|
綾奈が、翔矢に彼女が出来たと知ったのは、夏休みに入ってからだった。
しかも翔矢は、同じ中学校ではなく、別の中学校の女子と付き合っていた。
名前は奈津美。綾奈が全く知らない人だった。
翔矢も、その彼女を家に連れてくる事もなく、
久留美が紹介してと催促しても「そのうちな」とはぐらかしていた。
ただ、別に隠していたわけでもなかった。
綾奈にはあまり見られたくない思いはあったが、
それ以上に、みんなに対して後ろめたい思いがあった・・・
奈津美は、綾奈とは正反対の性格だった。
アクティブ且つ陽気で、誰とでも気軽に話せ、
常に主導権を持っていくようなタイプ。
その辺は、久留美と似ていた。
夏休みを前に、小学校時代から付き合っていた彼氏と別れたばかりで、
新たな出会いを求めていたらしい。
その奈津美の知り合いに、翔矢の友達がいて、
その友達に翔矢が彼女を探していると相談したところ、
紹介されたのが奈津美だった。
奈津美「よろしく。」
付き合う事が決まって笑顔でそう言われた時、
翔矢は、ものすごくバツが悪かった。
綾奈を忘れるため・・・それが動機だったからだ。
奈津美も、とりあえず付き合ってみるといった軽い気持ちだっただろう。
けれども、別に好きな人がいるのに付き合う・・・
こんなに相手を侮辱するふざけた話は無い。
翔矢(最低なまんまだな・・・)
何かを変えるつもりで始めた事なのに、
何も変わってない事を思い知らされ、翔矢は愕然とした。
そして、だからこそ綾奈や久留美になんて紹介出来なかった。
こんな事の巻き添えにしたくなかったのだ。
けれども、そういう時ほど、不幸の神様が自分に降りてくるものだ。
夏休みのある日。その日は部活も休みで、
翔矢は、奈津美と一緒に電車で遠出をしていた。
地元を避けるのは、特に綾奈には見られたくないため。
なのに、その日は、偶然にも綾奈も輝明と一緒にデートに出ていて、
出掛け先で、バッタリと出会ってしまったのである。
輝明「よぉ、翔矢もデートか?」
奈津美「あ、この人、翔矢君のお兄さん? それと彼女?」
輝明と奈津美が会うのはこれが初めてだったが、
お互いの性格が合ったのか、すぐに親しく話していた。
けれども、翔矢と綾奈はぎこちなく、
互いを意識しすぎで、目すら逸らすような有様だった。
綾奈(この人が、翔君の彼女・・・)
綾奈は、奈津美を見た時、ちょっとした劣等感を覚えた。
私なんかより、ぜんぜん綺麗だし、おしゃれだし、明るいし・・・
私なんかより、ずっと翔君の彼女に相応しい・・・
輝明と話す奈津美の姿を見て、そう思ってしまった。
奈津美「じゃあ、また会おうね。」
輝明「ああ、今度うちに遊びに来いよ。」
話したのは1〜2分くらいだ。
それからお互い、逆方向の道を歩いていった。
翔矢は、この時の不運を恨んだ。
翔矢(よりによって兄貴といる時に・・・
よりによって奈津美といる時に何で・・・)
翔矢は、絶望しそうになる自分をごまかすので精一杯になった。
そのデートの帰り。電車から降りてしばらく歩き、
誰もいない2人きりの場所に来ると、奈津美が言った。
奈津美「ねぇ、キスしようか。」
それは、翔矢が今まで避けてきた事だった。
キスをすれば、取り返しがつかなくなるような気がしたからだ。
最低の自分が奈津美にバレた時、
キスをしていなければ、自分が最低な人間になり下がるだけで済む。
でも、キスをしたら、それだけでは済まなくなる・・・そんな気がした。
ただ、キスをしなかった理由はそれだけではなかった。
奈津美「私たち、付き合ってるのに、まだした事ないよね。」
そういう機会は、今までにも何度かあった。
でも、キスを意識する度、翔矢の脳裏と口唇には、
綾奈から口唇を奪った時の光景とあの感触がよみがえるのだった。
思えば、まだ付き合ってもいなかったのに、
一方的に綾奈の口唇を奪ったのは最低だった。
けれども・・・あのファーストキスは後悔していなかった。
それどころか、最初が綾奈で良かった・・・
翔矢は、今でもそう思っていた。
だが、奈津美とキスをしてしまったら、
その全てが否定されるような気がして、何か嫌だったのだ。
そして、奈津美とキスをしたら、
意識しなくても、綾奈のキスと比べてしまうだろう。
そういう事をしている自分を想像すると、それも嫌だった。
けれども・・・
奈津美「それとも、私とキスするのは嫌?」
翔矢「そ、そんな事はないよ・・・」
奈津美「そうだよね。一応好きだから付き合ってるんだもんね。」
・・・そうだ。嫌いなら付き合わない。
それなりに奈津美に対する思いがあったから、ここまで来た。
それは嘘ではなかった。
だけど・・・だからと言って、釈然としない思いは残る。
そうやって翔矢が渋っていると、しびれを切らした奈津美が言った。
奈津美「もう、しょうがないな・・・」
翔矢「え・・・」
次の瞬間、不意をついて、奈津美から翔矢にキスをした。
翔矢は、その場に立ち尽くし、奈津美が口唇を離すまで何も出来なかった。
奈津美「翔矢君って、結構オクテなんだね。
でも、そういうところ嫌いじゃないな。」
そう言って奈津美は笑った。
とうとうキスをしてしまった。
だけど・・・ぜんぜん気持ちよくなかった。
それどころか、何か悔しかった。
正体不明の敗北感が、翔矢の全身を襲った。
奈津美に対しての怒りはなかったけれど、
自分に対する怒りがフツフツとわきあがってきた。
翔矢(最低だ俺・・・本当に最低だ!・・・)
奈津美と別れた後、
翔矢は、行き場のない怒りで、
アスファルトを右足で思いっきり踏み付けた。
その瞬間、右足にジン!と痛みが走って、やがて消えた。
翔矢(利き足じゃん・・・俺、サッカー部なのに・・・)
翔矢は、やる事なす事の全てが駄目に思えて、
ものすごく駄目人間な自分をひたすら心の中で責め続けた。
その日は、13年間生きてきた翔矢にとって、
人生で一番の最悪な日となった・・・
|