(続き) ちなみにうちは母も息子も、もちろん私も、
お互いよく話し合った上で事前指示書(リビング・ウィル)を作っています。
胃ろうについても、私は終末期ではないけれど他人事ではありません。
いや、むしろそれだけに悩ましい問題かも。。
あなたは終末期について考えておられますか?
家族の希望は知っておられますか?
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生きること・考えること
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生きること。一緒に考えてみませんか?
コメント(14)
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待ちに待った春。
花と新緑の季節。
新しいスタートを切る人も多い。
うちの息子もそう。
卒業、合格、入社。。
新しいことにも挑戦して、次々と成果を出してきた。
ずっと頼りない子だと思ってただけに、
うれしい反面、ひどく取り残された気分になる。
気分だけじゃない。
少しずつ体重が落ちていって、
「私、背中とか腰とかこんなに骨ばってたっけ?」とか。。
自分の身体なのに「あれ!?」と思うことが多い。
例えば、これぐらい食べたらこれぐらいは太るだろうと思うのに、
今は意識して食べるようにしても太らない。
これまで何をしても減らなかったお腹の脂肪も落ちている。
女性にはうれしいはずの条件もこれは怖い。。
ちょっと何かしただけで疲れるし、
体力も根気もなくなって仕事にちっとも手が出ない。
せめて段取りだけでも、とは思うけれどどうにもならない。
形にならない焦りにジリジリする。
「がん=死」じゃない。
そう言われてからずいぶん経つ。
でも、こんなふうになるとは思わなかった。
初発のがんで入院時、
同室だった人は数年で次々と旅立って行って。。
私もたぶん、、、と心の準備をしたものの、
再発もなく20数年が経過。
その後、再発はしたけれど、
抗がん剤治療で息を吹き返し食べ物も通るようになった。
とは言え、いろいろ考えるところはある。
ひとまず準備をしておこう、と事前指示書を書き身辺整理も始め、
終の棲家についても考えるようになった。
が、「病状」は変わらない。
この夏が来れば再発して3年。
治療の成果かデータ的にはそう悪くない。 でも、このしんどさ。
がん子のたちなのか薬の副作用なのか、まるで真綿で首を絞められているよう。
ジワジワ、ジワジワ。。
私がしんどいと思ってることはちっともカウントされず、
検査結果と身体感覚のギャップが苦しい。
そう言えば、再発した時がそうだったっけ。
かなり息苦しいけど急患で駆け込むほどでもなく、
二、三日で症状が消えた、、、と思ったのが始まりだった。
自分で治療を選択しておいてなんだけれども、
私が思っていた「がん」のイメージと全然違う。
なんじゃこりゃ〜!?
もう十分生きたのだから。。
思い残すことのないようスッキリ終わるのが理想だった。
だから、死の準備ができるがんに罹ったのは幸運だとも思った。
「頑張ってる患者」の姿に酔いしれたかったのもある。
でも、それは建前で本音は早く「終わり」にしたかった。
しんどいのはもういい。。
そんな時、友だちと少し話をすることができた。
話すうちに見えてきたことがある。
私の思い込みが強過ぎたのかもしれない。
なんの成果もなくていいじゃない。
がんだって老化の一つだと思えば、
機能を失い衰えていくのは自然なこと。
平均余命とか標準値とか、他の人と比べるからしんどいんだわ。
これまで前例のないケースと思えば、それはそれでいけるのかもしれない。
人生という名のダンジョン。
足元を照らすのは「今」という灯りだけ。
おまけに勇者でもなけりゃ賢者でもない私。
がん子を相方に手探り足探りで恐る恐る。。
知恵と勇気を振り絞って行ってみますかね。
こんな時、BGMはコレが似合うかな?
