矢板市山田字堂の下にある宝筐印塔(ほうきょういんとう)
高さ2m以上のこの立派な墓の主は、"お清の方"という女性だ
江戸時代中期、御三家筆頭尾張徳川家にその美貌を見出され、
江戸屋敷の奥女中として、その筆頭格にまで上り詰めた女性の墓だ
こんな立派な宝筐印塔は、少なくとも市内では見た事が無い
それもそのはず 御三家筆頭尾張大納言徳川家にあって、
家老格以上の者に与えられる墓なのだ
時代劇で有名な水戸黄門様は、尾張家からはひとつ格下の中納言
暴れん坊将軍で有名な徳川吉宗の実家紀州徳川家よりも尾張家は格上
暴れん坊将軍の実家や水戸黄門より立派な尾張徳川家の家老格以上の待遇
その大きさと格式に並ぶ墓など、市内には他に存在しないだろう
矢板で一番立派な墓だ
彼女の子孫は、今も繁栄している
彼女は、その墓前に子孫たちの立派な墓を従えている
さらに傍らには、多くの地蔵や僧侶の墓である卵塔(らんとう)まで従えている
そして、従える子孫たちや地蔵、僧侶に見守られながら、
今なお、彼女の墓はその威風をたたえている
その家の次第は女次第
まさにそれを象徴するような墓だ
女がいない家など栄えない 女が賢くない家など栄えない
でも、女がいて賢い家は、いずれの家も栄える
私はそう思っている
私は、この宝筐印塔を見て、改めてそれを確信した
この墓は、郷土の誇りだ
そんな彼女に尾張家は、
清林院蓮誉涼薫東山大姉の戒名を送ったという
それにしても、墓前の空気感はすごかった・・・
※お清の方
享保11年(1726年)生?〜天明2年(1782年)10月20日没
当地の問屋の娘として生まれる。
この宝筐印塔は、彼女の死から4年後の天明6年(1786年)12月9日に送られた。
高さは2mを超え、菊の紋や桐の紋などが入った立派なものである。
尾張家にとっても、それだけ彼女の功績と存在感が大きかったという事だろう。
尾張名古屋は清で持つ・・・と言っては言いすぎだろうが・・・
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