明石家おろし

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過去の事。

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義母との道のり。

随分久しぶりの投稿なんで、
何のことやらわからん人もおるやろね。

そんな方は、(興味があれば)1つ前へどうぞ。



ちょっと、
弟の生まれた話が前後するねんけど、
ごめんやっしゃ。



弟が生まれて、(腹違い)
ますます、
義母との間は、ギクシャクどころか、壊滅って言うのかな?
つ〜か、
元々、何の愛情も貰うてないしね。



わたいは、
その後、会社を辞めて、学校(定時制)も辞めて、
男に走った。

いや、
男が先かな。

好きな人が出来て、何もかも辞めたと思うわ。



働くのも、学校も、実家も?
嫌やったんかな。


そんなんで片付けるのも嫌やねんけど、
今思うと、そうやったんかも。
何せ、15、ギリ16前?やからね。




ほんで、
その年で、親に反対されながら、(親父に)
相手の実家で生活するようになった私。


朝早く起きて、
相手の両親や旦那のお弁当を作り、

掃除に洗濯、帰ってくる前にご飯の用意。

15、6で、結構出来てた方やと思う。



そんな時、
私の身体に、新しい命が。


まだ、
ほとんど知識も何もないまま、

「産みたい。」とだけ告げた。



相手の親は、

『まだ、あんたが子供や。これから先いつでも、又出来るし産める!』言うて、

産婦人科へ。

病院で先生に、

≪いいの?堕ろしても。≫と聞かれ、

「産みたいです。」と答えた私。

≪じゃ〜、堕ろせませんね。≫と相手方の両親に説明。

『あんたな〜、あんな事言うたらあかんやん!』



後日、
説得され、婦人科で堕胎。
5ヵ月に入ってたんとちゃうかな。

私も、やっと16になった頃かも、、、、、、、、。




その頃や。
お互いの両親の初顔合わせがあったんは。

親父の許しもあって、
相手方の家でみんなで挨拶したんを覚えてるわ。




で、
その時、義母がメッチャ気分悪そうで、
庭先でゲーゲーしてたから、

「大丈夫?」言うて、背中を撫でたんよね。


そん時は分からんかったけど、
多分妊娠してたんやろな。

偶然なんか何なんか。
私が堕ろす少し前に妊娠したみたいやわ。


そんな事はええねん。

大事な命や。
しかも、
私の事があっての妊娠やから、余計嬉しいと言うか、生まれ変わり?みたいなさ。



ほんで、
あの、
猿みたい事件があってんや。


中学位や思うてたけど、
45年も前の話やしさ。


でも、
嘘は何もないで。

いつ頃かと言う、記憶の違いは少々あるけど、
そない中身は変わらへん。




ほんでもって、
この生活。

若かりし日の甘い生活?
甘くも無かったか、、、、、、、。

籍も入れてなかったし、
1年チョイで出て行ったわ。



親父のとこへ帰るわけにもいかず、
同級生の男の子達がたむろするとこへ身を寄せてた。



こん時か?
補導されて連れて帰られたんは。

何が何やら、順番が分からんようになってきた。




でもな、
連れて帰られてから暫くしてやけど、

子供を堕ろしたこと言うたら、
親父、
ゴッツ怒ってた。


不真面目な親父やったのに、
こん時だけは、
私を思う親父の気持ちが、ものすご〜ぅ伝わった気がしたな。




ほいでも、
義母がおるとこでは暮らしたくないし、
向こうも嫌なん分かってるから、
又私はここを飛び出る事にすんねん。




それまでに、もう1つ。
この後引き取ったうちの兄貴にも、いやがらせと言うか、
堪らん事してたみたいで、
未だに恨んでる。(表面上は、メッチャ義母の味方)

流石、
そのへんは、宮遣え。



あっ、
兄貴ね。
大分の伯母さん家で、高校生活してたんやけど、
親父が無理矢理呼び寄せたの。





義母との穏やかな関係になるまで?
そんなに簡単には行きまへなんだわ。

親父が死んでも、
まだまだ続いたんやから。



偶にしか更新せんけど、
飽きんと見てや!




