、
私の場合、
前回体験したことがトラウマになってもいます。
でも、他にも心当たりが。。
ここまで書いてきて思い出しました。
末期がんの方が
「ただ1杯の水でええから飲んでみたい…
飲みたいなぁ」って言われていたのを。。
心の奥底から振り絞るように言われたのが、
とても怖かった記憶。
(過去記事:祐島貢さんの個展へ)
数日間の絶食だけでも辛いのに、
死ぬまで渇きや飢えと
付き合わなきゃいけないなんて、
どんなに辛いだろう。。
(点滴などで命を繋いでも飢餓感はありますものね)
その場にがん患者は他にもおられたはずなのに、
どうして私にだけ言われたのか?
それも、その時はまだ
食道狭窄の症状は出てなかったのに。。
まるで予言されたような出来事だっただけに
その後もずっと忘れられず、
彼の辛さが刷り込まれていたようです。
実際にはまだ少しは食べられるのに、
必要以上に苦しめられていることに気が付きました。
いわゆる予期不安ですね。
それなら軽減する方法があります。
昔、母の死後の喪失感を想像して
悲嘆に暮れたことがありましたが、
まだ起こってもいないことでこれほど苦しむなら、
その時に苦しんでも同じことだ、
と覚悟ができたらすっと楽になりました。
今回も同じ。
等身大で苦しめばいい。
悟ったふりも予期不安もいらない。
今ある分だけ嘆いて、悔しがって、
苦しいって言えばいい。
先の不安もあるけれど、
せめて今の不安とは分けて考えよう。
すると、ザワザワと波立っていたものが、
少しずつ静まってきました。
もしかしたら、これで乗り切れる?
そう思ったのも束の間、
詰まった吐瀉物で部屋を汚して
要介護2の母に後片付けをさせる羽目になり、
またまた凹んでしまったけれど。。
いつものように
ずるずると気持ちを引きずらなくなったのは、
上出来かも。。
「今は今、先のことは先のこと」。
とにかく、今を整理して解放するのは
ブログに書くのが一番のようです。
お目汚しになりますが、
また話を聞いてやってくださいませ。m(_ _)m
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答えは出ていました。
2週間前、消化器科の受診を終わって、
薬局で薬ができあがるのを待っていた時のことです。
狭い薬局内ですから、
聞くともなしに患者さんの話が聞こえてきました。
病気は違えどどうやら私と同じ、
食事がし難くなっている方のようで、
「コーンフレークとか食べてるんやけど…」とのこと。
薬剤師さんとの会話で、
「食べるのが好きやったんやけどな。
結局、別の楽しみを見付けなしゃあないかな」
と言われていました。
よく祖父が
「神さんは口がきけへんさかい、
人の口をつこて(使って)教えてくれはんのや」
と言ってましたが、
こういうことかと思いましたね。
そう、
できないことにいつまでもしがみついていても
仕方ないし、別の道を探すのが得策なんですが。。
分かってはいても難しいですね。
時間や根気がない時でも
残された機能で楽しめるものって。。?
これはすぐには答えを出せそうもありません。
今後の宿題になりました。
ただ、前回食べられなくなった時とは
少し感じ方が違っています。
食べられなくなったものを
指をくわえて見てるのはやはり辛いものですが、
ちょっとだけ現実を
直視できるようになった気がします。
食べ物も美しい絵と同じ。
SNSで食べ物の写真が掲載されるように、
「鑑賞物」と思えばいいのでは?とか。
あるいは赤ちゃんが母乳を飲む時のように、
自分は食べなくても
人が美味しそうに食べるのを見てるだけでも
幸せな気持ちになれるのでは?とか。
みんながみんな思えなくても
大切な人ならそう思えるんじゃないかなって。。
でもこれって離人感と紙一重な感じで、
非常に危うさも感じます。
じゃあいったいどうすれば。。?
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人間、辛い時はどうしてもマイナス思考になる。
心にあったことがここへ来て一気に噴き出した。
ここ数日は人のことが羨ましくて羨ましくて。。
叶わなかったことばかり数え上げてた。
まずはホームドラマ風にこんなところから。。
優しい父
素直な母
包容力のある旦那
行動力のある息子
欲しかったものとしてこんなのも。。
自由になる時間とお金
疲れ知らずの体力
皆が振り返るほどの美貌に恋愛体験
プロ並みの料理の腕なんてのもいいし
息が続かなくなった楽器も吹いてみたい
景色のいい場所や友達に会いに旅に出て
お値段でも重さでも持てない一眼レフでパシャパシャ撮って
その土地の美味しいものを食べて飲んで歌って騒いで
失くしたものも取り返したい
張りのある声に形のいい胸
咳き込むのが怖くて行けなかったコンサートや映画
久し振りの落語会に行って
堂々と温泉にも入って
普通に食べれて息ができて。。
いろいろ考えてたら「金の斧」というお話を思い出した。
そう、欲しいものや取り戻したいものはいっぱいあるけど、
女神様に「それが欲しかったの?」と訊かれたらそうじゃない。
初めからオマケで金の斧をくれるならいいけど、
今あるものと引き換えにはできない。
だって、これが私だもの!!
ここまで来てやっと負のループから抜け出せた。
やっぱり書くってかなりのデトックスだわ。
ふぅぅ。。ε=( ̄。 ̄;)
女々しい記事が続いてお恥ずかしい限りですが。。
でも、本当のことだし、
書けば何か見付かるかもしれないと思って、
思いつくままを書きました。
結局、自分で何とかするしかないし、
それが嫌で見ないように蓋をしても解決しないばかりか、
中で腐ってるかもしれないですしね。
やっぱりたまには
溜め込んだ気持ちも日に当てて風通しを良くしないと。。
お陰で、記事をアップする頃にはだいぶ落ち着きました。
それに、昨日はたまたまある方とお話ができて。。
その方も介護の問題を抱えておられたので、
事細かに説明しなくても
分かってもらえたのが良かったです。
やっぱりね、
話の分かる人に話をするのがいいですね。
分からない人にいくら話しても理解されないし、
要らぬことの一つも言われて傷付いたり、
腹が立ったりしますから。。
また一人味方が増えました。
大きな収穫です。(^_^)v |


