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難波大助が父・作之進にあてた「長文の遺書」のつづきです。
一切は終わった。
私が共産主義者となり、
虐(しいた)げられたる多数無産者のために
死を決してまで事をなすに至ったのは、
あなたに負うところが頗(すこぶ)る多い。
この点はあなたは私の恩人である。
しかし労働者が資本家の御陰で社会主義者となったからといって、
資本家に毫(ごう、きわめてわずか)も感謝せざると同様に、
私は私の恩人に対して毫も感謝しておらぬから、そのおつもりで。
一切は終わった。
そうして息子の一人は
死刑の宣告を受けるべく牢獄の中に横たわっておる。
またしても息子は先祖の犠牲であった。
(あの極悪者をりっぱな家の籍に置くのはけがらわしい。
先祖のイハイに対して恐れ多い)
―かくして本家は数万円以上の財産家であるにもかかわらず、
分家は純然たる無産家
―その戸主の家は
監獄の鉄窓内の三畳の室という珍無類の現象が発生してきた。
我々はまるで人間の世界に住んでおるような心地がしない。
一切の奴共は人間たることを忘れ、
死霊という無形物に支配されておる傀儡(かいらい)である。
一切の奴共とは(りっぱな家)の一家一族を指していうのである。
しかし要するにとにかく
―私にとっての一切は終わったのだ。
終わった人間が今さら自分のことを
云々いったとて追いつく話ではない。
まだ終わらざる生きた人間が残っておる。
この残っておる生きた人間のために、
私は敢えて極悪邪道者たるの本性を発揮して
(りっぱな家)の戸主に対して毒つかざるを得ぬのである」。
(つづく)
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反天皇制
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難波大助が父・作之進にあてた「長文の遺書」のつづきです。
母親の早死には何故ですか。
健亮や義兄(註、次兄・吉田義人)が
金持ちに売られたのは誰の御陰ですか。
(今時のものは女学校ぐらいへやらねば嫁の貰い手がない)
―こう考えられたあなたは、
安喜子(註、妹)を金持ちの家に嫁にやる資格をつけるために
、女学校へ入れられた。(略)
・・・もし正兄が強いてあなたに奨めなかったら、
私はあなたのために中学どころではなく、
小僧奉公にやられたでしょう。
あなたの口癖に言われた(倹約せよ、倹約せよ)から想像すれば、
わが一家は早晩破産すべきが当然であった。
―しかるに驚くべし!
あなたは一般金持ち家並みに代議士の候補に立たれた。
あなたはその時まで、私が信じていたような貧乏人ではなかった。
自分の名誉のためか―祖先の名誉のためか―
要するに名誉を買うために、
あなたは祖先伝来の財産を売ることも敢えて辞せられなかった」。
一切は判然した
「終生を通じての最も憎むべき敵」である
父の「専横と貪欲」を追及する大助の「遺書」は痛烈だ。
そして、大助の「遺書」はまだまだ続く。
(『虎ノ門事件と難波大助―天皇暗殺』岩田礼著、P272)
「一切は判然した。
――従順なる羊共は、あなたまたは先祖の名誉にすら価しなかった。
あなたに取っては生きておる子孫より、
死んでしまって土と化しておる祖先の方が大切であった。(略)・・・
従順なるものは
いつも専横にして貪欲なるものの犠牲に甘んじておる。
多くの兄弟姉妹の内から従順ならざる
―醜い利己心の犠牲となるを甘んぜざる―
反逆者が一人ぐらい出たからといって、今さら驚くにはあたらぬ。
世間のまぬけ共はいっておるであろう―
(あんなりっぱな家から、あんな極悪非道者!)
原因あれば結果あり、
―結果を遠くさかのぼれば原因あり。
誰がこの自然現象を否定するものぞ。
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以下が、その「長文の遺書」である。
(『虎ノ門事件と難波大助―天皇暗殺』岩田礼著、P270)
父に宛てた大助の「遺書」
・・・羊は人間となり、徹底反逆者となった
「親というものの存在に呪いあれ。
私は不孝者で沢山だ。
親というどえらい権威者に対して、
私の憎悪をたたきつけておくことは極悪非道者としての私の義務と存ず。
聞けばあなたは食事も碌に取れず、
精神に異常を呈するほどやつれておる由
―これを聞いてさえ私は冷然として涙一滴落とさない。
これは何故であるか?