義母との道のり。

義母と、父の間に、男の子が産まれた。

私とは16才違いかな。



で、
病院に、弟の顔を見に行った時の事。
今でも、ハッキリ覚えてる。



「うわ〜、猿みたいやな〜。」←ほんまにそう思うてんもん。

ほんで、16やで?
何の悪気も無く出た言葉やん。
それにさ〜、
昔の赤ちゃんって、マジしわしわで、猿みたいやってんもん。


その言葉を聞いた義母。


『人が産んだ子、猿みたいって何やの!』って、メチャメチャキレられた。

おまけに、
それ以来、自分が気に入らん事言う以外?口も聞いてくれへんように、、、、、、、。




こっちは、
働いてるとは言え、中学卒業したばっかの子供やで。

今思えば、
そんな事言われたら傷つくかも。って分かるかもしれんけど、
何せ、
そう思てんもん。

今の赤ちゃんは、
ほんまにしわもあれへんし、髪の毛も多い?し、
猿みたいな子おれへんもんな〜。



そんな事があって、
ますます私への風当たりがきつくなった義母。



ま、
家を出てるから、顔を会わす機会は少ないんやけどな。

そいでも、
週末は、外泊で実家に帰るから、それが辛くて。
父親には会いたいけど、
歓迎されてないのに、1泊する事自体、針の筵やったわ。

そんな実家。
正直、無い方が良かった位や。




その後、
2人の関係が、ますます悪くなって行った事は、言わんでも分かるよね。





まだまだ、続きますので、
お楽しみに〜。






























義母との道のり。

このタイトルの記事、
久々の投稿やから、分からん人は第一話をヨロシコ。




生活の拠点が本州に。

そこは、岡山の日生(ひなせ)と言うとこ。

中3やった。って事で、
制服はそのまま。

そのお蔭か、珍しいもん見たさか?結構モテた覚えがある。



それはさておき、
不真面目で、あんまり働くことが好きやなかった父親に、
うちの従兄が、
『このままじゃあかんから。』って、

自分が働いてる会社を紹介してくれた。


一家総出。
と、言いたいとこやけど、
兄貴だけは、地元の高校から移るのは嫌だと言い張り、
伯母さんのとこで過ごす事に。

元々、兄貴は、この伯母さんの養子になってたし、
父親も、
何となく引け目があったのか、
私だけを連れて、九州を離れた。



日生では、
一応大きな、製網会社。


そこで、
一家6人、社宅に住みながら、
父親と、義母が働き、
義母のお母さんが家の用事をし、義母の連れ子の面倒を見てた。

私と、義母の妹が、偶然おない年で、同じ学校に。



約1年通った中学。

卒業してからは、
1日も早くこの家(社宅)、いや、この環境から逃れたくて、
従兄と父親の働く会社の寮へ入った。


勉強が好きやった私は、
働きながら、定時制高校へ。



この時の気持ちは、一生忘れへんわ。

家を出れた嬉しさと、
働くことの楽しさと、
何よりも、気兼ねせずに暮らせる解放感が1番幸せやった。


4人部屋ではあったけど、
そんな事は、どうでもよかった。

ただただ、
あの、
何とも言えん空気を吸うのが嫌やった。

居場所なんかどこにもなかったもん、、、、、、、、。




それから1年位後やったかな〜。
弟が出来たんは。



この弟が出来た時も、
忘れられへん出来事が。



この続きは、
又、いつか。



ではでは。














義母との道のり。

昨日の記事にも書いたけど、

毎年、
お歳暮に、広島の牡蠣が届く。

有難いと思うてるし、気〜使わんでええのに。とも思うてる。



でも、
こんな良い関係になるまで、
どれだけ辛い思いをして来たことか。


向こうは向こうなりに?あったかもしれんけど、
私からしたら、、、、、、、。


私が中学1年の時、父親と一緒になり、
1度に家族が7人に。


私の方は、兄と私の2人兄弟に父親。

向こうは、連れ子に妹、母親にその人本人。(あえて、ここではその人って)


