いまどきの公園には何にもない
ブランコもジャングルジムも、すべり台もシーソーも・・・
でも、昔はあったのだ
ブランコもジャングルジムも、すべり台もシーソーも・・・
けれども、公園遊具での事故が多発して社会問題になり、
それらの遊具は撤去された
ブランコもジャングルジムも、すべり台もシーソーも・・・
それでいいのだろうか?
問いかけるとこんな答えが返ってくる
「事故があった時、誰が責任を取るんだ?」
公園を設置した自治体や企業が取ればいい
「そんな責任は取りたくない」
だから最初から遊具は設置しない
そうすれば事故は起きない
こっちが無責任と思っても、
責任を取らされる側も大変ではある
「そんな公園に遊具を設置したければ、自分たちの責任で設置しろ」
そんな反論をされると、親たちは自治体や企業を責めるだろう
しかし、誰も自分たちで公園を設置しようとはしない
自分たちも、その責任が面倒だと知っているからだ
未成年者の犯罪が社会問題になる度、人々はいう
「今の子供たちは、痛みを知らない」
どこで覚えろと言うのだろうか?
公園の遊具から落ちる事も出来ない
頭をぶつけて痛がる事も出来ない
転んで擦り傷を作る事も出来ない
公園がこの有様なのに、どこで痛みを覚えろと言うのだろうか?
時に、その痛みが命を奪う事がある
そういう意味では、公園遊具は危険とも言えるが、
危険ではない遊具で遊んで、いったいどんな痛みが覚えられると言うのだろうか?
自分の命を守るために、相手の命を尊重するために、
危険な遊具は、いろいろ教えてくれるのだ
そして、その経験が、危険を危険でなくしてくれるのである
みんな知っていたはずだ
何で、そんな大切な事を今になって忘れてしまうのだ?
いまどきの公園には夢が無い
子供たちを鍛えるものも無い
しかし、それが時二子供の命を奪う現実
大人たちは、今それと葛藤している
しかし、大人たちが葛藤している間にも、
痛みを知らない子供たちが、日々作られていっているのである・・・
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