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由美「父と言っても、本当の父ではありません。私は孤児(みなしご)でしたから・・・
私の忍びの師であり、私を育ててくれた養父です。」
菊「でも、どうしてその人と? 好きだったの?」
由美は、首を横に振った。
由美「女の忍びは、時にこの女の体を武器にして、
夜床などで男を惑わし、話を聞きだしたり、その命を奪ったり・・・
そういう事もしなければなりません。
私は、その伽の技を習得するために、
菊様が辰業様に嫁がれた13歳の頃、初めて父を相手に伽を知り、
それから、その技を覚えていきました。」
菊「・・・・」
由美「そこに情などはありません。
父は、私を立派な忍びにするため、
私も、立派な忍びになるためだけにそれをしました。」
菊「今でも・・・」
由美「それが忍びですから・・・」
菊は、女忍びの想像以上に過酷な現実に絶句してしまった。
由美の胸の中で快楽に溺れながら、殺されていったものもいる・・・
そう考えると、恐ろしさのあまり身震いもした。
けれども、それで由美をケダモノと思ったり軽蔑したり、
その見方が変わる事は無かった。
自分も、由美と同じ運命の下に生まれていれば、
由美のように生きていただろうと思ったからだ。
由美「だから、私の体は汚れているのです。
でも、辰業様は、そんな私を愛してくれました。」
菊「・・・・」
由美「私は、それまで、伽で情など感じた事はありませんでした。
けれども辰業様は、そんな私の境遇を全て知った上で、
私を女として愛してくれたのです。
私は、辰業様から、女としての幸せと悦びを教わったのです。
そして、私は、今までの私の生き方を後悔しました。」
菊「後悔? なぜ?」
由美「辰業様に汚れていない清らかな体を捧げられなかったからです。
忍びとして生き、自分の体を汚してきた事を心から悔やみました。」
菊「・・・・」
由美「女として、愛する人に純粋無垢な体を捧げたい。
私には、それが出来ませんでした。
だから、私は、菊様がうらやましいのです。
それが出来るのですから・・・」
純粋無垢な体・・・菊の心に、その言葉が強く印象に残った。
由美「愛する人に純粋無垢な体を捧げる事は、
一生で一度しか出来ない事です。
私のように道を間違えば、一生出来ないまま、
女としての最高の悦びを知らないまま、
女を終える事もあります。
菊様は、まだまだお若いのです。
いずれ、辰業様も、菊様を受け入れるでしょう。
その時まで、純粋無垢な体を守って下さい。
それが、女としての幸せですから。」
菊は、それを聞いて、気分が楽になったのと同時に、
自分が、ものすごく強くなった気がした。
そして、今を全て受け入られるような気がした。
その翌日、由美は、辰業の急な密命を受けて山田を忙しく発っていった。
那須の方で不穏な動きがあるらしく、それを探らせにいかせたのだ。
その夜、菊は、改めて辰業に夜床を共にする事を申し出たが、
辰業は、いつものように優しくそれを断った。
相変わらず、辰業と菊の関係は変わらなかったが、
もう菊は焦らなかった。
何年でも待とう・・・
そう思えるようになったのである。
しかし、そんな菊の心とは裏腹に、世の情勢は大きく動きつつあった。
天正8年(1580年)12月、塩谷家当主塩谷義綱が、
突然、庶兄の塩谷義通を幽閉するという事件が勃発したのである。
※写真
塩谷家の居城川崎城遠望。山並みの手前、右から左までほぼ全てが川崎城の城域。
さらに城域は向かって左手(南)に続く。
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