ブラックボードに義

ブラックボードとは黒板。義とは墨子が言った「人間として行うべき正しい道」。

全体表示

[ リスト ]

「自己規律、温厚さ、人間性」をもったドイツ革命に
何が足りなかったのか?何が必要だったのか?
 
この問いに対する答えは、
セバスティアン・ハフナーの次の記述にあるだろう。
「レーニンは、1917年4月にロシアにもどると
ただちにスローガンをかかげた。
『組織、組織、さらに組織を!』」(P247)と。
 
しかし、「リープクネヒトとルクセンブルクは、なにも組織しなかった」。
そして、前に引用したように、
カール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルクの
「二人はドイツのボリシェヴィキ革命の指導者ではなかったし、
ドイツのレーニンでもトロッキーでもなかった。
二人はそうあろうともしなかった」。
 
「ローザ・ルクセンブルクは、
レーニン・トロッキー流の鉗子分娩
(かんしぶんべん=はさみのような形をした刃のない器具で、
胎児の頭をつかんで引き出す)
による革命にある暴力的要素を原則的な理由から非難し、
革命は自然に、また民主的に
プロレタリア大衆の意識から成長してこなければならず、
ドイツはまだその出発点に立っているにすぎないと、
ほとんどおごそかにくり返し述べていたからである」(P246)。
 
「リープクネヒトは、
革命は放っておいても起こるし、
それどころか実際はもう起こっているので、
組織も操作も必要ないと確信していたからである」。(P247
 
しかし、「実際には問題はただ一つ、革命か反革命かだった」。(P177
革命か反革命のどちらが権力を握るのか?
という権力問題が問われていた。
そして、「革命を起こした労働者と兵士は、
旧官僚と旧将校団が権力を握りつづけるかぎり、
たとえ最もりっぱな憲法と最もりっぱな議会をもったにしても、
革命が敗北してしまうことを本能的に知っていた」。(P178
 
「革命を起こした労働者と兵士は」
権力問題を「本能的に知っていた」のに、
それを組織する革命党の組織が存在しなかった。
「ボリシェヴィキ政党がなかった」。(P177)
反革命の暴力にうち勝つ革命の暴力を組織する革命党がなかった。
嗚呼!そのために「革命を起こした労働者と兵士」が虐殺された。
カール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルクも殺された。


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事