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7月5日〜7日、『済州島(チェジュド)研修旅行』に友人が行くと聞き、 私もお願いして、仲間に加えてもらって参加して来ました。 済州島(チェジュド)の抗日運動や 1948年4.3蜂起(事件)について、有意義な学習の機会となり、 また、観光や韓国料理などでも、楽しい時を過ごさせてもらいました。 【1日目・・・7月5日】 関空9:00出発→10:40済州(チェジュ)空港着。 バスで出発し、レストランへ。“カルチ”という太刀魚料理の店で昼食。 →城山日出峰(ソンサンイルチュルボン)へ。 約5000年前の水性火山噴火でできた、 巨大な城のようなの噴火口まで階段を登った。(高さ180m) 「日の出るオルム(済州独特の寄生火山)」で、日の出が美しく荘厳だという。 次に済州抗日記念館へ(これについては、後で詳しく書きます) そして、万丈窟(マンジャングル)へ。 火山から噴出した溶岩が流れ出したあとにできた、大洞窟。 長さは7416mもあるが、公開区間は1km。 その中、600m地点にある亀に見える『石カメ』を見て、折り返した。 中は、10℃くらいで涼しく、巨大な岩の洞窟。水が滴り落ちていた。 【2日目・・・7月6日】 8:50バス出発→済州4.3平和公園へ (「4.3事件」については、後で詳しく書きます) 4.3事件研究所長の金昌厚(キム・チャンフー)氏の力のこもった説明を聞きながら、 広大な公園の中の慰霊祭壇、位牌奉安所で黙祷。 行方不明者標石、発掘遺体奉安所で説明を聞き、平和記念館へ。 コヌルドンという今はない、「失われた村」の跡を見学。 1949年1月14日、当時の韓国軍の討伐と西北青年会のテロルによって 焼き払われ、多くの住民が殺された村、それがコヌルドンという村。 →そのあと、ナクソン洞の跡を見学。 4.3蜂起に立ちあがった武装隊と住民を分離するために 村の周りを城壁で囲み「戦略村」にした跡が復元されたところ。 そこから、韓国の民衆の信仰の場所“ワフル・タン”へ。 樹齢600年の大きな木が、その場所。 それから、北村ノブンソンイ4.3公園へ。 北村里の村人1300人のうち、約500人を韓国軍が 集団虐殺したところを慰霊する公園。 【3日目・・・7月7日】 9:15出発→五日市へ。 済州市郊外にある巨大な市場でした。 野菜、果物、食べ物、服、乾物、飲食店、何でもありました。 小さな店に所狭しと商品が並べられ、活気があふれていました。 西帰浦市にある金正喜先生の秋史館へ。 →安徳渓谷→海岸の柱状節理→天帝淵瀑布見学 そこから、江汀村(カンジョンマウル)に海軍基地が建設される、 いや、すでに工事が始まっているが、それに反対する村人の 団結テント?で話を聞き、連帯をこめてカンパ。 という3日間の行動でした。 初めて韓国・済州島(チェジュド)に行き、たくさんのことを知り、 勉強し、日本と韓国の関係、日本の歴史的責任について考えました。 それは、次回に書くことにします。 |

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済州島の抗蒙遺跡
高麗(朝鮮半島)人の最後の対モンゴル激戦地、缸坡頭里(ハンパドゥリ)
高麗・元宗14年(1273)、麗蒙連合軍に対抗して戦った三別抄は江華島と珍島で 相次いで敗れ、最後の激戦地となった済州島に渡り、プルグンオルムに二重土城 を築いたが、これが現在の済州・缸坡頭里(ハンパドゥリ)だ。
全長6kmにわたる 土城(高さ5m、幅3.4m)であり、石で築いた内城800m及び宮址、役所、各種防 御施設を取り揃えた要塞であった。
しかし1273年4月、缸坡頭里は遂に陷落し、 三別抄は最後の1人まで抗争しながら玉砕の道を選んだ。三別抄の流した血が オルムの土を赤く染め、その時からこのオルムは「プルグン(赤い)オルム」と呼ば れるようになったと伝えられている。
現在は昔の名残を見つけることができる土 城が部分的に残っている。その他にも蝶番、瓦、池跡などの様多くの遺跡が発見 されており、缸坡頭里内の展示館に展示され、歴史教育の場として活用されている。
また、入口にある抗蒙殉義碑は三別抄の愛国精神を称えている。
済州島には朝鮮半島がモンゴルの侵略を戦った最後の遺跡
2014/7/13(日) 午後 1:40 [ 元寇を学び日本を護る ]