ブラックボードに義

ブラックボードとは黒板。義とは墨子が言った「人間として行うべき正しい道」。

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7月5日に見学した済州(チェジュ)抗日記念館。
その中にある3.1独立運動がソウルで始まると
またたく間に、朝鮮全土に広がって行ったことを示す地図。
その広がりは、点滅する赤や黄色のランプで表される。
北は中国国境から、南はプサン、チェジュドまで一気に広がったことが分かる。

1875年、日本は朝鮮の江華島(カンファド)を攻撃し
翌年の1876年、7隻の軍艦で韓国に開国をせまり、
日朝修好条規(江華条約)を認めさせた。
これは、日本がアメリカと結んだ日米修好通商条約よりも、さらに不平等な条約。
不平等条約をアメリカに押しつけられた、それを隣国の朝鮮に押しつけるという
このさもしい、情けない仕打ちをなした日本。
他国を踏みつけにして生き延びようとする根性・精神の恥ずかしさ。

1894年、東学農民軍の反乱の鎮圧を朝鮮政府は清国にもとめた。
それに乗じて、日本も出兵し、日清戦争が起こる。
日清戦争に勝った日本は、ロシアと対立を深め日露戦争が起こる。
朝鮮全土で反日運動、義兵闘争がわき上がる。
だが、日露戦争に勝った日本は、1910年韓国を併合。
その前の年に、安重根(アン・ジュングン)は、伊藤博文を射殺。
日本は朝鮮総督府をおき、憲兵警察を使って、朝鮮人民の抵抗を圧殺。
朝鮮全土の土地調査を名目として、朝鮮人の土地・田畑を取り上げる。

こうした中で起こったのが、1919年3.1独立運動です。
ソウルのパゴダ公園で独立宣言が発表され、
太極旗をふり、独立万歳を叫ぶ数十万人のデモに発展した。
その3.1独立運動が済州島(チェジュド)でも、
1919年3月21日から24日までくり広げられました。
朝天面の朝天市場で、独立万歳とデモ行進する民衆がジオラマで展示されていました。
朝鮮全土で200万人の民衆が参加した3.1独立運動。
これに対して、日本は、日本から軍隊を増強して大弾圧。
はじめの3カ月だけで、死者7500人、逮捕者47000人。

その3.1独立運動に先立つ1918年10月6.7日の法井寺抗日運動。
法井寺の僧を中心に済州人民400人が独立をもとめて抗日の闘い。
さらに、1930年代の海女たちの抗日運動。
この二つの闘いも、ジオラマで展示されていました。
これら済州島(チェジュド)の3大抗日運動のジオラマは、
全体を俯瞰する展示で、家屋や人間は、それぞれ小さいです。

だが、次の日本の憲兵が抵抗運動に立ちあがった韓国民衆を
拷問するジオラマは、人間は等身大でした。
実際は、もっとすさまじい拷問を憲兵がくわえていたであろうと
想像しますが、ジオラマ自体、すさまじい様子を伝えています。

広げさせられた両手は、ロープで左右にくくりつけられています。
そして、日本の憲兵が木刀で体を打ちすえているところ。
いすに座らされた女性の両足は、太股から長い棒で広げられています。
その女性の背中を棒でどつく憲兵。
また、両手を後ろで縛られた人は、床にうつ伏せにされています。
憲兵をぐっとにらみつける怒りの眼。
これぐらいではなかったであろう拷問で、
日本の憲兵は、何十万人の韓国民衆の抵抗を弾圧したであろう。

この抗日記念館には、当然、
済州島(チェジュド)の子どもたちも見学に来るであろう。
そら、韓国からすれば、日本に国を奪われたこと、
日本がなした暴虐、それに対する韓国民衆の不屈の抵抗は、
子どもたち、子々孫々に伝えていかねばならないことです。

それを、侵略した国=日本が、「行き過ぎた反日教育」などと言うことはできない。
逆に、日本が侵略され国を奪われていたら、当然なすべきことだからです。
だが、この日本という国は、日米安保によって、
アメリカに隷属した国、属国に甘んじて68年も過ごしている。

済州(チェジュ)抗日記念館を見学して、
日本の国は、韓国に対して、とんでもないことをしたんだ。
国を奪い、生きる土地を奪い、名前を奪い、言葉を奪った。
その罪過は、65年の一片の日韓条約で「解決済み」などという簡単なものではない。
償いをしても、韓国務民衆の痛みは消えるものでないが、それすらなしていない日本。
私たちは、二度と「教え子を戦場に送るな!」と言う前に、
“二度と侵略する国にするな!”絶対させないぞ!と叫ぶ必要を感じました。
根源は天皇制。そして、侵略と戦争につらなるすべてと闘え!

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済州島の抗蒙遺跡
高麗(朝鮮半島)人の最後の対モンゴル激戦地、缸坡頭里(ハンパドゥリ)

高麗・元宗14年(1273)、麗蒙連合軍に対抗して戦った三別抄は江華島と珍島で 相次いで敗れ、最後の激戦地となった済州島に渡り、プルグンオルムに二重土城 を築いたが、これが現在の済州・缸坡頭里(ハンパドゥリ)だ。
全長6kmにわたる 土城(高さ5m、幅3.4m)であり、石で築いた内城800m及び宮址、役所、各種防 御施設を取り揃えた要塞であった。

しかし1273年4月、缸坡頭里は遂に陷落し、 三別抄は最後の1人まで抗争しながら玉砕の道を選んだ。三別抄の流した血が オルムの土を赤く染め、その時からこのオルムは「プルグン(赤い)オルム」と呼ば れるようになったと伝えられている。
現在は昔の名残を見つけることができる土 城が部分的に残っている。その他にも蝶番、瓦、池跡などの様多くの遺跡が発見 されており、缸坡頭里内の展示館に展示され、歴史教育の場として活用されている。
また、入口にある抗蒙殉義碑は三別抄の愛国精神を称えている。

済州島には朝鮮半島がモンゴルの侵略を戦った最後の遺跡

2014/7/13(日) 午後 1:41 [ 元寇を学び日本を護る ]


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