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ある日、その中学校で飛び降り自殺があった。
自殺を図ったのは、その中学校の中2の男子。
本校舎屋上からの飛び降り自殺だった。
遺書が残っており、いじめを苦にした自殺だった。
中学校にはマスコミが集まり、校長が会見を開いた。
「いじめの事実は把握しておりませんでした。」
そう言っていたが、マスコミの調査で
いじめがあった事実が発覚した。
しかも、学校側も、担任がその生徒に以前から相談を受けていて、
校長は、その事実を隠していたのだった。
後日の会見で、校長は、マスコミを前に謝罪した。
「いじめの事実を把握しておりました。申し訳ありません。」
すると、記者の1人が、校長に向かってこう投げかけた。
「そんないい加減な事してると、ギブギブの標的にされるのでは?」
その言葉に、一瞬記者会見場が凍りついた。
そして翌日。その言葉の通りになった。
ギブギブは、判決という名の声明を発表したのだ。
「判決。□△市立○○中学校校長並びに担任は、死刑とする。
1週間の期限の内に、自殺した生徒と同じようにして死んで責任を取れ。
さもなくば、我々ギブギブが直接処刑する。」
次の日から、校長と担任は、学校に現れなくなった。
そして1週間後。校長と担任は殺害された。
自殺した生徒と同じように、本校舎屋上から突き落とされて・・・
結局、2人は警察を頼り、自殺しなかったのだ。
生徒が学校から守ってもらえなかったように、
校長と担任も、守ってはもらえなかったのである。
ギブギブは、悪に対して制裁を加える集団である。
いつの頃から現れて、判決と言う名の声明を発表し、
その声明通りに悪に対して制裁を加える。
しかし、その手段は凶悪で、世間からはテロリストととして認識されていた。
ただ・・・
その被害者も、決して世間から同情されない。
悪事を犯さなければ、ギブギブから狙われる事も決して無いからだ・・・
またある日の事。今度は、別の中学校で自殺事件があった。
その学校の2年生の女子生徒が、教室で首を吊って死んだのである。
しかし、今度は遺書は残っていなかった。
ただ、やはりいじめが原因ではとマスコミは疑った。
その校長は、最初の会見でこう言った。
「いじめがあったとは聞いておりません。」
その言葉は嘘ではなかった。
いじめの事実があれば、隠さず報告するつもりであったが、
本当に校長は、そうした事実を把握していなかった。
けれどもマスコミは、学校側の事実隠蔽を疑った。
そして・・・やはり事実隠蔽があった。
担任が、いじめを把握していたにも関わらず、
その事実を隠していたのだ。
校長は、後日謝罪会見を開いた。
「大変申し訳ありません。全て私の責任です。」
校長は、本当に何も知らなかったが、
管理不行き届きと非難されるならば、その罪を甘んじて受ける覚悟だった。
そして、記者の1人が、またあの言葉を口にした。
「ギブギブの標的になるのでは?」
しかし、校長は毅然としてこう言った。
「それもやむを得ないかも知れない。
彼らのやり口は決して容認出来るものではないが、
私は、自分の生徒を自殺させてしまうという許されない罪を犯してしまった。
しかし、私は、決して自殺はしない。
私は教師だ! 例え自分の命であろうと、
命を殺すという行為を生徒たちの前で見せる事は絶対に出来ない!」
それは、決して自己保身の言葉ではなく、
自身の教師としての魂を込めた信念の言葉であった。
すると、後日ギブギブは判決を下した。
それは、やはり死刑判決だった。
しかし、そこには校長の名前は無かった。
担任だけが名指しされた死刑判決だったのである。
そして担任は、やはり自殺はせず、
1週間後に、自殺した生徒と同じようにして殺された。
なぜ校長は殺されなかったのか?
実は、判決が出たその日、
校長宅に、別の判決文が届いていたのだ。
そこには、こう書かれていた。
「教師として一生を償え」
本物の教師は殺さない。生きて償わせる。
それがギブギブの下した判決であった。
悪の悪は正義・・・それがギブギブの信条。
手段を選ばぬやり口で、テロリストと非難されるが、
その被害者も決して同情されない。
悪事を犯さなければ、ギブギブに狙われる事も無いからだ。
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