私はまだ涙の種切れはしていないつもりである。
正兄(註、長兄・正太郎)のために数滴の涙を流し、
健亮(註、弟)のために枕をぬらしたほどの私である。
あながち涙を所有していないわけではない。
専横と貪欲―それは私の終生を通じての最も憎むべき敵です。
専横から私の反逆が生まれ
―貪欲―(倹約の強要)から社会主義が生じた。
因習が私に絶対的服従を強いていた間は、
あなたは頗(すこぶ)る安全であった。
醜い服従の『美徳』が私の知識の一撃の下に蹂躙された時
―今までの羊は代って人間となり、
獅子となり、徹底反逆者となった。
(俺は息子のためにあれほどまでに尽くしてやった。
それだのに彼はかくのごときことを敢えてした)。
社会人にとってこそ、
あなたは人格高潔、温厚篤実の紳士でありうるであろう。
しかし私という裁判官の前に立ったあなたは、
最大の偽善者たるの名誉を担う以上の資格はありませぬぞ!
あなたの威光に恐れていた私は、
かつて狂人(ママ)の真似をすら敢えてした。
今度の事件において
―あなたの結構なる陳述の御かげにより
―私は再び狂人(ママ)扱いにされんとした。
真に滑稽千万のことといわねばならぬ。
しかし御安心下さい。
―私はかつて狂人(ママ)でなかったと同様に
今もなお狂人(ママ)ではありませぬから。 |
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獄中の大助は、父・作之進に長文の遺書を送りつけた
「獄中の大助は(1924年)2月13日付で、
父・作之進に長文の遺書を送りつけた。
それより前、作之進は旧民法によって、
山口県徳山区裁判所に『廃家届』を提出し、
同時に大助を除籍して分家させる処置をとった。
大助を出した家をみずからの手で抹殺しようとしたのである。
この届けによって、難波家は作之進の死後(1925年4月)、
ついに廃絶となった。
作之進の弟・本蔵が新たに家籍をつくり、
難波一族はその家籍にはいって『黒川』と改姓した。
大助を分家させた作之進は、
あらたな戸籍謄本を獄中の大助に送りつけた。
大助は作之進の行為をあわれんだ。
天皇の威光にひれ伏し、
それに恐懼(きょうく、恐れかしこまる)するあまり、
ついに連綿の家名までなげうち、
社会正義の先駆者である自分を分家させるとはなにごとであるか。
彼はただちに筆をとった。
作之進の自分に対する、
また、兄妹、社会に対するあやまちを衝き、
その頑迷さを覚醒させるように、
おのれの行動の正当性を説き、人間の尊厳を訴えた。
最後に自分は国家権力への燃ゆる憎悪を抱いて絞首台にのぼる。
『骨は絶対に引きとってくれるな』とまで書きつけた」。(同P270)
それが父・作之進に送った「長文の遺書」である。
「また、作之進が自分の遺書を読まずに、
破り捨ててしまうことを恐れて、長兄・正太郎にも手紙を添えた」。
「父上が初めの方を読んだだけで
激昂の余り他を破ってしまう様な恐れあるに付き」、
「父上に対する小生の遺書を、
父上へ兄上より直接御読み聞かさる様御願い致し候」と・・・。
獄中の大助は周到であり、冷静である。
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「俺は社会的正義の先駆者である」
「今の俺は一生中で最も幸福である」
「予審が終わった翌日の(1924年)2月20日、
大助はふたたび通信を許され、はやる心で歌川にペンをとった。
予審中に判事の沼から、歌川の供述をくわしくきかされ、
それを一刻も早く詫びたいと思った。
同時におのれの行動をあくまで正当化し、
『社会正義の先駆者』と自負した。
『×昨日予審終結。
貴君が証人として予審判事に陳述せられし大体を聞くことを得ました。
驚愕恐怖、狼狽の旋風―-君もやはり人間であり感情家であった。
瞬間および引き続きし心痛の激烈さは俺の想像以上であったろうと思う。
警察、裁判所への出頭なんて君の予想だにせざりしところであったろう。
(中略)君の被(こうむ)った迷惑
――それが如何に大であったか。
これは俺がいくら深謝したって深謝しきれないほどの
大きな君にとっての痛手であったろうと思う。
名誉を台なしにしてしまった―-と君は怒るかもしれぬ。
俺は君に迷惑のかかったことに対しては
満腔の誠意を以て深く御詫びする。
しかし、俺は君の(名誉を台なしにしてしまった)なんて
努(ゆめ)思っておらぬから、そのつもりで・・・。
俺は悪党ではない。
俺は社会的正義の先駆者である。
社会の偏見や紳士共の製造した輿論にまで
俺は責任を持つ必要はあるまいと思う。
世の紳士輩が俺を狂人(ママ)扱いにするのは無理からぬことである。
しかし俺は毫も失望しない。
人間は世界の至るところに存在しておる。
人間こそ俺の知己である。
×今の俺は俺の一生中で最も幸福である。
卑怯と臆病から完全に解放せられた俺の安心の真只中にある。
×友よ俺は書きたいことが山ほどある。
しかしまだ俺には信書往復の自由がない。
友よ、俺を友としたことを恥ずる勿(なか)れ。
今が永久ではない。一
時的流れに過ぎぬ。
偏見の前にびくつく必要が何処にあろう」。(略)(同P269)
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