ある日、地元にある城跡のひとつ岡城に行った
すると「城山霊園」なる看板が建てられていた
この山は、城跡だから城山と呼ばれる
だけど・・・
看板には「しろやま」と書かれていたけど、
本当は、この土地のなまりで、城山は「どうやま」と読む
看板を立てた人は、それを知らなかったのだろうか?
知ってても、「どうやま」では分かりずらいと思い、
あえて素直に「しろやま」とふり仮名をふったのだろうか?
でも、知らない人がこの看板を見たら、
この山は「しろやま」と言うのだと覚えてしまうだろう
墓地は、本丸東の曲輪にある
本丸は今、藪の中だ
でも、いずれその藪も刈られ、霊園になるのかも知れない
だけど、ここは「どうやま」、「しろやま」ではない
昔、本丸の東にあった空濠(からぼり)には、
城山の中をくぐり抜ける地下道の入り口があったそうだ
看板は、その空濠付近に立てられている
だけど、ここは「どうやま」、「しろやま」ではない
城は、平安末期に堀江十勇士岡四郎兼春によって築かれ、
文禄4年(1595年)2月8日、主君の改易とともに廃城になったという
そして城山は、畑になり、工場になり、霊園になった
だけど、ここは「どうやま」、「しろやま」ではない
だけど・・・こういう風にして、
名前は変わり、昔の名前は忘れられていくのだろう
「どうやま」の名は、幸い記録にも残っている
私も、生きている限り「どうやま」と呼び続けるだろう
それでも、いつかは、
「昔はそう呼ばれていた」
となってしまうのだろう
むなしいと思っても、それが時と人の流れなのだ
私はここで、その現場を目撃したような気がした・・・
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