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【写真】松小屋の箒根神社を右下に高原山を臨む(上) 瑞雲院(下)
慶長19年(1614年)10月、
遂に徳川家康が豊臣征伐を決意し、大阪の陣が勃発した。
久太郎も、惣十郎、新助を引き連れ出陣し、
翌慶長20年(1615年)4月の大阪夏の陣では、
久太郎たちは、31もの首を挙げる活躍を見せた。
同年5月7日、大阪城は炎上、
翌5月8日、豊臣家一門が自害して、豊臣家は滅亡した。
岡本家は、この活躍により500石の加増を受け、総高が約4400石弱になったが、
岡本家の領地よりも離れた場所にある飛び地であったため、
この500石の領地は新助が支配する事になった。
そして、同年7月13日、
徳川家康は、元和偃武(げんなえんぶ)を宣言し、
年号は、慶長から元和に改められた。
元和偃武は、織田信長が掲げた天下布武に対する言葉で、
「平和が元(はじ)まり、武力を偃(ふ)せる」
と言う意味があった。
だが、この頃、綾が病に倒れた。
惣十郎、新助、九重が見舞いに慈光寺に駆けつけたが、
久太郎と妻の大田原御前は、江戸で忙しい事を理由に見舞いにも来なかった。
ただ、惣十郎も新助も九重も、久太郎夫婦に何も期待しておらず、
むしろ、いない方がせいせいするという感じにさえなっていた。
そんな3人に、綾は、ひとつだけ遺言を託した。
綾「私が死ねば、この慈光寺は、寺を維持できないでしょう。
しかしここは、岡本家先祖代々の菩提寺。
簡単に潰してなりませぬ。
この寺の後の事をよろしくお願いします・・・。」
慈光寺は、岡本家の居城が泉城に移されると共に松小屋からは人が離れ、
檀家は、新しい菩提寺である鏡山寺に移ってしまい、
すでに経済的に存立が成り立たなくなっていた。
綾がいたからこそ寺は維持出来たが、綾が亡くなったら寺は維持出来ない。
しかし、慈光寺には、岡本家代々の菩提がある。
人間五十年といわれた時代に、綾ももう52歳となり、
その死期を悟った綾の最後の望みが、それを守る事だった。
それが、綾が最後に出来る、
自分をここまでにしてくれた岡本家に対する最後の奉公であった。
そして・・・元和元年(1615年)12月23日。
雪がしんしんと降る底冷えするような寒い夜。
綾は、いつものように床につき、久しぶりに夢を見た。
最近は、とまらない咳と胸の痛みに苦しみ、
満足に寝る事も出来なかったが、
その日は、咳も痛みも無く落ち着いていた。
こんな穏やかに眠れるのは、いつ以来だろう・・・
そんな安堵感は、夢になって現れた。
体が楽になった綾は、久しぶり松ヶ嶺の城を出て、
城下の松小屋を歩いた。
雪も無い、冬なのに暖かい、晴れ渡る空、賑やかな町並み・・・
そんな城下に響くひづめの音。
通りの置くから、馬に乗った若かりし頃の清四郎が駆けてきた。
清四郎「綾!!!」
懐かしい風景に響く懐かしい声。
気がつくと、綾も、人生のうちで一番楽しかった頃の自分に戻っていた。
清四郎「乗れ!!」
綾「はい!」
松小屋の人々が羨望の眼差しで見つめる中、
清四郎は、綾を乗せて馬を走らせた。
忘れかけていた風を切る感触、
弾む体、背中に感じる大きくて心地良いぬくもり・・・
2人を乗せた馬は、領内の村や野山を駆け抜け、
やがて、ぐるっと一周して、松小屋の箒根神社に戻ってきた。
そこで馬を降り、2人で参拝すると清四郎は言った。
清四郎「覚えてるか? ここで出会った夜の事を・・・」
絶対に忘れられない清四郎の言葉と、その時の清四郎の目。
それを思い出すと、綾の体は今でも熱くなった。
私が私で生まれて良かった・・・そう思えた。
そして、清四郎は指差した。
それは、泉の名峰高原山であった。
清四郎「綾、行こう。」
すると綾も、そっちへ行きたくなった。
そっちへ行けば、世の中の全て不安、苦しみ、悲しみが忘れられるような気がした。
清四郎とずっと一緒にいられる・・・そんな幸せな世界が待っている気がした。
清四郎は、温かい表情で笑っていた。
それを見た綾の心は、今までに感じた事が無いくらいに安心していた。
そして、清四郎が馬に誘うと、綾は清四郎の前で馬に乗った。
振り返れば、松小屋の町並みとお城が見える。
自分が幼い頃暮らした百姓屋も・・・
綾は、心の中でつぶやいていた。
綾(みんな、ありがとう・・・)
綾は、口許を緩ませながらも、景色が込み上げてくるもので歪んでいた。
清四郎「行くぞ、綾!!」
綾「はい。清四郎様・・・」
そして綾は、その夢から、もう二度と目覚める事は無かった・・・
翌朝、綾は、病床で穏やかな笑みを浮かべて亡くなっていた。
享年52歳。
松小屋と言う故郷に生まれ、その故郷で土になる・・・
そんな人として一番幸せな一生を綾は終えた。
年が明けて元和2年(1616年)、慈光寺は廃寺となる。
しかし、惣十郎は、綾の遺言を守るため、
慈光寺の菩提を引き継ぐために泉城下に新たな寺を建てた。
その名も曲渕山瑞雲院。
だが、これが新たな争いの火種となるのである・・・
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