う〜!懐かしい〜〜!! (*T▽T*)
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先日ブロ友さんのところで「いのちをいただく」というお話が紹介されていました。
この種の話はこれまで何度も母から聞かされてきたし、
食べ物に対して感謝の気持ちは人並み程度にはあるつもりでした。
前にブログ記事にも書いたことがあります。
私は昔から小食でグルメでもなかったから、
お取り寄せのスイーツや行列のできるお店なども無縁だったし、
食欲をはじめとしてそれほど欲深くない方だと思っていました。
ところが、抗がん剤治療の副作用で味覚障害が出てしまい、
何も食べなくても口の中が変に甘かったり辛かったりするようになりました。
時期によっても違うのですが、一日中口の中で味がするので
それを打ち消すようにとにかく何か食べたくなりがっつきます。
でも、悲しいかなそういう時は何を食べても満足できないんです。
一つ食べては思っていた味と違うとまた次が欲しくなり、
その様はまるで餓鬼のよう。。
卑しくてさもしくて恥ずかしい気持ちでいっぱいになります。
でも、もっと悲しいのは、
「ごちそうさま」と心からの感謝の言葉を言えなくなることです。
いくら食べても美味しいと思えず満足感がないので、
「ごちそうさまでした」と口に出して言っても、ちゃんと感謝の言葉にはなりません。
なんと強欲な。。
これまでの道徳観や理性などどこかへ吹っ飛んでしまったみたい。。
【人間の業とはこういうものなんだよ】
それをまざまざと見せ付けられているようで何とも悲しくなります。
それでも、副作用が軽くなってくると欲望から解放され感謝の気持ちも湧いてきます。
不思議なものですね。
息をするために、食べるために選んだ抗がん剤治療。
そして、他者の命を得ることでしか生きられない人間。
がん子から学ぶべきものはたくさんあります。 「いのちをいただく」の読み聞かせの動画がありました。
お時間のある方はぜひご覧ください。
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大丈夫?痛かったね。 心が切り裂かれるほどの痛みをどんなに我慢したしたことだろう。
凍り付くように恐ろしく眠れない夜がどれほどあっただろう。
焦らなくていいよ。時間はたっぷりあるから。
勇気が要ったと思うけど、君の決断には私も大賛成。
人にはそれぞれ成長できる場所がある。
簡単に投げ出すのは良くないけれど、自分に合わない所では育たないものね。
小さな事でいいから1つずつ、自信を付けてください。
そして、いい時間を過ごしてください。
きっと今のこの経験が活きてくる時があるはず。
ここからだけれど、応援しています!
この前の週末、叔母が来ました。
私のことを心配して、と言うのもあるのだろうけれど、
たぶん母に孫のことを聞いてほしかったから。。
その子は今、不登校です。
イジメに遭ったらしく、
部屋から出られなかったり、家にいてもビクビクしていたそうです。
大変だったろうな、と思います。
私も同じような思いをしたから分かります。
いっぱい我慢してきたんだろうな、って。。
でも、その子は学校に行かない決断をしました。
そして少しずつ元気になってきているそうです。
そう、人は変わります。大きく成長できます。
今はゆっくり羽を休めて、
その時が来たら大きく羽ばたいてほしいと思います。
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私とじーさんの関係をよく知る友人から、
という本を勧められました。
(こちらで少し中身を見られます)
じーさんのような人をきずな喪失症候群と呼ぶそうで、
その性格はまさにドンピシャ!!
一部抜粋してみましょうか。。
それは、心を失った人、心の痛みのない人、良心がないからなんでもできちゃう人、
涙を流していても悲しんではいない人、心がなくてテクニックだけで生きている人、
愛情よりも利益を求める人、誠意がなくて戦略のみの人、子育ても愛情ではなく操作でする人、
罪の意識がなく小細工をする策士、言い訳が多い人、哀れっぽさを売るけど実は図太い人、
ずうずうしく厚かましい人、謙遜しつつ自分のわがままを通す人、身勝手な人、
人を人とも思っていない人、野放しで育った猿のような人、生き方を教わっていない人である。
と、まぁ、この先まだまだ続くのだけれど。。^^;
今までの経験で何となく感じていたことが、
「ここまで書くか!?^^;」というほどツッコんで書かれていて、
(この本では『毒キノコ』で例えてある)
病院の待合で読んでいた私は何度笑ったことか。。 (*≧艸≦)
(マスクで口元が隠れていて良かった^^;)
でも、笑ってばかりもいられません。
「きずな喪失症候群」の人に絡まれている限り、
あなたはどんなに努力しても幸せにはなれない。燃えつきるだけである」。
さらには、「捨てられても同情はされない」というところで、
「燃えつきたときには、周囲には狡賢い人しかいないから」と結ばれていますが、
一歩間違えば私もそうなっていたかも、と思うとゾッとします。
間違った方向に努力しても報われないばかりか、
自ら不幸を選んでるようにしか見えませんものね。
数年前にようやくそのことに気が付いて、
ずいぶん長い年月を捕らわれて過ごしてしまいましたが、
それでも気が付いて良かったと思いました。
人や自分に不満を持ちながら死んでいくのはやり切れないですものね。
この本には燃えつき症候群の人向けに、
きずな喪失症候群の人との関わり方が書いてあります。
私はちょっと見方が違うな、というところもあったけれど、およそ納得できる内容でした。
生き辛さを感じている人、
人間関係で上手くいかなくて悩んでいる人にお勧めの一冊です!
ただし、『骨までしゃぶられてもいい人』は読まないでくださいね。 (*・艸・)
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