ブラックボードに義

ブラックボードとは黒板。義とは墨子が言った「人間として行うべき正しい道」。

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1 教え子を侵略戦争の戦場に送りこんだ天皇制教育
 
1.「還らぬ教え子よ」
天皇制教育を担った河西賢太郎氏は、
戦後にまとめられた『静岡の教育』のなかで、次のように書いている。
「私が子どもに望んだことは、
成績も身体も秀れた者は少年航空兵に、
つぎの者は満蒙開拓少年義勇軍に、
そのつぎの者は軍需工場へと、
何と能力のない者は、家庭の仕事に残れということでした。
毎日、このことを教室で話しました。
長男で家を出られないという子があると、
父母を呼びよせて、今日本はどういう時かを話し、
また、あなたのような人は、国賊であるといわんばかりに攻撃しました」。
 
このように、戦前・戦争中の教師が、『少国民の錬成』と称して、
「天皇のために死ぬ」忠君愛国の教育を暴力的に行ってきた、
その教育が何をもたらしたのか。
そして、教え子を侵略戦争の戦場や遠く離れた満州の荒野に送り出した、
その結果がどうなったか?
 
「秀才だったNは、七つボタンの予科練を卒業し、
まもなく比島の空中戦で十七歳を最後に散って逝った。
Nの無二の親友のAは、陸軍航空学校を卒業、
これも又台湾沖の上空で戦死した。」(『山形の教育』今野竹蔵手記)
 
これが、「ひたすら忠実に国の命令に従うことを至上」
としてきた戦前・戦中の教師の「教育」の結果である。
はたして、これが教育といえるのか。
誠心誠意の「教育」の結果、子どもたちを死なせてしまった、
殺してしまった。その子どもたちは、もはや還ってこない。
「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
という教育勅語の天皇制教育を率先して行った
教師の犯罪と言っても過言ではない。
高知の中学教員、竹本源治氏はそれを悔いて、次の詩を書いた。
 
「還らぬ教え子よ」
戦死せる教え子よ
( ゆ )いて ( かえ )らぬ教え子よ
私の手は血まみれだ!
君を ( くび )ったその綱の
端を私も持っていた
しかも人の子の師の名において
   嗚呼!
「お互いにだまされていたのだ」の言い訳がなんでできよう
慚愧 ( ざんき ) 悔恨 懺悔 ( ざんげ )を重ねても
それがなんの償いになろう
逝った君はもう還らない
今ぞ汚濁の手をすすぎ
涙をはらって君の墓標に誓う
「繰り返さぬぞ絶対に!」
高知県教組機関誌掲載、1952年1月)


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