※ お断り;この記事は、おもに「自由のための『不定期便』」(http://adat.blog3.fc2.com/blog-entry-984.html)、伊藤紀氏の「吉田松蔭は思想家だったか」等、ネット上の資料にのみ依拠して書かれています。 山県大弐は、江戸時代中期の儒学者、思想家で、その勤皇倒幕思想のゆえに、幕府の弾圧を受け、斬首となった人です。明治時代には、皇国史観の発揚のために大弐の顕彰を目的とする山県神社が建立されるなどしました。
戦後は、半ば忘れられた存在となっていましたが、「明治百年」キャンペーンの最中、戦後左翼論壇を代表するとも言える市井三郎、鶴見俊輔、竹内好等が発起人となって「明治維新を民衆史の立場からとらえなおす」として新宿区の全勝寺に山県大弐記念碑が建立されました。
なぜ、勤皇の志士を左翼が…。
その理由は大弐の思想を特徴づける二つの要素にあります。
Ⅰ放伐革命思想
Ⅱ身分制度批判
彼の「勤皇」倒幕思想がこの二つの側面の統一として成立していたとすれば、明治維新のみならず自由民権運動までにもつながるような革命思想の先駆者として大弐を位置付けることが可能となります。
Ⅰ放伐思想は『孟子』の説くもの。
「国家の中で、人民が最も重要であり、土穀の神がこれに次ぎ、君主は軽い。だから、人民から歓迎されて天子となり、天子に歓迎されて諸侯となる。諸侯の心をつかみ厚遇されると大夫となる。諸侯が国家に危害を及ぼすと、廃止して別人を立てる。犠牲の獣類は既に肥え、祭祀の供え物は清潔であり、祭祀は定期的に行われているが、早害水災があるなら、土穀の神の祭壇を毀(こぼ)って更新する」 これを大弐は、次のように発展させます。
いやしくも害を天下に為す者は、国君といえども必ずこれを罰し、克たざれば則ち兵を挙げてこれを伐つ。 ……湯武の放伐は、無道の世にありてなおよく有道の事を為せば、則ち此は以て君となり、彼は以て賊となる。たとえその群下にあるも(まったくの庶民であっても)、善くこれ(放伐)を用いてその害(暴君の害)を除き、しかして志その利(庶民の利)を興すにあれば、則ち放伐もまた以て仁と為すべし。他なし、民と志を同じうすればなり」(「利害第十二」) 「天下の害を除き、その利を興す」「民と志を同じうす」…これが革命権力の正統性の根拠だというのです。
Ⅱ身分制度批判は、大弐独自のもの。
士農工商は身分・階級にあらず、ただその役割を示すのみ この表現自体は、地元の山県神社の記念碑に刻まれた明治の人による要約解説というべきものだが、柳子新論にこのような思想が認められるというのは一応定説となっているようです。
さらに、大弐が柳子新論を著し明和事件に坐するまでの間に、伝馬騒動といわれるだ規模な一揆が大弐の故郷一帯起きています。大弐は一体この事件をどのような思いで見つめたのでしょうか。
大弐が昌益と並びうる封建性批判者であり、儒教由来の合理主義のゆえに、昌益よりもむしろ近代に通じうる力をより強く持っていたとさえいえるような気がしてきます。
大弐自身の放伐の矛先は、幕府に向けられました。しかし、その論理を徹底するなら、朝廷も覇道に堕すれば放伐の対象となることは必定です。
彼はいわゆる「勤皇家」ではなく、言葉通りの尊《王》家、王道を尊ぶ者であったのではないでしょうか。
民と志を同じうする群下の者
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