とある場所・・・
卵塔、五輪塔、宝筐印塔など
ほとんどが江戸期の古いお墓が、整然と並べられていた
けれども、数多くある墓石の真ん中に置かれていたのは
無縁仏の墓標であった
どうやら、ここには昔寺があったらしい
それが廃寺となり、墓石がここに集められたようだ
詳しい歴史を調べてないので分からないが、
一番新しいものでも明治時代の墓石しかないので、
あるいは、明治時代に行われた廃仏毀釈で廃寺になったものかも知れない
だから、真ん中は無縁仏なのだ
でも、これだけの仏がありながら真ん中が無縁仏
かなり空しい・・・
みんな立派に供養されていたのだ
歴代住職は、大和尚や和尚禅師など立派なおくりなをつけられて、
ほかの墓も庶民としては立派なものが多いので、
比較的裕福、あるいは庶民としては中流的な家庭で生まれて死んで、
子孫に供養されていたのだろう
寺が無くなる前までは・・・
でも、どんなに普通に幸せな生活を送ろうと、
どんなに立派に大成しようとも、
末路が無縁仏かと思うと、
生きる事の空しさを感じて仕方がない
墓は、地元の人によって供養されていた
中には、つながりこそ分からなくなってしまったものの、
この墓の主たちの子孫も地元にはたくさんいるだろう
そういう意味では寂しくないかも知れない
それに、これだけ墓も集まっていれば、
無縁仏でも寂しくないかも知れない
むしろ、うるさいくらいに賑やかかも知れない
けれども・・・彼らにつけられた名前は、無縁仏なのだ
私は、そんな墓の中にあった一基の墓石にひかれた
墓標を見ると、童女の墓だ
童女という事は、未成年者の墓である
基本的に童女は満18歳以下の未成年者に送られる戒名
ただ、ある程度の年齢に達していると、
満18歳未満でも信士・信女などの戒名が送られる事もあるので、
この墓の主は、かなり幼いかも知れない
私には、10歳未満の少女の墓のように思えた
もちろん、それに根拠は無い
行年も享年も書かれてはいなかった
墓標には「宝暦八年十一月朔日(ついたち) 智光童女」とある
宝暦八年は西暦1758年
智光という事は「智」という字が使われるような名前だったのかも知れない
例えば「ちよ(智代)」とか・・・
私は、幼い彼女が、私の袖を引っ張ったのかも知れないと思い、
何も出来ない事を申し訳なく思いつつも
手を合わせて光明真言を唱えた
この無縁仏の墓の近くには民家もある
公民館もあれば、おそらく寺の跡地であろう場所に作られた
さびれた感じではあったが公園もある
人が全く来ないという場所でもないようだ
地元の人にも定期的に供養もされている
ただ、そんな彼らに与えられた名前は無縁仏
彼らは、それをどう思っているのだろうか・・・
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