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1918年ドイツ革命において、
「現実の権力は、
省庁、警察、総司令部、また法廷にあった。
こうした旧権力に手をつけなかったら、
これらの旧権力が革命に復讐する最初の機会を
利用するかもしれなかった。
この場合、妥協の余地はなかった。
ここで、革命の勝利か、
あるいは反革命の勝利かが決定されたのだった」。(P179)
しかし、「革命は温厚だったが、反革命は残忍だった」。(P273)
反革命は、ノスケが組織した義勇軍団を使って、
「ついに実現した革命を残虐に打倒したのである」。
そして、1919年1月15日、
カール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルクの
二人の「殺害は、一つの序曲、
つまり、その数か月後のノスケ時代に起きた千倍もの殺害の序曲、
その二十数年後のヒトラー時代に起きた百万倍もの殺害の序曲だった。
それは、ほかのすべての殺害のスタート合図だった。
そして、いまだにこの殺害の責任はとられていないし、
いまだにその罪はつぐなわれていないし、
いまだにその罪は悔やまれていないのである」(P257)
と、セバスティアン・ハフナーは書いている。
ドイツ「革命の真の英雄は大衆だった」し、
「その創造物が労兵評議会だった」。(P337)
「革命を起こしたのは」
「社会民主党に投票した数百万の労働者と兵士だった」。(P340)
しかし、「社会民主党の大衆の担ったこの革命は、
まさに当の社会民主党の指導者によって裏切られ、
それによってヴァイマール共和国の運命が定められ、
ヒトラー帝国の基盤が固められたのだ、と」(P358)
というのが、著者セバスティアン・ハフナーの立場だと訳者は書く。
それだけに、よけいに
「レーニンは、1917年4月にロシアにもどると
ただちにスローガンをかかげた。
『組織、組織、さらに組織を!』」(P247)
という言葉が歴史の教訓として浮かび上がってくる。
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