ブラックボードに義

ブラックボードとは黒板。義とは墨子が言った「人間として行うべき正しい道」。

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2.福沢諭吉が考えていたこと、唱えたことは何だったのか?
 
(1)福沢諭吉が『学問のすすめ』で唱えたのは「一国独立」「一国の富強」
結局、福沢諭吉が考えていたこと、
唱えたことは何だったのか?を考えるに、
その根底には、鋭く世界と日本の現実を見ていたことがあるだろう。

福沢諭吉は1860年(25才)咸臨丸で渡米、
1862年(27才)幕府の遣欧使節団に随行して
ヨーロッパ各国(フランス・イギリス・オランダ・
プロシア・ロシア・ポルトガル)を回った。
1867年(32才)には、幕府の軍艦受取委員随員として再渡米した。

福沢諭吉は、欧米で何を見て、何を感じてきたのだろうか?
国際体験の現実は、欧米の「文明国」の「傍若無人」ぶりを感じさせた。
世界は「パワ・イズ・ライト」の関係にあると認識した。
「外国交際の艱難」を知った。

インドや中国のように、日本が欧米「文明国」によって踏みにじられ、
「国の威光」がなくなって、
「日本の独立は危うし」「独立を失うの患(うれい)」を持った。
西洋の文明は日進月歩で歩んでいるのに、
我日本は「古習に惑溺」したままだ、と危機感を持った。

それゆえ、福沢諭吉は、
「我日本国人も今より学問に志し、
気力も慥(たし)かにして先ず一身の独立を謀(はか)り、
(したが)って一国の富強」をめざすことを唱えた。
「一身独立して一国独立する事」と見事な「定式」を唱えた。

がしかし、その「一身独立」は何のためかというと、
「国中の人民に独立の気力なきときは
一国独立の権義を伸ぶること能(あた)わず」となるからであった。
つまり、重点は「一国独立」にあり、
そのために「一身独立」が必要という論理である。

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