父の姉(伯母)は、

『これから、子供らが大きいなって楽になるのに、何でそんな目に見えた苦労を選ぶんや。』
って、ず〜っと反対してた。


でも、
結局一緒になり、現在まで続く。

言うても、
父のとこから家出して、
父が交通事故で死んでから、連絡があって今に至るだけやねんけどな。




一緒になった時、
連れ子が4才。(女の子)

私には兄しかおらんし、妹が欲しかったから、
マジで可愛くて、お年玉全部(1400円位しかなかった)で、
リカちゃん人形を買うてあげて、それはそれは可愛がってた。


ある日、
遊んであげてた時の事。

あまりの我儘に、
つい、頬をピシャリ!


それが、
偶々仕事から帰って来たその人に見られてしまい、

『あんた!うちの子に何すんの!』と、烈火のごとく怒られたわたい。


そ。
何でそんな事になったのかも聞かず。
私はこの日から、この人が嫌いになった。



その当時、
大人はみんな働いていたのに、
うちは、メチャメチャ貧乏やった。


そやから、
毎日、目玉焼きと味噌汁の晩御飯(父だけ卵が2つ)が済んだら、
6人で内職の時間。(連れ子には無理やから)

お弁当も、
毎日毎日、魚肉ソーセージと卵焼きだけ。
新聞紙にくるんだ弁当箱。
女の子がそんなお弁当、、、、、、、クラスには誰もおらん。


そんな生活が相当続いたわ。


中3になり、
修学旅行があるねんけど、
旅行費はおろか、小使いも無い。


担任の先生に、

「家の事情で行けません。」

『思い出になるんや。私が出したげるから、行きなさい。』


この先生のお蔭で、
万博の年、修学旅行に無事行けた私。


小使いも、少しやけど伯母さんがくれて、
メチャメチャ嬉しかったのを覚えてるわ。



5泊6日。小使い10000円まで。
別府からの旅行で、バスごとフェリーに。(2泊フェリー内)

私は、3000円位しか持ってなかったと思うわ。
それでも、大金や。
伯母ちゃんに、どれほど感謝したか。



無事、修学旅行から帰ると、
父親、いや、家族みんなで別府を出ると言う事が決まってたみたいで、
そこから私は、
生活の拠点が、本州へと変わっていった。



この後、
まだまだ、辛い私の生活が始まる、、、、、、。




















わたいが初めて買ったレコード。
 
発表いたします!
 
 
それは〜〜〜!
 
尾崎紀世彦さんの、
 
♪また逢う日まで♪ です。 意外でしょ?
 
 
 
で、
そのB面が好きで、そればっかり唄うてたつもりやってんけど、
人の記憶とは、
こんなにも曖昧なもんなんか?
 
今日調べてみたら、
 
♪帰郷♪と言う歌らしく、
 
歌詞も、曲も、全然違う、、、、、、、、。
 
 
 
 
そこで、
ちょっと皆さんにお聞きしたいんやけど、
 
 
♪何が欲しいと言〜えば〜、それは自由と言う〜さ〜
 
 たった1つの愛を〜〜、2人育てるた〜めに〜♪
 
で、始まり、
途中、よ〜覚えてないんやけど、
 
♪お前の右に〜、俺がいた〜ら〜、
  誰にも邪魔は、させない〜させな〜い〜♪
 
 
そっから又、
 
♪何が欲しいと言〜えば〜♪ に戻るねん。
 
 
 
誰か、
この歌知らんかな〜?
 
 
 
 
 
 
 
 

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