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【写真】泉城本丸北側、惣十郎が殺害されたと推定する付近(上・中)とそこから本丸を見上げる(下)
久太郎の死後、義政が岡本家の家督を継ぐと、万吉の養子縁組は延期されたが、
義政の母大田原御前は、1日も早く縁組を勧めるよう義政に迫った。
すると義政は、久太郎を暗殺した翌年の寛永19年(1642年)、
その実母まで病死に見せかけ、毒殺してしまった。
そして、さらに翌年の寛永20年(1643年)、
まるで、忌まわしきものが義政を助けるかのように、
久太郎と惣十郎の間を取り持ってきた新助が58歳で病没した。
義政にしてみれば、叔父新助の死は願ったり叶ったりで、
残すは惣十郎のみとなった。
あとは、惣十郎さえ死ねば、塩谷家の世継ぎがいないため、
塩谷家の1000石の領地は、塩谷家の血を引く自らのものになる。
義政(血は同じなのに、家を岡本と塩谷に分ける必要など無い。
岡本の名でひとつにするため、叔父上には死んでいただこう。
全てはお家のために・・・。)
そして義政は、惣十郎を暗殺させるため、花山と浅間の2人を泉城に送り込んだ。
自らは江戸にいたまま、2人に暗殺させようとしたのである。
自らが泉城にいる時に惣十郎を殺せば、幕府より内紛の疑いがかけられる。
そうしないための策であった。
だが、惣十郎は武芸に秀でた人物であり、その暗殺は容易な事ではなかった。
しかも、花山と浅間は、ここに来て暗殺にまたも怖気づいていた。
いや、怖気づいたというよりは、正気に戻ったと言った方がいい。
元々は、義政に脅迫されて始めた暗殺であったが、
その義政のいる江戸から離れて、義政の恐怖から一時解放されると、
改めて自分たちがしている事が恐ろしくなったのだ。
そのため、江戸から暗殺を促す密使が何度も花山と浅間の下に届いたが、
2人は、なかなか実行しなかった。
しかし、そんな2人に最後通牒とも言える書状が届く。
義政「もし、実行しないのであれば、新手の者を送る。」
浅間と花山は、家族を人質に取られていた。
もちろん、人質と言っても2人の家族は何も知らない。
ただ、2人が裏切れば殺される事になっていた。
新手の者を送ると言う事は、2人を見限り、
家族を殺し、2人も殺すと言う事を意味した。
この最後通牒に、いよいよ2人は惣十郎の殺害を決意した。
その暗殺の方法は、実に強引なものだった。
立案は義政。
義政は、泉城に惣十郎を呼び寄せ、
そこで、花山と浅間が喧嘩を装って惣十郎を殺害し、
2人は、そのまま出奔すると言うものだった。
2人も、もう義政の下で働く事にうんざりしていたので、
たんまり金をもらって離れた方が良いと思っていた。
そして、この計画は遂に実行される事になる。
慶長21年(1644年)3月10日。
その日、惣十郎は家臣を引き連れ、岡本領の北東に広がる那須野に鷹狩に出掛けていた。
そんな惣十郎の下に急使が届く。
それは、九重が惣十郎を訪ねて泉城に来、
急用があるとの事で、惣十郎の帰りを待っているというものだった。
惣十郎は、急用とは何か? なぜ泉城に来たのか?・・・と首を傾げたが、
とりあえず、泉城に向かう事にした。
そして、泉城に来ると、家臣たちは城の外で待たされ、
惣十郎は、刀などの腰のものを家臣たちに預けた。
これが狙いであった。
泉城は、主筋の城なので、
登城では、当然自分の家来をはずし、腰のものも城の外で預けてくるはず・・・
いかに惣十郎が武芸の達人でも、すでに老体であり、
武器が無ければ無力である。
惣十郎は、そんな事も知らず、城内の奥へと入っていった。
そして、周囲からは見えない場所に入った時だった。
浅間「御免!!」
突然、刀を持った浅間に襲われ、
その初太刀を背中に浴びてしまったのである。
惣十郎「な、何を!?」
だが、たじろぐ惣十郎を、さらに花山が襲った。
花山「御免!!」
惣十郎が浅間に振り返ったところを、
浅間と挟み撃ちにするように隠れていた花山が、
惣十郎の背中に斬り付けた。
そして、惣十郎は、何の抵抗も出来ず、
なぜと言う思いのまま、その場で倒れ絶命した。
奇しくも、同じく義政に暗殺された久太郎と同じ63歳の生涯であった。
暗殺を終えた浅間と花山は、
手筈通り、惣十郎を殺した刀を他の家臣に預け、そのまま出奔しようとした。
しかし・・・
※「ご苦労であった。」
するといきなり、突然、浅間が協力者であったはずの仲間に斬られた。
なぜと花山が驚いていると、
※「お前たちを生かしておくと、後々面倒なのでな。」
と、そう言った仲間に花山も斬られた。
その後、3人の遺体は、誰にも見つからない場所に葬られ、江戸表に急使が走った。
急使「岡本伊兵衛殿(惣十郎)、浅間、花山と喧嘩
両人に討たれあえなく最期を遂げられ、両人逐電、目下行方不明・・・。」
これを聞いた義政は、密かにほくそ笑んだ。
全ては、義政のシナリオ通りに進んだのである。
だが、そうであったのはここまでだった。
この後、義政でも想像し得なかった事態へと発展していくのである。
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