"やいたもん"の文学館

大きな人生の転機がありました・・・

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第9話 豊臣秀吉

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【写真】国宝・木幡神社楼門



正親は、高野山に向かった後、京に入り、
新黒谷と言うところで庵室を結び、念仏三昧の生活を送っていた。
しかし、その生活は非常に貧しく、
華やかな都で正親は、惨めな自分の姿を隠すようにして暮らしていた。
しかし、そんなある日、正親は思わぬ人物と再会した。
それは、京の謡曲師の道慶(どうけい)と言う者だった。
道慶は、十数年前、奥州(東北地方)を遊覧していた時、
盗賊に襲われて難儀していたところを正親が助けた人物だった。
その時、道慶は、松ヶ嶺城にしばらく滞在し、
当時幼かった清四郎と清九郎に武士のたしなみとしての鼓・謡などを教え、
正親に充分な旅支度と路銀をもらって京に帰る事が出来た。
正親は、そんな道慶とすれちがったのである。
しかし、浪人に身を落としていた自分を恥じていた正親は、
顔を伏せ、知らぬふりをして通り過ぎようとした。
だが、道慶は、正親への恩義を忘れていなかった。
正親は、昔の面影が分からぬほどにボロボロの姿形になっていたが、
この京の地でまさかとは思いつつも、
すれちがった瞬間、振り返り、正親に声をかけた。

道慶「讃岐守様・・・讃岐守様ではありませんか?」

正親は、人違いと言ってその場を去ろうとしたが、
道慶は、正親の顔を見るなり、
懐かしさと感激のあまり体を震わせて涙した。

道慶「いいえ、讃岐守様です。私です、道慶です。
   その節のご恩、この道慶、忘れておりませぬ。」


正親も、こうなっては否定する事も出来ず、
複雑な思いになりながらも、素直に道慶との再会を喜んだ。
道慶は、自らの屋敷に正親を招き、京に来た経緯を聞いた。
そして道慶は、正親が松ヶ嶺城を追われた事、
その後の戦で、2子を失って、その菩提を弔うために流浪の旅をしている事を知った。

道慶「おいたわしや・・・
   清四郎様と清九郎様には、
   もう一度お会いしたく思っていましたが・・・。」


その話を聞いた道慶は、今度は、自分が恩を返す番と思い、
正親にこんな話を持ちかけた。

道慶「讃岐守様、筑前様とお会いになりませぬか?」
正親「筑前様とは・・・あの筑前様か!?」

正親が、名前を聞いただけで畏まりそうになった筑前様とは、
あの天下人の羽柴筑前守秀吉、後の豊臣秀吉であった。
聞けば道慶は、秀吉の家老の屋敷に出入りしており、
そのコネを使い、正親が秀吉に会えるようにするとの事だった。
秀吉と言えば、関東最強の北条氏でさえ遥かに及ばぬ
数十万の軍勢を従え、
前年の11月22日には、従三位・権大納言にも任じられており、
もはや、征夷大将軍に匹敵する権威を備えた最強の戦国大名であった。
浪人に過ぎない自分が面会などありえない・・・
正親はそう思っていた。
だが、道慶は、その目通りを実現させたのである。
秀吉が、正親に会うと決めたのには、それなりの理由があった。
秀吉は、近い内に北条征伐に向かい、関東を平定する事を考えていたが、
浪人とは言え、関東の武将に会えば、いろいろと関東の情勢を聞けるし、
少しでも恩を売っておけば、後々役立つかも知れないと考えていたのである。
また、秀吉は、宇都宮家と緊密に連絡を取り合っていたが、
その家来の正親を厚遇する事は、宇都宮家を味方に付けておくにも好都合だった。

そして、道慶の援助で身なりを整えた正親は、
遂に天下人関白太政大臣豊臣秀吉に謁見したのである。
この時、正親58歳、秀吉は、正親より遥かに若く50歳だった。
だが、その威厳、風格、存在感は、
正親が、これまでに出会ってきたどの武将とも比べようが無いほどに圧倒的だった。

正親(何と我の小さな事か・・・何と我が世の小さな事か・・・。)

正親は、その時、初めて井の中の蛙という言葉の本当の意味を実感したような気がした。
正親は、秀吉と謁見するに当たって、
親子猿と巣をかける蜘蛛の小さな彫物を秀吉に献上した。
貧しかった正親は、献上品を用意する財が無いとは言え、
手ぶらで謁見するわけにもいかないと思い、
生来の手先の器用さを生かして、
小さな桃の実を彫り、鷹狩用の道具の飾りを作ったのだった。
すると秀吉は、細工の細かさを見て感嘆した。

秀吉「見事じゃのう。讃岐は、武勇に優れていると聞いたが、
   下手な彫物師より良い仕事をするではないか。」

正親「ありがたき幸せ・・・。」

そして秀吉は、正親を大いに褒め称えた後、
しばらく、正親に関東の情勢についていろいろと聞いた。
秀吉が聞いてくる事は、戦略家らしい、的を得た核心を突く事柄ばかりで、
質問を受けながら、正親は感心していた。
そんな会話が続いた後、秀吉は正親に言った。

秀吉「そなたは、2人もの子を北条に討たれたとか。
   北条は、我が敵であり、いずれは討たねばならぬ。
   讃岐、そなたは関東に戻るが良い。
   わしが、そなたに書状を持たせよう。
   そして、この羽織を与えるゆえ、
   わしが関東に出陣した時は、
   その羽織を着て、我が下に駆けつけよ。」


すると秀吉は、菊と桐の紋のついた縮緬(ちりめん)の羽織と、
正親の復帰を促す塩谷義綱宛ての書状を正親に与えた。
菊と桐の紋は、天皇家と豊臣家の家紋。
その羽織を手に取った正親は、畏れ多さのあまり、体の震えが止まらなかった。
こうして、秀吉との面会は、短時間の内に終わったが、
これにより正親は、泉に復帰するための大義名分を得たのである。
まさに、情けは人のためならず理の如く、
正親が、昔与えた小さな恩が大きな報いとなって返ってきたのだった。

そして正親は、道慶に礼を言うと、
間もなく京を後にして、故郷である泉の松ヶ嶺城へと向かい旅立った。
その日は、正親の心を表すかのように空は、雲ひとつ無く晴れ渡っていた・・・

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