"やいたもん"の文学館

大きな人生の転機がありました・・・

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

第13話 許婚

イメージ 1

イメージ 2

【写真】御前原城本丸虎口(写真上・こぐち・入り口の事)と本丸周囲の空堀(写真下)



文禄2年(1593年)、
15歳になった久太郎は、元服して塩谷義保(しおのや よしやす)と名乗った。
その2年後の文禄4年(1595年)には、
弟の惣十郎も元服し、塩谷義次(しおのや よしつぐ)と名乗った。
そして、惣十郎が元服した年、
塩谷家が改易になった事で、塩谷家との対立の不安が無くなったのを機に、
久太郎、惣十郎、新助、照重、九重の5人は、
それまで暮らしていた松ヶ嶺城から、より大きくて暮らし易い御前原城に移った。

この頃、照重と九重も12歳になり、
自分たちが、久太郎たちの許婚になっている事を意識するようになっていた。
誰が自分の夫となるのか・・・
2人の思春期は、そんなところから始まっていた。
周囲は、長幼の序から言っても久太郎が後継になるだろうと噂していた。
また、久太郎は、学問にも長けており、
戦国時代が終わろうとする時代の新しい主君として相応しいと思われていた。
だが、正親は、まだ誰を後継とすると決めていなかった。
久太郎は、確かに能力的には相応しかったが、その性格に不満があったからだ。
久太郎は、嫡男であったため、
幼い頃から、岡本家の将来の主君として家臣たちに持ち上げられてきた。
そのためか、少しうぬぼれたところが見られた。
邪な家臣たちが媚び、へつらうと、
そのヨイショの神輿に簡単に乗ってしまい、
物事の前後左右の判断がつかなくなる事が度々あった。
もっとも、そんな性格を嫌っていたのは正親だけではなかった。
実は、照重と九重も嫌っていた。
久太郎は、5歳離れた兄として幼い頃は可愛がってくれたが、
元服間近頃になると、次第にあまり相手にしてくれなくなり、
むしろ久太郎は、2人を遠ざけるようにさえなっていた。
そんなある日、2人が久太郎を嫌う決定的な出来事があった。
御前原城の一室で、久太郎と惣十郎が照重と九重の事で話し合っていた。
いわゆる「どっちが可愛い?」と言ったような、思春期の少年少女にはありがちな会話だ。
そんな会話の中で、久太郎は、
弟惣十郎に誇示するように、こう言ったのである。

久太郎「どうせ、岡本家の後継は俺で決まってる。
    お前がどっちを好こうが、2人の内どっちを妻にするかは俺次第だ。
    どっちかを正室、どっちかを側室にして、
    2人とも妻にする事だって出来る。」


惣十郎は、この言い草に腹を立て、この後、2人は口喧嘩になったが、
照重と九重は、惣十郎からこれを聞いたのだ。
女を女とも思っていない久太郎の言葉は、思春期を迎えた2人の心を大きく傷付けた。

「絶対に久太郎の嫁になんかならない・・・」

照重と九重は、その時はそう誓った。
けれども照重は、久太郎の事を完全に嫌いになる事は出来なかった。
あの言葉は許せなかったが、
なぜか、いつも気になる存在であり続けたのだ。
久太郎は、外見がすらっとして背が高く、
格好良くて城や城下で女たちの話題になる男であったが、それは関係なかった。
もちろん、後継となる可能性が高いという事も関係なかった。
照重には、岡本家当主の妻になりたいという野心は無かった。
理由は分からなかったが、照重の中で、久太郎の存在が日々大きくなっていった。

他方、妹の九重は、惣十郎を好いていた。
惣十郎も、自分を頼りにして近寄ってくる九重を愛らしく思い、
2人は、次第に恋仲になっていった。
九重の方は、久太郎に全く未練が無く、徹底的に久太郎を嫌っていた。
それに引き換え惣十郎は、頭でっかちの久太郎と違い、
武芸に秀でて、有言実行のたくましさがあり、
九重にとって本当に頼り甲斐のある男だった。
新助はと言うと、一番年下と言う事と、
性格が優しく、誰かが喧嘩になった時は
常に仲裁役に回っているような中立的な立場と言う事もあり、
誰からも好かれ、頼りにされるタイプではあったが、
照重や九重と、それ以上の関係になる事もなく、
新助も、三男と言う立場を弁え、それ以上のものを望まなかった。
そんな5人の関係を正親は、長い年月の中でずっと見守ってきたが、
泉城の改築事業が終わりに近づき、いよいよ後継を誰とするか決める事にした。

慶長元年(1596年)12月のある日、
正親は、泉城に5人を集めて、岡本家の後継者を決めると突然に告げた。
もっとも、勘の良い照重や九重は、
正月を前にして集まるようにと言われた時点で、
そういう話になるのではないかとは思っていた。
その場で正親は、ぶしつけにこう告げた。

正親「岡本家の跡取りは、久太郎とする。
   そして照重よ。お主が、久太郎に嫁げ。」


実にあっさりとした物言いによる決定だった。
久太郎は、これを当然と思い、
照重は、戸惑いながらもそれを受け入れた。
同時に、九重が惣十郎に嫁ぐ事も決められたため、
九重はホッとしたが、照重を思うと素直には喜べなかった。
正親は、久太郎の性格には不安があったが、
照重が妻になれば、そんな久太郎を変えてくれるかも知れないと期待していた。
照重は、久太郎に邪険にされても、
態度を変える事無く健気に久太郎に尽くしてきた。
照重は、どうしても久太郎がほっとけなかったのだ。
九重は、何でと照重に何度も聞いたが、何でかは照重にも分からなかった。
ただ、そんな照重の姿を見続けてきた正親は、
そんな照重に、岡本家の将来を賭けたのである。

正親(あの性格さえ直れば、久太郎も立派な当主となれる・・・)

この決定の後、九重は、照重に、本当にこれで良いのか・・・と聞いた。
すると、照重は言った。

照重「私・・・岡本家のために久太郎様に嫁ぎます・・・。」

その言葉を聞いて、九重は、もう何も言えなかった。
ただ、照重は、人身御供になるつもりでそう言ったわけではなかった。
照重もうまく表現出来なかったが、
何となく、久太郎の妻になれて良かったと思っていた。
そんな照重の脳裏に浮かんでいたのは、
幼い頃に見た優しくて頼り甲斐のあった久太郎の面影だった・・・

翌慶長2年(1597年)正月、
久太郎は、正親の祖父重親の官途である宮内少輔を名乗る事を許され、
岡本宮内少輔義保を名乗った。
一方惣十郎は、父義通より塩谷家の家督を譲られ、
また岡本家の人間として、塩谷義次とは別に岡本伊兵衛保真を名乗る事になった。
新助が元服したのは、この3年後。
新助は、塩谷家の人間として塩谷清通(後に高通)
岡本家の人間として岡本縫殿助保忠を名乗った。

こうして、岡本家は、新たな時代を迎える事になった。

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事